王誕2  折衝の達人   

399 年、司馬元顕しばげんけんが後軍将軍となると、

王誕おうたんは幹部として参画。

そこで出世し、副官にまで上り詰める。

廬江ろこう太守、鎮蠻護軍とされた後、

龍驤將軍、琅邪ろうや內史に。

司馬元顕の副官の地位は保たれていた。


司馬元顯の取り巻きの一人に、

張法順ちょうほうじゅんと言う男がいた。

王誕は彼と交流を深めたため、

司馬元顕からも寵愛を受けた。 

司馬元顯がとある妾を囲おうとしたとき、

彼女を迎えに行ったのは王誕だった。


司馬元顕が、やがて驃騎ひょうき将軍となる。

この頃桓玄かんげんへの敵対心をあらわとしており、

近くにいる桓玄の親族を

皆殺しにしようと目論んでいた。


ここでターゲットとなったのが、

例えば桓脩かんしゅうである。

とはいえ桓脩は王誕にとり、

義理のいとこにあたる。

なので王誕、司馬元顕を懸命に説得。

かれは桓玄と志を同じくしていない、

ゆえに殺す必要はない、と。

これによって桓脩は殺されずに済んだ。


一方、桓玄が司馬元顕を倒したあと。

副官であるから、本来王誕も

殺されるべき立場の人間である。

しかしここに桓脩が助け船。

自身もが王誕に助けられたことを語り、

なんとか死刑は回避された。

その代わり、広州こうしゅうに流刑となった。


この頃の広州は盧循ろじゅんのねぐらである。

盧循、やって来た王誕を重んじ、

自らの副官に取り立てようとした。

そんな盧循に対し、王誕は語る。


「私はあくまで遠流の身。

 盧循殿よりのおもてなしを

 かたじけなくは思うのですが、

 配下としてのお力になるのは

 やや難しいと思います。


 その代わり、私のことを

 劉裕りゅうゆう様もご存知であります。

 そこでせめて、北地に戻った際には、

 劉裕様がすぐに攻め下ってこぬよう、

 時を稼いでみせましょう」


王誕のこの提案に、盧循は大いに納得。


一方で、この頃の盧循は

本来の広州刺史である呉隱之ごいんしを捕え、

広州を実効支配している状態だった。

そこで王誕は言う。


「呉隠之様はこの地にて、盧循殿の補佐を

 なさろうとはいたしません。

 何故でしょうか。


 これは三国時代の昔、

 孫策そんさくが名士の華歆かきんを留めたくとも

 留め置けなかったのにも似ましょう。


 名士は、たとい異地にあろうとも、

 二君に仕えるのを良しとせぬのです。


 故に彼の登用はお諦めになるのが

 賢明かと思われます」


こうして王誕と呉隠之は、

盧循の広州刺史追認の交換条件として、

建康に帰還するのだった。




隆安四年,會稽王世子元顯開後軍府,又以誕補功曹。尋除尚書吏部郎,仍為後軍長史,領廬江太守,加鎮蠻護軍。轉龍驤將軍、琅邪內史,長史如故。誕結事元顯嬖人張法順,故為元顯所寵。元顯納妾,誕為之親迎。隨府轉驃騎長史,將軍、內史如故。元顯討桓玄,欲悉誅桓氏,誕固陳脩等與玄志趣不同,由此得免。脩,誕甥也。及玄得志,誕將見誅,脩為之陳請,又言脩等得免之由,乃徙誕廣州。盧循據廣州,以誕為其平南府長史,甚賓禮之。誕久客思歸,乃說循曰:「下官流遠在此,被蒙殊眷,士感知己,實思報答。本非戎旅,在此無用。素為劉鎮軍所識,情味不淺,若得北歸,必蒙任寄,公私際會,思報厚恩,愈於停此,空移歲月。」循甚然之。時廣州刺史吳隱之亦為循所拘留,誕又曰:「將軍今留吳公,公私非計。孫伯符豈不欲留華子魚,但以一境不容二君耳。」於是誕及隱之並得還。


隆安四年、會稽王の世子の元顯は後軍府を開き、又た誕を以て功曹を補す。尋いで尚書吏部郎に除せられ、仍いで後軍長史と為り、廬江太守を領し、鎮蠻護軍を加わる。龍驤將軍、琅邪內史に轉じ、長史は故の如し。誕は元顯の嬖人の張法順と結び事え、故に元顯に寵さる所と為る。元顯の妾を納むるに、誕は之を親迎を為す。府に隨いて驃騎長史に轉じ、將軍、內史は故の如し。元顯の桓玄を討てるに、桓氏を悉く誅さんと欲せど、誕は脩らが玄と志趣を同じからずと固く陳ぶるに、此の由にて免ぜるを得る。脩は誕が甥なり。玄の志を得るに及び、誕は將に誅さるを見んとせど、脩は之が為に陳請し、又た脩らの免ぜるを得たるの由を言い、乃ち誕を廣州に徙す。盧循は廣州に據し、誕を以て其の平南府長史と為し、甚だ之を賓禮す。誕は久しく思歸の客として乃ち循に說きて曰く:「下官は流遠され此に在り、殊眷を被蒙し、士は知己を感じ,實に報答を思う。本より戎旅に非らば、此に在りては用いらる無し。素より劉鎮軍に識らる所と為り、情味は淺からず、若し北歸を得たらば、必ずや任寄を蒙り、公私の際會にては厚恩に報いんと思い、愈いよ此に停ぜるにて、歲月は空移す」と。循は甚はだ之を然りとす。時の廣州刺史の吳隱之も亦た循に拘留さる所と為り、誕は又た曰く:「將軍は今、吳公を留めど、公私の計に非ず。孫伯符は豈に華子魚を留めんと欲せざらんや、但だ一境を以て二君を容れざるのみ」と。是に於いて誕、及び隱之は並べて還ぜるを得る。


(宋書52-5_胆斗)




五斗米道の盧循は、いちど劉裕に散々にぼてこかされて広州に落ち延び、そこを治めていた呉隠之を襲って番禺を奪い取った。つまり謀反だ。本来なら、許されることじゃない。


が、建康は建康で桓玄の簒奪→劉裕のクーデターと、まともに征討軍を立ち上げられる状態じゃない。なんとか国内を安定させる必要があった。


盧循と、劉裕。どちらにも力を蓄える時間が必要だった。そして王誕がその調整役として見事に橋渡しをした、しかも呉隠之を円満な形で奪還した上で。


……いやー、この人のネゴシエーターっぷりヤベー、マジでヤベー。元顕と桓玄との間の綱渡りもヤベーし。改めて読んだらしびれましたわ。ほんにこのひとかっちょよくて好き。



王湛と桓脩の関係(@深山さん)

王恬─┬─王混───王誕

   └─王女宗

      │

     桓沖

      ├───桓脩

     庾姚


孫策と華歆

のちに魏の太尉となる華歆だが、しばらく孫策のもとに仕えていた。だが曹操よりの召喚を受け、魏に帰還。その時呉の士大夫層は総出で華歆の帰還を悲しんだと言う。ぶっちゃけこの頃孫策は死んでおり、とどめおこうとしたのは孫権そんけんなのだが、盧循を勇猛果敢な将であるとヨイショするために置き換えたのだろう。

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