36 「うん。クオナのラウル領主だよ」
栗毛の馬に乗った、くすんだ茶色の髪に同じ色の瞳を持った中年の男性はラウルだ。
質のいい皮のシャツを着たラウルの後ろには、唇を結び遠くの山を見ているリリヤがいた。
何をしているんだと思ったが、中庭を通り、駆け足で跳ね橋のもとに向かう。父と同い年の伯爵が自分の姿を認めた。
「セオドアじゃないか、久しぶりにお前を見たぞ」
年に一度ユユラングで開催される、北方一帯の貴族を集めた晩餐会にしか参加しない自分に対する当て付けのような挨拶が降ってくる。
ラウルは足が悪いとはいえ、ここ数年はユユラングにはこの晩餐会くらいしか来ない。それは向こうも同じだ。
顔を上げて男を見上げる。
「僕も久しぶりにあなたを見ました。お元気そうでなによりです」
「ふんっ」
暗にラウルがユユラングに来なかったことを皮肉ると、隣領の伯爵はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
話に一段落ついたからか、己の背丈程ある槍を抱えたジャックが声をかけてくる。
「なあ、この人あんたの知り合いなのか?」
「うん。クオナのラウル領主だよ」
「……ふーん、そうか。そりゃ止めて失礼しました」
説明を受け、緑色の瞳が品定めをするようにラウルに向けられる。
ジャックの視線には遠慮がなく、見ているこちらの背筋が冷たくなったが、伯爵は特に気にしていないようだった。
ラウルの視線は隙さえあれば後ろのリリヤに向けられている。しばらく頭が着いて来なかった。
今までは間者が近くにいないか警戒しているのかと思ったが、今は違う。どうやらこの世界は本当に、領主に幽霊が見えるらしい。
「……ラウルさんはどうしてユユラングに? 従者も付けないなんて珍しいですね」
「ただの散歩だよ。こそこそとはしてるだろうが、邪魔をされたくない散歩に誰が従者を付ける」
吐き捨てるように言った後、同意を求めるようにリリヤを見やる。
だがリリヤは何も言わないし、男を見ようともしない。どう見ても嫌われているのに、ラウルは構わないようだった。
「では散歩ついでに城に入りませんか? 以前から頼んでいる件についてお話しをしたいのですが」
このまま交渉ができれば、と思い話を持ちかけたがラウルは気に入らなかったらしい。馬に乗ったままこちらを見下す目は悪意に満ちていた。
「セオドア。人に物を頼む時は人の家まで出向くのが礼儀だと、お父上に教わらなかったか? まあお前はさぞ甘やかされただろうからな。礼儀を叩き込まれたかも怪しい」
「……申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にしたが、いかに若い領主を虐め抜こうか考えている男はくつと喉を鳴らして笑うだけだった。どうやら交渉はクオナじゃないとやらないようだ。
次男で居られた頃はここまで嫌味を言ってくる人ではなかったと思う。誕生日には一応本だってくれた。しかし今はそんなことない。散歩なら早く帰ってほしい。
そんなことを思っていると、それまで黙っていたリリヤが口を開いた。
「おい、うちのをあんまり虐めるな!」
「っ……」
少女に叱り飛ばされラウルが言葉に詰まる。
「くそ、面倒臭いな……」
門の脇にジャックが立っているからか、言葉を選んでいるように見えた。
そうこうしている間にリリヤが馬上から降りこちらに歩み寄ると、ラウルの表情に落胆の色が浮かんだ。
が、ラウルはリリヤが戻ってこないことをすぐに察したようで、これ以上ユユラングに用はないとばかりに手綱を握る。
「明日の夕方にクオナに来い」
馬上から短く告げ、こちらが何か言う前にクオナの領主は跳ね橋を駆けていってしまった。
どこか唖然とした気持ちでその後ろ姿を眺めていると、ぽつりとジャックが呟いたのが聞こえてきた。
「なんだあのおっさん」
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