#No.12
島倉家からは河川敷が目と鼻の先だ。適当に広い場所を見つけ、低い木がふたつ離れて並んでいる場所を陣取る。
「この木の間隔がちょうどゴールと同じくらいの幅だよな」
「高さはどうする?」
「お互いサッカー経験は十年を超えているんだから、勘でわかるでしょ」
芝と砂利とが混じる地面に、ゴールラインを模した直線を足で描いていく。その線が完成すると、彼は直角に歩む歩幅で以て距離を測り、ボールを置いた。彼はこれから何をして競うのか、当然にわかっていた。
PK戦だ。
「何本勝負?」
「一本でいいよ」
「それじゃあ、キッカーが有利すぎる」
「こっちは一部リーグの試合に出たんだぞ。アマチュアの高校生、しかも部活を辞めた奴のシュートなんて、余裕で止めてやる」
「へえ、言ってくれる」
すると、彼はボールに幾度か触って位置を確定すると、後ずさりして助走距離を確保しはじめた。もう勝負を始める気になっている。ラインがなかろうと、制服姿だろうと、やろうと決めたらすぐに戦う準備ができる――サッカーをしていて楽しい瞬間だ。
自分も勝負に向けて気合を入れる。PKを受ける経験はさほど多くないが、練習はよくしてきた。自分なりのルーティンも持っている。小さく跳ねて爪先の筋肉を敏感にし、両手を広げて身体を大きく見せる。加えて表情でもキッカーを威嚇した。
「さあ、来い!」
ホイッスルの代わりに声をかけると、彼はゆっくりと動きはじめる。
目線の向き、爪先の角度、膝の捻り具合、肩の線、胸の張り、前傾姿勢――あらゆる身体の動きの特徴を直感的に観察し、一撃に備える。何度やっても、完璧には相手を捉えきれない。それでも集中力を研ぎ澄ませて、意味ある選択を目指す。
どん、と右足が振り抜かれる鈍い音。
シュートコースは、ゴール右隅の上方。
相手が悪かった、自分の苦手なコースを知っている。しかも、狙うのが難しい浮き球を的確なコントロールで放ってきた。脚のバネを最大限に利用して、左手を目いっぱいに伸ばす。空を飛ぶときは、きっとこんな感覚になるのだろう。
届いて――!
強い回転のかかったボールを左手が弾く。軌道はほぼ真上に逸れて、自分が地面に落ちるのとどちらが先か、背後を跳ねて転がった。視界がぐるぐると回って元に戻らないうちに、歩み寄ってきた彼と審議が始まる。
「止めた!」
「決まった!」
クロスバーもポストもないこの場所で、際どいコースの判定は容易ではない。
「いやいや、掻き出したボールがクロスバーに当たって外に出るから、ノーゴールでしょ」
「違うな。ポストに撥ね返って、ネットを揺らしたはずだ」
転がっていたボールを拾ってきて、双方が主張する軌道を確認しても、審議は平行線を辿るだけ。相手が高く掲げたボールを奪い取って、自分にとっていいように説明する。合意には至らないので、ボールの取り合いになる。
次第に子どもがじゃれ合うのと変わらなくなって、もみくちゃになる。
あるところでバランスを崩して、尻餅をつく。立ち上がるのも面倒になって、そのままに芝生に寝転んだ。公哉は少しバツの悪い顔をするが、彼もまた芝生に腰を下ろし、ふたり並んで大の字になって天を仰ぐ。
「ゴールだったね」
「俺より上手いんだから意地張るなよ」
「だって、二日で六失点なんてひどすぎるから」
「攻撃参加が売りのキーパーでも、起用を躊躇するな」
見上げた先はオレンジ色に染まっている。オフでなければ、トレーニングの始まる大好きな時間帯。柔らかな光、自由になれる輝きだ。
「ねえ、公哉」
「何?」
「好き」
「ごめん」
「即答だね」
「お前が嫌なわけじゃない。誰が相手でも、そういうのは無理なんだ」
「うん、そうだろうと思った」
