劉道憐5 兄弟ともに死す 

422 年の春、劉裕りゅうゆうが倒れると、

三十人の護衛を付けられた。


劉裕の側につくため劉道憐りゅうどうれんは宮城入りし、

自らの府には副官の陸仲元りくちゅうげんを待機させる。


このとき桓玄かんげんらとともに殺された者、

刁逵ちょうきの子、刁彌ちょうびがテロリストとなり、

数十人を率いて京口けいこうに押し寄せた。

陸仲元は迎撃し、彼らを殺した。


このとき陳㹠ちんとんと言う人物が

刁彌のはかりごとを察知、

陸仲元に密告していた。

このため陳㹠は二十万銭の褒賞を受け、

県令に叙任された。


5月、劉裕が死亡。

慟哭のあまり、劉道憐は葬式にも

参列できないほどであった。

そして翌6月に死亡。55歳だった。


太傅たいふを追贈され、

その他の官位は据え置き。

その葬礼は司馬懿しばいの弟、司馬孚しばふ

西晋の天下統一後に死去した時の

式辞に則り行われた。


なおこの式辞は後漢ごかん劉蒼りゅうそう

劉秀りゅうしゅうの息子の時の式辞に

則ったものでもあった。


鸞輅九旒、黃屋左纛、轀輬、

挽歌二部,前後部羽葆、

鼓吹,虎賁班劍百人、とのことである。


なるほど、完全に理解した。




三年春,高祖不豫,加班劍三十人。時道憐入朝,留司馬陸仲元居守,刁逵子彌為亡命,率數十人入京城,仲元擊斬之。先是,府史陳㹠告彌有異謀,至是賜錢二十萬,除縣令。五月,宮車晏駕,道憐疾患不堪臨喪。六月,薨,年五十五。追贈太傅,持節、侍中、都督、刺史如故。祭禮依晉太宰安平王故事,鸞輅九旒,黃屋左纛,轀輬,挽歌二部,前後部羽葆、鼓吹,虎賁班劍百人。


三年の春、高祖の不豫せるに、班劍三十人を加う。時に道憐は入朝し、司馬の陸仲元を留め居守せしめ、刁逵の子の彌の亡命を為せるに、數十人を率い京城に入らば、仲元は擊ちて之を斬る。是の先、府史の陳㹠は彌に異謀を有し、是に至りて錢二十萬を賜り、縣令に除す。五月、宮車の晏駕せるに、道憐は疾患し喪に臨むに堪えず。六月に薨ず、年は五十五なり。太傅を追贈され、持節、侍中、都督、刺史は故の如し。祭禮は晉の太宰の安平王が故事に依り、鸞輅は九旒、黃屋左纛,轀輬,挽歌二部,前後部羽葆、鼓吹,虎賁班劍百人なり。


(宋書51-5_衰亡)




この陸仲元という人は郡陸氏だったりするんでしょうかね。この頃になると呉郡四姓はすっかり影が薄くなっていますね。

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