劉敬宣10 征蜀失敗   

劉敬宣りゅうけいせんを総大将とし、出発した

征蜀せいしょくのための軍。


四川しせん盆地に入ると、の地で軍を分け、

溫祚おんそには外水がいすいを進ませる。

陽動である。


一方で残りの三千は、

鮑陋ほうろう文處茂ぶんしょも時延祖じえんそに率いさせ、

墊江しつこう経由で進軍した。


軍の先頭に立ち、進軍する劉敬宣。

遂にはねい郡の黃虎こうこ県、

譙縦しょうじゅうのいる成都せいとから

二十キロほどの場所まで到達。


が、ここで譙縦の息子、譙道福しょうどうふく

険阻な地形を頼みとして籠城。

六十日の間に大小十ほどの戦いが

繰り広げられた。


この間譙道福は守りに徹し、出てこない。

劉敬宣もそれ以上は進軍できず、

やがて食料も尽き、陣中には

疫病が広がり始める。


ついには死者が

軍の半ばほどにまで至ってしまい、

そのため劉敬宣、撤退を決意した。


軍を引き始めた晋軍に対し、譙縦。

彼が殺した毛璩もうきょと、その親族、

妻や娘、文處茂の母の氏、

その他緒人士の死体を棺に入れ、

川に浮かばせ、放流した。


劉敬宣はこれらの棺を

回収したのち、帰還。


敗戦の咎を受け、劉敬宣は封爵地の禄を

三分の一にまで削られた。




假敬宣節,監征蜀諸軍事,郡如故。既入峽,分遣振武將軍、巴東太守溫祚以二千人揚聲外水,自率益州刺史鮑陋、輔國將軍文處茂、龍驤將軍時延祖由墊江而進。敬宣率先士卒,轉戰而前,達遂寧郡之黃虎,去成都五百里。偽輔國將軍譙道福等悉眾距險,相持六十餘日,大小十餘戰,賊固守不敢出。敬宣不得進,食糧盡,軍中多疾疫,死者太半,引軍還。譙縱送毛璩一門諸喪,其妻女、文處茂母何,并諸士人喪柩,浮之中流,敬宣皆拯接致歸。為有司所奏,免官,削封三分之一。


敬宣を假節、監征蜀諸軍事とし、郡は故の如し。既にして峽に入らば、振武將軍、巴東太守の溫祚を分遣し二千人を以て外水に揚聲せしめ、自らは益州刺史の鮑陋、輔國將軍の文處茂、龍驤將軍の時延祖を率い墊江を由て進む。敬宣は士卒に率先し、轉戰し前まば、遂には寧郡の黃虎,成都より去ること五百里に達す。偽の輔國將軍の譙道福らの眾は悉く險に距し、相い持せること六十餘日、大小十餘を戰し、賊は固守し敢えて出でず。敬宣は進みたるを得ず、食糧は盡き、軍中に疾疫多かれば、死者は太半となり、軍を引き還ず。譙縱は毛璩一門を送りて諸もろを喪し、其の妻女、文處茂が母の何、并せて諸士人の喪柩、之を中流に浮さば、敬宣は皆な拯接し歸に致す。有司の奏ぜる所と為り免官され、封を三分之一に削らる。

(宋書47-19_黜免)



鮑陋

劉裕に「お前ら戦争できねえんだからすっこんでろ」って言われた過去のある人。あとで毛脩之伝にも出てくる。この人の動向は割と気になる。どこまで劉裕に忠誠を誓ってたのかなあ。


文處茂、時延祖

蜀戦で地味に存在感を示す二人。この二人の動向をうまく拾えると、だいぶ蜀戦線の輪郭が掴めそうな気がする。


溫祚

たぶん重要な人だと思うんですけどねえ…

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