孟懐玉2 それでも戦う  

盧循ろじゅん建康けんこうに迫ってきたとき、

孟懷玉もうかいぎょく石頭せきとう城の岩壁を守った。

そこで連戦し、功を挙げる。


五斗米道ごとべいどうの幹部、徐道覆じょどうふく

精鋭を引き連れて石頭城に

攻めかかろうとしたのだが、

孟懐玉の指揮を前に、遂に諦めた。


盧循が逃走に入ると、

孟懐玉ら諸軍は追撃。

広州こうしゅうにまで到達すると、

始興しこうに徐道覆が籠城。


孟懐玉は始興城を攻め、

自らの身を矢や石に晒しながらも

十日ほどで陥落させる。


さらに南に進み、

盧循をも制圧すると、

陽豐ようほう県の男爵に。


412年、

つまり劉裕が劉毅りゅうきを倒した歳。

江州こうしゅう刺史となり、またすぐに

江州と、豫州よしゅうのうち

西陽せいよう新蔡しんさい汝南じょなん潁川えいせん

司州ししゅう弘農こうのう揚州ようしゅう松滋しょうじ

これらの軍事取締役となった。




盧循逼京邑,懷玉於石頭岸連戰有功,為中軍諮議參軍。賊帥徐道覆屢欲以精銳登岸,畏懷玉不敢上。及循南走,懷玉與眾軍追躡,直至嶺表。徐道覆屯結始興,懷玉攻圍之,身當矢石,旬月乃陷。仍南追循,循平,又封陽豐縣男,食邑二百五十戶。復為太尉諮議參軍,征虜將軍。八年,遷江州刺史,尋督江州、豫州之西陽、新蔡、汝南、潁川、司州之弘農、揚州之松滋六郡諸軍事、南中郎將,刺史如故。


盧循の京邑に逼れるに、懷玉は石頭が岸にて連戰し功有らば、中軍諮議參軍と為る。賊帥の徐道覆は屢しば精銳を以て岸に登らんと欲せど、懷玉を畏れ敢えて上らず。循の南走せるに及び、懷玉と眾軍は追躡し,直ちに嶺表に至る。徐道覆は始興に屯結せば、懷玉は之を攻圍し、身に矢石を當てど、旬月にして乃ち陷とす。仍ち南に循を追い、循の平ぐるに、又た陽豐縣男,食邑二百五十戶に封ぜらる。復た太尉諮議參軍,征虜將軍と為る。八年、江州刺史に遷り、尋いで江州、豫州之西陽、新蔡、汝南、潁川、司州之弘農、揚州之松滋六郡諸軍事を督し、南中郎將となり、刺史は故の如し。


(宋書47-5_暁壮)




本当に宋書、孟昶もうちょうとか劉毅との絡みで語ろうとしませんよね。今んとこの予測だと、劉毅側の派閥の官位とか下手に残しちゃうと、思ったよりこの時期の劉裕って突き抜けてなかったのがばれるからなんじゃないかなって思ってるんだけれども。


それにしてもこの建康防衛戦の時の孟懐玉、親族にして孟氏トップの孟昶を自殺で失った直後なわけですよ、その辺りの心のひだ的なもんをさぁ、こう、ちょっとでも描いてくれててもいいんじゃないですかね? ついでに言えばその前の南燕なんえん戦では孟龍符もうりゅうふも失ってんのよ? つまりこの時の孟懐玉ってさいっこーに文学よ?


個人的には「親族は親族、俺は俺。務めを果たすのみ」って果敢に戦いながら、夜中にふと一人になった時に寂寥感を抱いてほしいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る