劉敬宣12 孔融と太史慈 

劉敬宣りゅうけいせんといえば部下に優しく、

また多芸の人であった。

弓、馬、音楽。なんでもござれである。


この頃尚書僕射しょうしょぼくしゃとなっていた謝混しゃこん

自らの才覚に自負心を抱いていた。

そのためみだりに他者と交流を

深めることはなかったのだが、

劉敬宣と知り合ったときには、

たちまち礼を尽くして交流した。


そんな謝混に驚いたひとが、

謝混に質問した。


「えっ、あなた、ただでさえ

 交流をめったにしないと言うのに。


 よりにもよって、

 なぜまたそんな寒門と?」


謝混は言う。


「人と人が知り合うのに、

 生まれや立場など、表向きのもので

 区別しても仕方あるまい。


 ならばそなたに聞くが、

 三国志の時代の儒者、孔融こうゆうが、

 太史慈たいしじを、手厚い友誼の礼をもって

 対応した事を批判する者が、

 かつていただろうか?」




敬宣寬厚善待士,多伎藝,弓馬音律,無事不善。時尚書僕射謝混自負才地,少所交納,與敬宣相遇,便盡禮著歡。或問混曰:「卿未嘗輕交於人,而傾蓋於萬壽,何也?」混曰:「人之相知,豈可以一塗限。孔文舉禮太史子義,夫豈有非之者邪!」


敬宣は待士を善く寬厚し、伎藝多く、弓馬音律に善かざる事無し。時の尚書僕射の謝混は自ら才地を負い、少きに交納せる所たれば、敬宣と相い遇し、便ち禮を盡くし歡に著く。或るもの混に問うて曰く:「卿は未だ嘗て輕々に人と交わらず、而して萬壽と傾蓋したるは何ぞや?」と。混は曰く:「人の相い知りたるに、豈に一塗を以て限るべけんや。孔文舉の太史子義に禮としたるは、夫れ豈に之を非とせる者有らんや!」と。




孔融と太史慈

曹操そうそうに処刑されました、という結末が有名な建安七子の孔融こうゆうさん。黄巾党こうきんとうの産地として有名な青州せいしゅうの長官として赴任して、そこで後に孫策そんさくの下につく猛将、太史慈たいしじと交流をしたという。


太史慈が亡命すればその母を孔融が匿い、孔融が黄巾党の残党に苦しめられれば、太史慈が敵軍の囲みを単騎で突破、隣国の劉備りゅうびに救援を求め、窮地を脱出。助けられた孔融は「わが若き友よ」と太史慈に礼を尽くしたそうである。イイハナシダナー。


しかし謝混さんの振る舞いについては気になりますね。かれは後に劉毅りゅうきシンパとして殺されています。そして劉敬宣は劉毅と対立関係にある。うーん、ここは利害を超えた交わりがあったと考えるべきか、あるいは劉毅の伝が粉飾の上ここにねじ込まれたと見なすべきか。ってそれはさすがにうがちすぎかしら。


孔融伝が載る後漢書は、宋書が編まれる数十年前の作。クソ魏に哀れ倒されてしまった大いなる漢、みたいな論調の書ではある。なので義を貫いて曹操に殺された孔融の評価は高かったはずだ。いやあいつ、口調も性格も最悪だけど。ともあれ、そこに自らをなぞらえるってことは、少なくとも「自分がもはや孔融のごとき立場にある」事は確信してたんじゃないか。


そうやって考えると太史慈は「劉裕の簒奪ルートからやや遠い」人物をなぞらえたようにも思えるか。一応劉敬宣と劉裕に距離があったと推論する手がかりにはなるのかもしれない。5%くらいの確率で。

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