朱齢石3 桓氏への恩   

桓玄かんげん一派が建康けんこう入りすると、

朱齡石しゅれいせきもまた護衛として

常に桓謙かんけん桓脩かんしゅうの側にあった。


桓脩が京口けいこうに入ると、

その幹部としてともに出向。

ならば、このタイミングで

劉裕りゅうゆうと知り合ったことになる。


劉裕が桓脩を殺し、

クーデターを立ち上げると、

幹部として合流はする。


義は、確かに劉裕にある。

朱齢石自身、それは

否定しきれないところではあった。


しかし、彼らは自分に取り、

兄弟のようなもの。


京口を出発し、初めて桓玄軍と

対面したのが、江乘こうじょう村付近。

ここで朱齢石、劉裕に言う。


「我々は、代々桓氏より

 厚恩を受けてまいりました。


 いまここで桓氏と剣を結ぶのは、

 どうしてもためらわれます。


 どうか、私めを後方に配置しては

 下さいませんでしょうか」


劉裕、この申し出に義侠心がうずく。

よろしい、ではそうしなさい。


このことで朱齢石、劉裕の目に

掛けられるようになったのだろう。

桓玄打倒後、改めて劉裕の幹部として

取り立てられた。


官位は武康ぶこう令、寧遠ねいえん將軍である。




初為殿中將軍,常追隨桓脩兄弟,為脩撫軍參軍,在京口。高祖克京城,以為建武參軍。從至江乘,將戰,齡石言於高祖曰:「世受桓氏厚恩,不容以兵刃相向,乞在軍後。」高祖義而許之。事定,以為鎮軍參軍,遷武康令,加寧遠將軍。


初にして殿中將軍と為り、常に桓脩兄弟に追隨し、脩の撫軍參軍と為り、京口に在す。高祖の京城を克せるに、以て建武參軍と為る。從いて江乘に至り、將に戰わんとせるに、齡石は高祖に言いて曰く:「世々桓氏が厚恩を受くらば、兵刃を以て相い向かうを容れず、軍後に在すを乞う」と。高祖は義とし之を許す。事の定むるに、以て鎮軍參軍と為し、武康令に遷り、寧遠將軍を加えらる。


(宋書48-3_直剛)




この辺はあれかな、桓脩の部下として付き従ってはいたけど桓脩の死によって劉裕配下とはなった、しかし、という感じで考えるべきなのかしら。そうするとそれを言い出すことすら命がけではあるし、なら劉裕もその胆力にほほう、と唸りますですね。

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