趙伯符  徐兗の小覇王? 

趙伯符ちょうはくふは、字を潤遠じゅんえんという。

若いころから武芸を磨いていた。


趙倫之ちょうりんし雍州ようしゅう刺史として

襄陽じょうように在任していた時、

趙伯符を竟陵きょうりょう太守とした。


この頃竟陵エリアの蛮族が

しばしば領内を荒らしていたので、

趙伯符は出征し、彼らを撃退。

このことから将帥としての手腕を

知られるようになった。


後日建康けんこうの北部に住居を移した。

そこで義勇軍を結成、

火事や強盗があるごとに甲冑を付け、

かれら動員し、村々を助けて回った。

超伯符のこの振る舞いを、

劉裕りゅうゆうは大いに称賛した。


劉義隆りゅうぎりゅうが即位した時には

じょえん二州刺史、

要は最前線の指揮官に抜擢。


かれの施政は苛烈そのものであり、

役人たちはかれを

狼や虎のごとく恐れたが、

その甲斐もあってか、かれの任期中に

北魏ほくぎ勢力は敢えて

国境を犯そうとはしないのだった。




伯符,字潤遠。少好弓馬。倫之在襄陽,伯符為竟陵太守。時竟陵蠻屢為寇,伯符征討,悉破之,由是有將帥之稱。後為寧遠將軍,總領義徒,以居宮城北,每有火起及賊盜,輒身貫甲胄,助郡縣赴討,武帝甚嘉之。文帝即位,累遷徐、兗二州刺史。為政苛暴,吏人畏之若豺虎,然而寇盜遠竄,無敢犯境。



伯符、字は潤遠なり。少くして弓馬を好む。倫之の襄陽に在りたるに、伯符を竟陵太守と為す。時に竟陵蠻の屢しば寇じたるを為さば、伯符は征討し、悉く之を破り、是の由にて將帥の稱れを有す。後に寧遠將軍と為りて義徒を總領し、以て宮城が北に居し、火の起こり及び賊盜の有りたる每、輒ち身に甲胄を貫き、郡縣を助け赴きて討たば、武帝は甚だ之を嘉す。文帝の即位せるに、徐、兗二州刺史に累遷す。為政は苛暴にして、吏人は之を豺虎が若く畏れど、然して寇盜は遠竄し、敢えて境を犯したる無し。

(宋書46-3_暁壮)




伯符とかマジかよって感じですよね。孫策そんさくじゃないっすか。この辺の名前を背負ったから、なんでしょうか、振る舞い、と言うより書かれっぷりにたっぷりと孫策みを感じます。趙倫之自身も割と武門の出だったのかなー。まぁ劉裕パパと縁談があるような家門なんてそれこそ最前線に身をさらさなきゃいけないような立場の奴らばっかだったろうし、彭城趙氏も荒事には強かったんでしょうね。

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