劉敬宣1 幼き孝子
既出:劉裕2、劉裕9、劉裕40
沈林子4、劉懐粛1
劉敬宣、あざなは
そして
祖父は
父はあの
「
見ないふりをする。
劉敬宣が八歲の頃、母が死亡。
劉敬宣、昼夜となく号泣した。
これだけの悲しみを表す幼子を見て、
周囲の人はなんという孝行息子なのだ、
と感動していた。
劉牢之はその幹部として随行することに。
劉敬宣も一緒だった。
四月八日、
人々が仏陀の教えを思い、
仏像を洗う。
それを見た劉敬宣は、母を思い出す。
頭を下げて金鏡を掲げ持ち、
同じように洗ってもらう。
おそらく、母親の形見だったのだろう。
洗ってもらいながら、
やはりこらえ切れず、
劉敬宣は泣き出してしまった。
この様子を見た桓序は嘆息しながら、
劉牢之に言っている。
「そなたのあの子は、あの年にして
孝の心をよく体現しているな。
長ずれば、必ず国の忠臣として
働いてくれることだろうよ」
二十歳になると
後日には
劉敬宣,字萬壽,彭城人,漢楚元王交後也。祖建,征虜將軍。父牢之,鎮北將軍。敬宣八歲喪母,晝夜號泣,中表異之。輔國將軍桓序鎮蕪湖,牢之參序軍事。四月八日,敬宣見眾人灌佛,乃下頭上金鏡以為母灌,因悲泣不自勝,序歎息,謂牢之曰:「卿此兒既為家之孝子,必為國之忠臣。」起家為王恭前軍參軍,又參會稽世子元顯征虜軍事。
劉敬宣は字を萬壽、彭城人にして漢楚元王交の後なり。祖は建、征虜將軍。父は牢之、鎮北將軍。敬宣の八歲にして母を喪じ、晝夜號泣せるに、中表は之を異とす。輔國將軍の桓序の蕪湖に鎮ぜるに、牢之は序が軍事に參ず。四月八日、敬宣は眾人の灌佛せるを見、乃ち頭を下げ金鏡を上げ、以て母が為の灌とし、因りて悲泣せること自勝ならざば、序は歎息し、牢之に謂いて曰く:「卿が此の兒は既にして家の孝子と為りたらば、必ずや國の忠臣と為らん」と。起家し王恭が前軍參軍と為り、又た會稽世子の元顯の征虜軍事に參ず。
(宋書47-10_夙恵)
ここの記述では、劉裕が劉牢之に重んぜられたのが同郷の劉氏であったから、であると語られています。ルートとしては
まぁ、世の中には「今生きている人間のルーツをたどれば皆偉いひとにたどり着く、だって偉くないやつの血統は生活がキープできず死に絶えるから」みたいな身も蓋もない言説もあったりすんですよね。完全に信じることはできませんが、そういった要素は無きにしもあらずな気はします。まして、この頃は今以上に淘汰が激しかった時代。なら「彭城に住んでた劉氏」たちの血統をたどったら、もしかしたら本当に劉交にたどり着いてしまうのかもしれません。
けど、そうやって考えると今度は「え、じゃあ他にもたくさんいる中でどうして劉裕が選ばれたの?」みたいな話にはなってきちゃうのですよね。となると血統、まるで意味がないってことにならない……?
桓序
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