孟龍符2 衆寡敵せず   

南燕なんえん征伐に際し、劉裕りゅうゆう孟龍符もうりゅうふ

歩兵騎兵を統べさせ、前峰とした。


しん軍が臨朐りんく城近くの川にまで来ると、

渡河地点をめぐり、南燕軍と衝突。


ここで孟龍符、単騎で南燕軍に突っ込み、

ぶ ち か ま す。


散り散りになった南燕軍、

川辺で体勢を立て直そうとしたが、

間に合わない。

ついには逃走を開始する。


孟龍符、追いかける。

だが後続は、孟龍符のスピードに

ついていけなかった。


ひとり突出した孟龍符、

数千からなる南燕軍に囲まれ、

袋叩きに。


無論、黙って殺される孟龍符ではない。

手にした矛を振るえば、

一 振 り で 数 人 を 殺 す。


が、衆寡敵せず。

遂には、討ち取られてしまった。

時に孟龍符、33歳。


かれの死を劉裕は深く悲しみ、悼んだ。

青州せいしゅう刺史を追贈した。




高祖伐廣固,以龍符為車騎參軍,加龍驤將軍、廣川太守,統步騎為前鋒。軍達臨朐,與賊爭水,龍符單騎衝突,應手破散,即據水源,賊遂退走。龍符乘勝奔逐,後騎不及,賊數千騎圍繞攻之。龍符奮矟接戰,每一合輒殺數人,眾寡不敵,遂見害,時年三十三。高祖深加痛悼,追贈青州刺史。


高祖の廣固を伐てるに、龍符を以て車騎參軍と為し、龍驤將軍、廣川太守を加え、步騎を統べ前鋒と為す。軍の臨朐に達せるに、賊と水を爭い、龍符は單騎にて衝突し、應手は破散し、即ち水源に據せど、賊は遂には退走す。龍符は勝ちに乘じ奔逐せど、後騎は及ばず。賊は數千騎にて圍繞し之を攻む。龍符は矟を奮いて接戰し、一合の每に輒ち數人を殺せど、眾寡敵せず、遂には害さるを見る。時に年三十三。高祖は深く痛悼を加え、青州刺史を追贈す。


(宋書47-8_暁壮)




孟龍符伝を初めて追った時に「なんでこいつの伝だけこんなに華やかなんだ……もしかしてそんだけ実際に強かったのか?」と思ったのだが、ここまでに沈約しんやくさんの筆致が輝く時には大体粉飾の気配があることから、途中でゲシュペルト決めた辺りとかは「あ、これ例によって盛ったな」と思えて仕方なくなってきた。


平昌へいしょう孟氏は、なんだかんだで劉宋りゅうそうでそれなりの顕族となっていた、と劉穆之りゅうぼくしの息子の伝で書かれている。あと東海とうかい何氏、つまり何無忌かむきの家系。桓玄かんげん打倒クーデターがどれだけ宋朝にとって重大な伝説となっていたかが伺える。

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