劉敬宣14 針の筵    

劉裕りゅうゆう劉毅りゅうきを討伐に出た時、

諸葛長民しょかつちょうみん太尉たいい府、

つまり劉裕の事務所を守る役割を得た。


そんな諸葛長民から、

劉敬宣りゅうけいせんに宛てて手紙が来る。


「劉毅のバカが自滅してつぶれやがった。

 これで邪魔者はいなくなる。


 どうだ、この辺で

 ドカンと一山当てねえか?」


ドカンと一山。

既に諸葛長民も、劉敬宣も

「富貴の立場」にある。


それ以上の富貴、と言えば。


劉敬宣は返信する。


桓玄かんげん打倒以来、間もなく十年。

 その間には畏れ多くも

 三州七郡をお任せいただけている。


 私がこの劉毅征伐に恐れるのは、

 いつ自分に災いが振り掛かるのか、

 という事だ。


 満たされることは避け、

 損なわれるところにいるべきだ。

 そう考えているよ。


 一山など、敢えて求める理由がない」


劉敬宣、諸葛長民からの手紙については

劉裕に提出した。


それを見た劉裕、

側近の王誕おうたんに読ませ、言う。


「敬宣が俺に背くことはなさそうだな」




時高祖西討劉毅,豫州刺史諸葛長民監太尉軍事,貽敬宣書曰:「盤龍狼戾專恣,自取夷滅,異端將盡,世路方夷,富貴之事,相與共之。」敬宣報曰:「下官自義熙以來,首尾十載,遂忝三州七郡。今此杖節,常懼福過禍生,實思避盈居損;富貴之旨,非所敢當。」遣使呈長民書,高祖謂王誕曰:「阿壽故為不負我也。」


時に高祖の西に劉毅を討てるに、豫州刺史の諸葛長民は太尉軍事を監じ、敬宣に書を貽して曰く:「盤龍は狼戾を專恣し、自ら夷滅を取り、異端は將に盡きんとし、世路は方に夷されんとす。富貴の事、相い之と共とせん」と。敬宣は報えて曰く:「下官は義熙より以來、首尾は十載にして、遂には忝くも三州七郡す。今、此の杖節にては、常に福過禍生を懼る。實に盈なるを避け損なるに居せんことを思ゆ。富貴の旨、敢えて當る所に非ざらん」と。使を遣りて長民が書を呈せしまば、高祖は王誕に謂いて曰く:「阿壽は故より我に負きたるを為ざざりたるなり」と。


(宋書47-23_直剛)




劉敬宣が、油断すれば自分もすぐ劉毅と同じ立場になるであろうことを恐れている感じですね。恩人の息子として取り立てられ、立身出世こそしたものの、劉裕にとってはそれでもやはり目上、という意識は抜けきらない。そう言う立場であることに、どうしても危うさは隠し切れなかったんでしょう。そうやって考えると、劉敬宣の立場って針の筵だよなぁ。


王誕

割と劉裕の幹部的な動きを取ることも多い人。傅亮ふりょうと劉裕の書記的な役割を争った感じもある。劉裕即位の頃、やや琅邪ろうや王氏が中枢から遠ざけられていた印象があるのがちょっと面白いです。この辺少し419-422年あたりの人事から探れるかなあ。

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