彼はロッカールームでの性的な話を「気持ち悪い」と拒絶し、汐入涼香の名前を出されて怒り狂った。そのことから、彼は性的な話題はおろか、誰かとそのような関係になること、そういう目を誰かに向けることすら、抵抗があるのだろうと想像できた。
それだけでは不確実な気づきにすぎないが、果音が言っていた、サッカーを理由に告白を断れなくなるという言葉も直感を裏付けていた。「顔が良い」彼は――果音が知りうる範囲でも――複数回異性から好意を受け、ことごとく拒否していたのだ。しかも、毎回サッカーを理由にして。
その真の理由が「汐入涼香が好きだから」というのなら幸せだった。残念ながら、現実と物語は違う。サッカーだってそうなのに、ついうっかり夢を見てしまった。
「知っていたのかよ」
「ごめん、果音から又聞きしたんだ」
「まあ、いいけどさ。漏れないはずがないとは思っていたし」
それにしても。
「もう、どうして好きになっちゃったんだろう!」
抱いていたボールを放り投げる。頭の向こうでバウンドする音が聞こえた。
胸の中は空っぽになった。
「ああ、悔しい! 勝負は負けるし、フラれた! 好きになった! わたしは男よりも女のほうが好きなんだから、こんなはずないのに。ただ気楽に可愛い子を愛でていたい。教室ではアイドルの話がしたい。水崎さんみたいな可愛い子と仲良くなりたい。というかあの子は、電車でチューするな! 果音も、自分が彼氏とイチャイチャしているからってわたしを煽るな! 恋だの愛だの面倒くさい、サッカーさえできればいいんだよ! サッカーが上手くなるなら、男の身体になりたかった。もっと筋肉が欲しい。背を伸ばしたい。髪が短くても変な顔されないでいたい。胸も邪魔! ああでも、下はいまのままでもいいかも。とにかく、『男っぽい』は褒めるときだけにしてくれ! 『涼香』なんて名前も可愛すぎて困っているんだから! 制服のスカートだってうんざり! でも、わたしは女だ! それがダメならいっそ男にしてくれ! わたしはわたしだ、文句言うな!」
試合で出すより大きな声を出したかもしれない。好きなだけ言いたいことを叫んだあとは、喉が焼けるように痛んだ。明日の練習で声が掠れていたら恥ずかしい。それ以前に、誰かに聞かれていたらどうしよう。
隣で寝転ぶ公哉は、始め黙っていたが、やがて堪えきれなくなって笑いだした。
「バカだよ、お前。こんな場所で、そんなこと叫ぶなんて」
からからと笑う彼に、遠慮などない。他人の願いをバカにして笑う。久しぶりに見る彼の笑顔がこんなにも嫌味な笑みだなんて、将来ひどく残念な思い出になってしまうだろう。しかも失恋の直後である。
ああ、笑っているその横顔が好きだ。
「知ってた?」
「全部じゃない。お前が俺を想像するのと同じくらいだと思う」
「そう? それ以上だと思うけど。わたしのことを見ていてくれて嬉しい」
「図体がデカいから嫌でも見えるんだよ」
「それでいいよ。『?』って顔をしないでくれるのは、公哉だけだから」
「本当は誰でも『?』を抱えている。そのくせ、みんな他人のそればかりを見る」
彼はそう言って恰好つけると、「ひひ」と変な声で笑った。
たった一回のPKでも構わない。
同じピッチに立つ――それは一度きりのことではないから。
当分は「?」を抱えたまま、支えきれずに生きていくだろう。そうだとしても、「?」があるうちに何でも楽しんでしまえばいいのだ。どちらかに傾こうとして、倒れて怪我をするよりはずっとマシ。芝生の上で公哉とともに得た自由が、それを許してくれる。
自分が何者になるかはわからない。
その代わり、カッコよくいようよ。
「ちくしょう、やっぱり悔しい!」
闘うハートはできているか? 大和麻也 @maya-yamato
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