毛脩之3 陳情
この遠征の時、
そこで
「生まれの地を重んぜよ、
と耳にしたことがございます。
我が出生の地、
在りし日の精気を失っております。
そしてかたじけなくも
大任を拝領したというのに、
いま、遠征は停滞。
この情けなき有様に、
私は涙せずにおれません。
というのも、鮑陋殿です。
かれは
そこで進軍の決断を
先延ばしにしております。
いま、このタイミングが、
攻め入るべき機だといいますに!
私は、この命をなげうってでも、
たとい救援がなかろうと、
蜀の地を平定したいと思っております。
履き物を忘れるほど激憤致しました。
まして我が伯父、父は、
家を擲ってでも国に殉じられた。
しかし
兵を繰り出す機会を待ち、
期、いたれりと見るや、一挙に動き出した。
今、私は建康に戻り、
陛下の威光に臨みつつも、
西の地を見、涙にくれております。
内に身内を害された恥を抱き、
外には陛下より賜った
大いなる恩を背負っております。
情で動くわけには参りますまい。
また、伯父の任地を継ごう、
と言うつもりもございません。
ただただ、あの逆賊を討ち取りたい。
そう考えております。
士卒に先んじ、
あの賊の跋扈する地に赴き、
手ずからあの賊めを斬り殺し、
かの地を取り戻してみせましょう。
そして、我が身朽ちたる日には、
蜀をお取戻しになった先の帝に、
蜀土を一時でも失った不徳を
謝罪せずにはおれません」
改めて蜀征伐の軍を発した。
しかし軍は
功を上げられずに撤退。
この事態を受け、譙縱は
返還した。
時益州刺史鮑陋不肯進討、脩之下都上表曰:「臣聞在生所以重生、實有生理可保。臣之情地、生途已竭、所以未淪於泉壤、借命於朝露者、以日月貞照、有兼映之輝、庶憑天威、誅夷讎逆。自提戈西赴、備嘗時難、遂使齊斧停柯、狡豎假息。誠由經路有暨、亦緣制不自己。撫影窮號、泣望西路。益州刺史陋始以四月二十九日達巴東、頓白帝、以俟廟略。可乘之機宜踐、投袂之會屢愆。臣雖効死寇庭、而理絕救援、是以束骸載馳、訴寃象魏。昔宋害申丹、楚莊有遺履之憤、況忘家殉國、尠有臣門、節冠風霜、人所矜悼。伍員不虧君義、而申包不忘國艱、俟會佇鋒、因時乃發。今臣庸踰在昔、未蒙宵邁之旗、是以仰辰極以希照、眷西土以灑淚也。公私懷恥、仰望洪恩、豈宜遂享名器、比肩人伍。求情既所不容、即實又非所繼、但以方仗威靈、要須綜攝、乞解金紫寵私之榮、賜以鷹揚折衝之號。臣之於國、理無虛請。自臣涉道、情慮荒越、疹毒交纏、常慮性命隕越、要當躬先士卒、身馳賊庭、手斬凶醜、以攄莫大之釁。然後就死之日、即化如歸、闔門靈爽、豈不謝先帝於玄宮。」高祖哀其情事、乃命冠軍將軍劉敬宣率文處茂、時延祖諸軍伐蜀。軍次黃虎、無功而退。譙縱由此送脩之父、伯及中表喪、口累並得俱還。
(宋書48-15_傷逝)
しゅごい。全然意味が取れない。
なので超訳&超訳&超訳です。
マジでこう言うのの意味を
ある程度取れるようになんないと
重要な情報を取りこぼしそうですねー。
そしてこの陳情、南史では
バッサリカットされてます。
まぁそうだよね……
やたら難しい割に何の情報もないしね……
楚荘公&申舟
隣国の宋をボコボコにしてやろうと、散々宋に対して挑発行為を取った。その一環として申舟に命じてわざと宋国内を通行させたところ捕まり、殺された。これに激怒、荘公は宋を攻め立てるも籠城戦で守り切られ、失敗。うーんなんだこれ、自爆じゃねえか。
伍子胥&申包胥
共に楚の国の人。暗君だった当時の楚王に親を殺された伍子胥は楚を滅ぼさんと誓い出奔、呉入りして楚を脅かす。しかし計画の途中で呉王に裏切りを疑われ、怒りのあまり自決。その後満を持して楚に襲い掛かってきた呉軍を申包胥が打ち破った。二人は親友であり、片や楚に復讐を志し、片や楚を守らんと志したわけだが、そもそも二人は親友であった。呉をフルボッコにした申包胥は、「俺の親友を切り捨てやがった呉に、これで復讐ができた」と言ったという。
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