劉敬宣15 死と、その後 

晋の皇族の末端に

司馬道賜しばどうしという人物がいた。

かれは劉敬宣りゅうけいせんの幹部として働いていた。


劉裕りゅうゆう司馬休之しばきゅうし討伐に動いていた頃、

司馬道賜は同僚の辟閭道秀へきりょどうしゅう

及び武将の王猛子おうもうしらと密かに結託、

謀反を図った。


司馬道賜はせい王を自称。

辟閭道秀を青州せいしゅう刺史とし、

広固こうこ城にて兵を集め、挙兵。

司馬休之に呼応する形をとった。


劉敬宣は辟閭道秀を呼び、

人払いの上、一体どういうことかを問う。


その後ろには、王猛子。

周りには、他には誰もいない。


そして、ついに王猛子は劉敬宣を捕まえ、

佩いていた刀で、殺した。

享年45。


広固城の兵士たちはすぐさま

司馬道賜、王猛子らを征伐。

皆殺しとした。


ある夜、劉敬宣は部下と宴会をしていた。

その時、突然空中に巨大な草履が出現。

その草履は、劉敬宣の食事の上に落ちた。


長さはおよそ80センチメートルほど。

既に何回か履かれたものであったため、

すでに草履の鼻緒はちぎれていた。


劉敬宣が殺されたのは、

その後間もなくである。


葬儀にて、劉裕はおおいに慟哭した。

封爵地は子の劉祖りゅうそが継いだが、

劉裕が帝位につくと、取り潰しとなった。




司馬道賜者,晉宗室之賤屬也。為敬宣參軍。至高祖西征司馬休之,道賜乃陰結同府辟閭道秀及左右小將王猛子等謀反。道賜自號齊王,以道秀為青州刺史,規據廣固,舉兵應休之。敬宣召道秀有所論,因屏人,左右悉出戶,猛子逡巡在後,取敬宣備身刀殺敬宣,時年四十五。文武佐吏即討道賜、猛子等,皆斬之。先是,敬宣未死,嘗夜與僚佐宴集,空中有放一隻芒屩於坐中,墜敬宣食盤上,長三尺五寸,已經人著,耳鼻間並欲壞。頃之而敗。喪至,高祖臨哭甚哀。子祖嗣。宋受禪,國除。


司馬道賜なる者、晉宗室の賤屬なり。敬宣の參軍と為る。高祖の西に司馬休之を征せるに至り、道賜は乃ち同府の辟閭道秀、及び左右の小將の王猛子らと陰結し反せんと謀る。道賜は齊王を自號し、道秀を以て青州刺史と為し、廣固に規據し、舉兵し休之に應ず。敬宣は道秀を召し論ぜる所を有さば、因りて人を屏い、左右は悉く戶に出で、猛子は逡巡し後に在り、敬宣を取りて身に備えたる刀にて敬宣を殺す、時に年四十五なり。文武佐吏は即ち道賜、猛子らを討ち、皆な之を斬る。是の先、敬宣の未だ死なざるに、嘗ての夜に僚佐と宴集せば、空中に一隻なる芒屩を坐中に放ぜる有らば、敬宣が食盤が上に墜つ。長きは三尺五寸にして、已にして人の著きたるを經て、耳鼻間は並べて壞さるを欲す。之の頃にして敗す。喪の至れるに、高祖は臨みて哭せること甚だ哀し。子の祖が嗣ぐ。宋の受禪せるに、國を除かる。

(宋書47-24_衰亡)




子祖嗣。宋受禪,國除。

子祖嗣。宋受禪,國除。

子祖嗣。宋受禪,國除。


いや、あの、待って?


ちょっと「劉牢之家」の崩壊早すぎません? ねぇ劉裕さん、本当に劉牢之に恩義感じてた? 怖い……最後の最後でなんか怖い話を読んでしまったぞ……


殺害までの流れとしては司馬休之があらかじめ司馬道賜に、それこそ何らかのエサでもって劉敬宣の軍府を乗っ取らせようとしたのかもしれないですね。だからこそ司馬休之の上表には「劉敬宣も対劉裕戦線に結託した」と書かれていた。ただ司馬休之の見立て違いは、司馬道賜に人心収攬なんて腹芸がまるでできないひとであった、ということで。うーん残念。


それにしても宴会エピソード、なんでいきなり志怪やねんって感じですわね。

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