胡藩4  劉裕と胡藩   

劉毅りゅうき討伐に従軍した。


ところで劉毅、任地の宣城せんじょうから荊州けいしゅう

移鎮しようか、という時、

いちど京口けいこうに墓参りをしたい、

と申し出てきた。


東道とうどうと呼ばれる幹線道路づたいに

京口に向かえば、途中で倪塘じとう

建康けんこうから数キロのところを通る。

劉毅ほどの立場のものであれば、

一度建康に立ち寄るのが筋だろう。

だが、劉毅。通過しようとした。


なので劉裕りゅうゆう、自ら倪塘に出向く。


そこでちょっとした宴が開かれたのだが、

その席で、胡藩こはんが劉裕に囁いた。

ここで劉毅を殺しておくべきだ、と。

その案は却下されたのだが。


そして時は下り、劉毅討伐のとき。

劉裕、隣に立つ胡藩に向け、言う。


「お前の倪塘での申し出に従っときゃ、

 こんな手間も省けたんだろうにな」



司馬休之しばきゅうし討伐にも従軍。

主攻の徐逵之じょきしをサポートする、

遊軍としての立ち回りが求められた。

が、徐逵之が敗死。


劉裕さん激怒である。

後方の馬頭岸ばとうがんに控えていたはずが、

いきなり川を渡り、江津こうしん

つまり司馬休之が陣を張る地に接岸。

無茶苦茶である。


陣を張る場所なだけあり、

岸壁は十数メートルもの高さに

そそり立っている。

こんなところを強引に登ろうものなら、

すぐに蜂の巣になるのが関の山だ。


そんな無茶な命令を、劉裕、

胡藩に発した。


「は?」


胡藩、思わず疑念が顔に出る。

劉裕、そしたら大爆発。

剣をもってこい、こいつを切る!

そんなことまで言い出す。


その様子を見た胡藩、

くるりと踵を返すと、言う。


「どうせ死ぬならば、この胡藩、

 潔く敵の戈矛に掛かりましょうぞ!」


岸壁に取り付き、小太刀で手掛かりを得。

足の指をズタボロとし、

しかし、胡藩、ついには登り切る。

その後ろには、多くの追従もあった。


もとより失ったはずの命である。

胡藩たちの戦いぶりは凄まじかった。

司馬休之軍では相手にならず、

陣容が大いに乱れる。


胡藩がぶち開けた風穴に、他の軍も乗る。

こうして司馬休之軍は崩壊したのだった。





從伐劉毅。毅初當之荊州,表求東道還京辭墓,去都數十里,不過拜闕。高祖出倪塘會之。藩勸於坐殺毅,高祖不從。至是謂藩曰:「昔從卿倪塘之謀,無今舉也。」又從征司馬休之,復為參軍,加建武將軍,領游軍於江津。徐逵之敗沒,高祖怒甚,即日於馬頭岸渡江,而江津岸峭,壁立數丈,休之臨岸置陣,無由可登。高祖呼藩令上,藩有疑色,高祖奮怒,命左右錄來,欲斬之。藩不受命,顧曰:「藩寧前死耳!」以刀頭穿岸,劣容脚指,於是徑上,隨之者稍多。既得登岸,殊死戰,賊不能當,引退。因而乘之,一時奔散。



劉毅を伐てるに從う。毅の初に當に荊州に之かんとせるに、表じ東道にて京に還じ墓を辭さんと求め、都を去ること數十里なれば、拜闕に過せず。高祖は倪塘に出で之に會す。藩は坐にて毅を殺さんことを勸めど、高祖は從わず。是に至りて藩に謂いて曰く:「昔、卿の倪塘の謀に從わば、今の舉は無かりたるなり」と。又た司馬休之を征せるに從い、復た參軍と為り、建武將軍を加えられ、江津にて游軍を領す。徐逵之の敗沒せるに、高祖が怒り甚だしく、即日にて馬頭岸にて江を渡り、江津が岸は峭にして、壁は數丈に立ち、休之は岸に臨みて陣を置き、登るべき由無し。高祖は藩を呼び令し上らしめんとせば、藩に疑色有り、高祖は奮怒し、左右に命じ錄し來たらしめ、之を斬らんと欲す。藩は命を受けず、顧て曰く:「藩は寧ろ前みて死にたるのみ!」と。刀頭を以て岸を穿ち、脚指を劣容し、是に於いて徑ちに上り、之に隨いたる者は稍か多し。既に登岸せるを得たらば、殊に死戰し、賊は當る能わず、引退す。因りて之に乘ざば、一時にして奔散す。



(宋書50-4_暁壮)




劉裕と言えば、その怒りも他者をコントロールさせるために使う印象がありますが、この怒りは思い通りに推移しない状況への苛立ち、つまりただの癇癪、八つ当たりの類のようにも見えます。つまり、自らの感情を抑え切れていない。この頃には相当劉裕自身の判断力も鈍っていたんでしょうね。だって司馬休之戦って、きっちり戦力揃えて各方面から攻め寄せれば、簡単にひねりつぶせたはずだもの。ここで劉裕が拙劣な特攻をかける意味がまるで無い。


なので自分は、この劉裕の怒りを「精気が漏れ出てしまっている」と認識します。そして、理不尽だとわかりつつも従う胡藩。偶然武功を挙げられましたが、問答無用の死地であったのは間違いがないはず。こんな無様な攻め手、これまでの劉裕なら決して取らなかったでしょう。


後の後秦こうしん討伐では「謝晦しゃかいが策略のほとんどを担当した」とありますが、その頃になると、たぶん劉裕自身上手く頭が回ってなかったんじゃないでしょうか。もはやこの頃の劉裕は、放っておいても勝手に高みに押し運ばれる立場。もはや降りたくとも降りることは叶わない。


南史なんしでは、晩年の劉裕が昔の戦傷に苛まれ続けていたことが描かれます。その様子が、とにかく半端ない。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888050025/episodes/1177354054889140130


こんなん常に高熱発しちまってるようなもんでしょう。そしたらもう、「なるようになってくれ、その代わり子孫にはひどい目に遭ってほしくない」くらいのあきらめの境地に達してしまってもおかしくない。それで王弘おうこう伝にある「俺はこんな立場になんてなる気がなかった」なる言葉は、文字通りの意味だったのではないかな、と思うのです。そして王弘は「ふざけんなよ、今更降りるとかできると思ってんのか」と釘を刺した。


……と言う感じが好みです☆

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