32 「ごめん、驚かせた?」
「っわ!」
そういえば扉に背中を預けたまま話に夢中になっていたのだった。その音を合図にしたかのように、リリヤとの話は終わった。
「じゃあ私はクオナに行ってくるぞ。用が済んだらすぐに戻ってくる。私と離れている間、お前は少し寂しいかもしれんが、まぁ我慢しろ」
そう言ってリリヤは振り返ることなく部屋の壁をすり抜けて消えてしまった。
部屋に一人残った自分は、一度深く深呼吸をしてから外にも聞こえるような声を張る。
「は、はい」
返事をし扉を開けると、盆に食事を乗せたアニーの姿が表れる。
自分から部屋の扉を開けることは年に数回もないからか、金髪の女中は驚いたような表情を浮かべていた。
「ごめん、驚かせた?」
「……少し」
女中は僅かに唇を尖らせて恨めしそうに告げる。
珍しい反応に珍しい反応でやり返してきた女中を笑いながら室内に招き入れ、壁に面した机に料理が乗った皿が給仕されていく様を映す。さやえんどうの収穫時期ももう終わってしまう、と嘆いていた。
最後に、机に鞘に入った短剣を乗せてくれた。先程言っていたやつだろう。紋章が鞘に刻まれた普通の短剣だ。
手にとって見てみる。真新しいが、簡素な短剣だ。オーロラを簡略化した紋章はたしかにユユラングの物だったが、これといって他に特徴がなく、すぐ机に戻した。
配膳を終えたアニーが退室し、一人になった。
湯気を立てる卵のスープを木製の匙で掬い食べ進める。一人で食事を採っている時くらいのんびりしたかったので、添え物の野菜に注意しながら塩味を楽しんだ。
自分が野菜を食べないことはアニーも知っているのに、負けじと野菜は添えられてくる。
「ん? んー……?」
違和感を覚えたのはパンを口に詰めていた時のことだった。
パンを飲み込み目を閉じて、自分の体の感覚に集中する。違和感の正体はすぐに気が付いた。
先程まではたしかに感じていた脇腹の暖かさが、糸が切れたかのように突然切れてしまったのだ。
リリヤがクオナに行ったのだとどこかが理解したのと同時に、今自分は一人なのだと心細くなった。
今までも一人になることはあったが、その時はリリヤが完全に離れたわけではない。こんなに落ち着かない物だとは思わなかった。
リリヤとはどうも奇妙な繋がりがあるのは分かっていた。が、これはそわそわする。部屋を離れる前「私がいない間寂しいだろうが」と言っていたのは、どうやら冗談ではなかったらしい。
パンと鰊の塩焼きを咀嚼もそこそこに平らげ、グラスに入ったシードルを一気に飲み干す。鰊に添えられていた緑色の彩りはもちろん食べなかった。
はあ、と一度息を吐いて気持ちを落ち着かせてからそっと扉を開け、従者の姿が廊下にないか探した。
壁に凭れかかったアレックスの姿はすぐに見付かった。腕を組んで俯いていて、船を漕いでいる。そういえばアレックスは早朝からずっと働きっぱなしだ。城で一等若い少年も疲れには勝てないようだ。
人の姿を見たことで気持ちも落ち着いたので声をかけるのは止めようと思ったが、ふと妙案が浮かんだので名前を呼ぶ。
「アレックス」
名前を呼ばれたアレックスは居眠りがばれた門番が如く跳び跳ねた後、取り繕うように背筋を伸ばしてこちらを向いた。
「はっ、はい!」
素知らぬ顔を決め込むアレックスの、どこか気まずそうな雰囲気が面白くて口元を緩める。
「兄上の部屋の片付けを手伝って貰っていい?」
言うなり部屋から出てアレックスの肩を有無を言わさず押しやる。
「はい!」
押されるまま歩いていた従者はすぐに頷いたものの、思い出したように振り返った。
「あ、ですが食器の片付けをしないと……!」
「扉を開けておけば誰か気付くから大丈夫だろ」
自分の部屋を気にするアレックスを宥め、兄の部屋に向かう。
歩いてすぐ近くのところにある部屋の前に立ち、アレックスに悟られぬ程度に一度呼吸を整えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます