王懿2  江南に投ず   

398年ころ、彭城ほうじょうにまで逃れてきた。


王睿おうえい王懿おうい

彼らの名は司馬懿しばい司馬睿しばえいと言う、

両晋りょうしんの立役者たちと名が被っている。

故に二人は王元徳おうげんとく王仲徳おうちゅうとく

あざなで呼ばれるのが一般的だった。



ところで中原だと、苗字が被ると

家族扱い、と言うことになる。


なので遠くから

同姓の者がやってきたならば、

彼らのために力を尽くし、

助けてやるのが通例であり、

そこをないがしろとすれば、不義。

同門からはハブられかねないほどの

罪深い行いである。

罪深いのである。マジで。


なのに江南に住む太原たいげん王氏、王愉おうゆ

王懿たちがやってきたのに、

全然大切に扱わない。


ちぇっなんだよ、こいつ役に立たねえ!

そうして王懿たちは桓玄かんげんのもとに。


そしたらあんた、その桓玄が

簒奪とかしちゃうじゃないですか。


王懿、この時に

張暢ちょうちゅうという人と話している。


「古来より、易姓革命は

 実権を握ったというだけの一族が

 勢い任せに成し遂げられるものでも

 ございませんでしょう。


 ならば、今皇帝を名乗った者が、

 このまま世を統べられるとは

 到底思えぬのです」




晉太元末,徙居彭城。兄弟名犯晉宣、元二帝諱,並以字稱。睿字元德。北土重同姓,謂之骨肉,有遠來相投者,莫不竭力營贍;若不至者,以為不義,不為鄉里所容。仲德聞王愉在江南,是太原人,乃往依之;愉禮之甚薄,因至姑孰投桓玄。值玄篡,見輔國將軍張暢,言及世事,仲德曰:「自古革命,誠非一族,然今之起者,恐不足以成大事。」


晉の太元の末、徙りて彭城に居す。兄弟が名は晉の宣、元の二帝が諱を犯したれば、並べて以て字にて稱す。睿が字は元德なり。北土にては同姓の重なりたるに、之を骨肉と謂わば、遠來より相い投ぜる者有らば、力を竭くし營贍せざる莫し。若し至らざらば、以て不義と為し、鄉里が容れる所と為らず。仲德は王愉の江南に在りたるを聞き、是れ太原人なれば、乃ち往きて之を依る。愉の之を禮せるに甚だ薄かれば、因りて姑孰に至り桓玄に投ず。玄の篡ぜるに值い、輔國將軍の張暢に見え、言の世事に及ばば、仲德は曰く:「古より革命は誠に一なる族に非ず。然らば今の起ちたる者、以て大事を成すに足らざるを恐る」と。


(宋書46-5_識鑒)




「前秦に仕えていた」父が長男に「敵国東晋の建立者」の名前を付け、更に次男には「敵国晋の始祖」の名前を付けるという、なかなかにパパさんの前秦ぜんしんに対する全力のおもねり、つまり「ワイ晋なんかちょう嫌いなんです! なので苻堅ふけんサマ、あなたに忠義を尽くします!」みたいなものを感じられて爽やかであり、のくせに当の息子たちは晋で働かなきゃいけなくなってちょう肩身狭い思いするとかもはやギャグである。


張暢

微妙に来歴がよくわからない。おそらくは呉郡張氏、次に出てくる張邵ちょうしょうをはじめとした一族の人たちに絡むことになるのだとは思うのだけれど。この一門は様々な勢力のもとに血族を配している雰囲気があり、一門を挙げての生存戦略すげえ、みたいなイメージがある。

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