27 「この本も元は僕のだった」

「えっ。うん……不思議な気分だよ」


 突然声をかけられ肩を僅かに反応させながら返す。

 改めて室内を見渡してみると、机の上には大陸の地図の上に羽ペンやインクが置かれており、また使われるのを待っていた。

 壁際には本棚も多く、自分が読み終えた歴史書や神話が数多く納められていて、巻数が順番になるように並べられていた。

 自分の物と同じ天蓋付きの寝台に広げられた布団は使用人に任せたかのように皺もなく整えられている。

 どこまでも真面目だった父の人柄が表れているようだ。


「この本も元は僕のだった」

「うん」


 自分の名前をくじ引きで決めた人と同じとは思えなくてくすりと笑う。

 父のことを思い出す時、どうしても彼らの死因のことが頭を過ぎった。税が一番だと言うのは分かっている。だけど隙間時間である今なら、多少気にしても良いのではないだろうか。

 扉を開け廊下いっぱいに声を響かせた。


「アレックス!」


 従者の名を呼ぶと、後ろから溜め息が聞こえてくる。


「は、いぃ!?」


 アレックスの声はすぐに返ってきた。

 微かな怯えと驚きが浮かんだ湖色の瞳と目が合う。


「あ。アレックスお前、父上達が難波したって僕に教えてくれたよな。誰から聞いた?」

「えっあっ、あー、姉さんからです。姉さんが早馬から話を聞いていましたので」

「そうか」


 話を切り上げて、アニーが戻ると言っていた厨房に向かうべく、扉を閉め階段に向かう。


「それがなにか? って、あ」


 振り返ることなく踊り場に到着すると、先回りしていたらしいリリヤが踊り場の中央に立っていた。

 腕を組んだ威圧的な立ち姿に気圧され、ぴくりと足が止まる。


「レイモンド達のことか?」


 叱られた時のように気持ちが一瞬怯んだが、戻れと言われはいと頷く気にはなれなかった。

 どこのどんな早馬だったのか、話くらい聞いてもいいんじゃないかと思った。


「っ、時間のことが気になるなら僕が寝なければいいだけだ。君だって気になるだろ」

「そういう問題ではない。領の代表ともなろう者が簡単に私情に走るのはどうなんだ」


 階段は薄暗いからか、自分を見据える幽霊の瞳が血のように見える。


「私情じゃないよ、これは息子としての権利だ」

「ふん、屁理屈を。お前はもっと冷静な奴だと思っていたんだがな」


 鼻を鳴らすリリヤを見て頭に血が登った。

 次に何を言おうか頭を整理していると、目の前の少女の視線が自分の背後に動く。

 その動きの意味を知る前に後ろから少年の声がかかり肩をびくつかせる。


「セオドア様……? どうかされましたか?」


 街角で蹲っている女性におっかなびっくら声をかけるようなぎこちない声は、アレックスの物だった。

 声は聞こえなかっただろうし壁で顔も隠れていただろうが、部屋の前にいた御者には自分が階段の前で立ち止まっている姿が奇妙に映ったに違いない。

 あっと思い頬を強張らせアレックスに顔を向ける。


「アレックス。な、なんでもないよ……。少し考え事をしていただけ」

 従者は顔をひょいと突きだして廊下に誰もいないことを確認すると、食欲のなかった馬が食べるようになった時のように肩を揺らした。


「俺はてっきり誰かと会ったのかと思いましたよー姉さんとか」

「アニーとはまだ会ってない。今から厨房に行くところだ」

「はい。じゃあ俺はここに居るので何かあれば」

「ああ、その時はよろしく」


 アレックスとの話を切り上げ、何事もなかったかのように一段ずつ階段を下りていく

 途中何気なく顔を上げ視線だけで周囲を見渡してみたが、白髪の少女の姿は見当たらなかった。どこかに行ってしまったのだと思い、そのまま階段を下りる。

 あの幽霊はなんだかんだ自分の傍に居てくれるので、呆れて居なくなったなんてことはないだろうが、姿が見えないのは胸がざわついた。

 途中リリヤの言葉が思い出された。

 それは今やるべきことか?

 喉に刺さった小骨のように、その言葉を引きずりながら厨房へ向かう。



 暗い廊下を通り厨房に足を踏み入れると、解した鱈の切り身を煮たスープの、なんとも言えない香りが湯気に乗って鼻を擽ってきた。


「あの、アニーはいる?」

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