朱齢石5 文武両道の人
あるときには文官仕事を任せるなどした。
その職能下にてトラブルがあり、免職。
しかし南燕制圧後にはすぐ復職。
劉裕軍本軍を任された。
盧循が決死隊数千人を編成し、
建康南部を流れる川、
南燕で吸収した
朱齢石に与え、秦淮河を渡り、突撃させる。
凄まじい統率力で騎兵を指揮した朱齢石、
一戦のもとに数百人を殺し、
朱齢石は武力のみならず、
その高い事務処理能力で
軍中の諸雑務を手早くこなす。
そのため劉裕も、朱齢石に
多くの軍事務を任せた。
五斗米道軍が平定されると、
また412年には、
劉裕の
もっともこちらは
高祖又召為參軍,補徐州主簿,遷尚書都官郎,尋復為參軍。從征鮮卑,坐事免官。廣固平,復為參軍。盧循至石頭,領中軍。循選敢死之士數千人上南岸,高祖遣齡石領鮮卑步矟,過淮擊之。率厲將士,皆殊死戰,殺數百人,賊乃退。齡石既有武幹,又練吏職,高祖甚親委之。盧循平,以為寧遠將軍、寧蠻護軍、西陽太守。義熙八年,高祖西伐劉毅,齡石從至江陵。
高祖は又た召じ參軍と為し、徐州主簿に補せられ、尚書都官郎に遷り、尋いで復た參軍と為る。鮮卑を征すに從い、事に坐し免官す。廣固の平ぐるに、復た參軍と為る。盧循の石頭に至るに、中軍を領す。循は敢死の士數千人を選びて南岸に上らしむ。高祖は齡石を遣りて鮮卑步矟を領ぜしめ、淮を過りて之を擊たしむ。將士を厲しく率い、皆な殊に死戰せば、數百人を殺す。賊は乃ち退く。齡石は既に武幹有れど、又た吏職にも練け、高祖は甚だ親しく之に委ぬ。盧循の平ぐるに、以て寧遠將軍、寧蠻護軍、西陽太守と為す。義熙八年,高祖の西に劉毅を伐てるに、齡石は從いて江陵に至る。
(宋書48-5_暁壮)
この辺の話を見る感じだと将としてはすごいけど、なかなか帥として使うのが難しい、という感じだったのかもしれませんね。そうすると次に来る蜀攻めの話は、朱齢石にとって一つの試金石になっていたのかもしれない。
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