34 「んーまぁ、命令ですから」
脇腹の辺りにぽっかりと空いた穴のような感覚が、リリヤが離れて数刻経ったというのに埋まらないのだ。
すぐ戻ると本人は言っていたが、どうやら時間がかかっているらしい。
一度意識してしまうと脇腹の感覚を無視することは難しかった。この感覚を持て余している自分に、これ以上仕分けの作業ができるとは思えなかった。
仕分けた物を売るにしても、港にいる商人はもう酒場にいる時間だ。そんな時に商談を持ち掛けても、双方が気持ちよくなれない。
自分に言い聞かせ納得させると、立ち上がり寝台に向かった。さすがに寝ているアレックスを起こさずに部屋を出られない。
「アレックス、起きろ」
頭上から声をかける。
寝息を立てていたから熟睡していたのかと思ったが、どうも違うらしい。声をかけるなり、湖色の瞳がぱちりと開いた。
「あ……どうも、お早うございます」
「お早う。すぐ寝てたな」
「んーまぁ、命令ですから」
あくびを噛み締め、乳母兄弟は布団から起き上がる。
「命令命令って。そんなに強調されると僕が悪いことさせてるみたいじゃないか」
「使用人に寝ろ、って命令は十分悪いと思いますー」
寝台から下りた御者は、聞こえる程度に小さい声で言ってくる。
「じゃあ聞かな」
「それは嫌です!」
自分の言葉を遮って、アレックスが真面目な表情になる。あまり見たことのない表情だから驚いて口を閉ざした。
「俺はセオドア様の乳母兄弟です。主人が一番信頼できる人物にならないと、俺がいる意味がありません。だからどんなことだって聞きたいんですよ」
言い終え、少年は今出た寝台のシーツを慣れた手つきで整えていく。
アレックスがこのようなことを考えているとは思わず、一度瞬き唇を歪めた。
「じゃあお前……僕があの人を殺して、って言ったら聞いてくれるの?」
「そうしたいですね。まっ、セオドア様はそんなこと言わないと思いますけど!」
晴天を眺めている時のように、少年は唇の端を持ち上げて笑う。自分もそんなことは思っても言わないと思う。
肩を軽く竦めて有り得ない話を終わらせ、出入り口の前に向かう。
「僕はもう寝るよ。根を詰めすぎたみたいだ」
扉を開けて先に出ると、後ろからすぐに少年の声がかかった。
「はい、お疲れ様です」
厩舎に行くらしいアレックスと部屋の前で別れ、寝る準備を始める。
そわつく気持ちも夢の中までは追ってこないはずだ。
布団に潜り目を閉じると、脇腹の違和感を意識する前に眠ることができた。今日も色々あったから疲れも溜まっていたのだろう。
コンコンと扉を叩く音が引き金になり、夢と現実を漂っていたところを唐突に現実に引きずり戻された。
「はい!?」
半ば反射的に居眠りがばれたような声を出して答え、ガバッと音を立てて飛び起きる。
小さい頃に父の皿を割ってしまった時と同じ鼓動の早さと罪悪感を胸に、布の奥にある扉を見やる。
「あ、起きられましたか? 失礼します」
扉の向こうからしわがれた声が聞こえてきて、布団の中から出る動きを止める。
一拍後扉を開けて入ってきたのは、昨日氷の売却を頼んだ老執事、セルゲイだった。
慌てて寝台から身を出した。
「こんな姿で申し訳ありません。なにか……?」
用件を尋ねると、真剣な老執事の表情に陰が落ちる。深々と一礼し、口を動かす。
「昨日任せてくださった氷の売却の件でお話しがあります」
やはりその話かと思った。
頼んでからこうして部屋に来るまでが短すぎることに、認めたくなかったが嫌な予感がした。
「聞かせてください」
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