劉道憐6 功臣配祀    

432 年、劉義隆りゅうぎりゅうは詔勅を下す。


古より明哲なる王は

法に則り賞罰を下し、

それらの功績を以て宗廟に祀られる。


よって朕は、先帝がしゅう以来の

皇統を継いで来られたことを

祀りたく思う。


漢より晋に至るまで、

代々の帝の功績は明らかである。

その中で先帝は天地より命を受け、

乱を鎮め、駿明なる配下らと共に

社稷の霊を鎮撫した。


そこに力を尽くしたものと言えば、

六名。すなわち、

 劉道憐りゅうどうれん様、

 劉道規りゅうどうき様、

 劉穆之りゅうぼくし様、

 王弘おうこう様、

 檀道済だんどうさい殿、

 王鎮悪おうちんあく様である。


あるいは天道を世に広められ、

あるいは雅量を天下に鳴らされ、

あるいは英知にて前途を開かれた。

これらは周公旦しゅうこうたん伊尹いいん邵公奭しょうこうせき

比較しうる大功であろう。


朕には未だ德少なく、

先人の偉業を継ぎ、

道を収め、法を貴ばんとし、

なお大いなる功を

建てられたとは言えぬ。

故に寸暇も惜しまず、

務めゆかねばならぬ。


そしていまは先人らの偉業を忘れぬよう、

こうして改めて彼らを祭祀し、

その偉大なるを忘れず、

広く、長く世に伝えゆきたい。




太祖元嘉九年,詔曰:「古者明王經國,司勳有典,平章以馭德刑,班瑞以疇功烈,銘徽庸於鼎彝,配祫祀於清廟。是以從饗先王,義存商誥,祭於大蒸,禮著周典。自漢迄晉,世崇其文,王猷既昭,幽顯咸秩。先皇經緯天地,撥亂受終,駿命爰集,光宅區宇,雖聖明淵運,三靈允協,抑亦股肱翼亮之勤,祈父宣力之効。故使持節、侍中、都督南徐兗二州揚州之晉陵京口諸軍事、太傅、南徐兗二州刺史長沙景王,故侍中、大司馬臨川烈武王,故司徒南康文宣公穆之,侍中、衞將軍、開府儀同三司、錄尚書事、揚州刺史華容縣開國公弘,使持節、散騎常侍、都督江州豫州西陽新蔡晉熙四郡軍事、征南大將軍、開府儀同三司、江州刺史永脩縣開國公道濟,故左將軍、青州刺史龍陽縣開國侯鎮惡,或履道廣流,秉德沖邈,或雅量高劭,風鑒明遠,或識唯知正,才略開邁,咸文德以熙帝載,武功以隆景業,固以侔蹤姬旦,方[車+丸]伊、邵者矣。朕以寡德,纂戎鴻緒,每惟道勳,思遵令典,而大常未銘,從祀尚闕,鑒寐欽屬,永言深懷。便宜敬是前式,憲茲嘉禮,勒功天府,配祭廟庭,俾示徽章,垂美長世,茂績遠猷,永傳不朽。」


(宋書51-6_傷逝)




……と言う感じかなあ。

詔勅文は難しいっす。


ただ、ある程度定型文になってるから、

二字ごとに検索かければ、

意味は見えてくるのかもしれません。



周公(姫旦)、邵公(姫奭)

共に周を打ち立てた文王ぶんおうの弟。まぁ後者については推測でしかありませんが。旦は言わずとしれた「兄王を補佐した弟の代表格」だけど、奭も旦と一緒に文王を大いに助けた四人の補佐(残り二人は太公望呂尚たいこうぼうりょしょう太史尹佚たいしいんいつ……もしかしたら原文中の伊は尹佚のことかもしれない? そしたら今度は太公望がいないのも意味わからんしなぁ)として名が挙げられている。


伊尹

いん湯王とうおうの参謀。まぁただ正直確定しきれない。どうもこの名前の並び順は法則性が見いだせなさすぎる。「古の聖王を大いに助けたサポーターたち」という共通項で結べさえすれば誰でも良さそうではあるけれど、うーん。

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