王懿3  劉裕に投ず   

王懿おういの兄、王睿おうえい

胆力、知力を兼ね備えており、

劉裕りゅうゆうからもこの人あり、と

見出されていた。


なので劉裕は王睿に接近する。

建康けんこうで、王睿に桓玄かんげんを討ってほしい、

そう持ちかけたのだ。


その計画を兄より聞いた王懿、

忠告をする。


「このような重大な計画、外に漏れない、

 などといったことはありません。


 早い段階でことを起こすべきです。

 孫子そんしも言っています、

 ダラダラとしておりながら

 巧みな謀などありえない、と。


 桓玄はちょくちょく夜中に

 外出しております。

 そこさえ狙ってしまえば、

 やつを葬るのに要るのは

 わずか一人の武士で済みましょう」


王懿のこの進言は受け入れられず、

結果時を追うごとに

大きくなっていった計画は露見。

王睿は殺されてしまった。


これを受け、王懿は王睿の忘れ形見、

王方回おうほうかいを抱えて京口けいこうに脱出。

劉裕のもとに逃げ込んだ。


クーデター計画露見。

それが判明した劉裕は直ちに事を起こす。

王懿が京口に到着した頃には、

既に馬上人となっていた、劉裕。


王懿の様子を見、改めて事態を察する。

王方回を抱きしめ、

ともに王睿の死に号泣した。


クーデターが成し遂げられて後、

王睿には給事中、安復あんふく県侯を追贈。

……県侯!? めっちゃ高待遇である。


ともあれ王懿は、

中兵參軍として取り立てられた。




元德果敢有智略,武帝甚知之,告以義舉,使於都下襲玄。仲德聞其謀,謂元德曰:「天下之事,不可不密,應機務速,不在巧遲。玄每冒夜出入,今若圖之,正須一夫力耳。」事泄,元德為玄所誅,仲德奔竄。會義軍克建業,仲德抱元德子方回出候武帝,帝於馬上抱方回,與仲德相對號泣,追贈元德給事中,封安復縣侯,以仲德為中兵參軍。


元德は果敢にして智略を有し、武帝は甚だ之を知り、以て義舉を告げ、都下にて玄を襲わしめんとす。仲德は其の謀を聞き、元德に謂いて曰く:「天下の事、密かならざるべからず、機に應じ速きを務むべし、巧遲は在らず。玄は每に夜を冒し出入せらば、今、若し之を圖らば、正に一夫が力を須むのみ」と。事は泄れ、元德は玄に誅さる所と為り、仲德は奔竄す。義軍の建業を克したるに會い、仲德は元德が子の方回を抱え出で武帝に候し、帝は馬上より方回を抱き、仲德と相い對し號泣し、元德に給事中を追贈し、安復縣侯に封じ、仲德を以て中兵參軍と為す。

(宋書46-6_傷逝)




建業

晋が東遷するよりも前、江南の地のいち重要都市だった頃の建康けんこうの名前。西晋のラストエンペラー司馬業しばぎょうと字がかぶっているため改称された。


ただし、この改称は南史=唐の時代に編纂された南朝の歴史を綴った書、においては却下されている。つまり建康を建「業」と書くのは、割と「いや南朝さん、あなたがた正統じゃないですからね?」という宣言にも等しい。皇帝じゃないやつの諱をわざわざ避ける必要がないからだ。


となると、王懿伝もこれおそらく、結局は南史の記述を拾っただけに過ぎないのですよね。なんつーかさあ、そういうことするくらいなら欠落でいいじゃんよ、到彦之伝みたく。もしくは到彦之伝も南史記述から編入してやれよ。



あと使役型の文脈から察しろ感が半端ない。「〜せしむ」と「〜せしめんとす」が文型からじゃ判別できないとかどういうことだ。

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