24 「でもまぁ、よく言ったな。私も安心したぞ」「

 一度唾を飲み、渇いた喉を潤す。


「もう逃げたくはないんです。ユユラングの血を引いているのは今や僕だけだ。逃げ出しておいて勝手ですが、次の領主は僕にやらせてください」


 ここにいる人達に聞こえるように言う。

 頭を下げて言った言葉に反応を示すものは誰もいなかった。周囲の反応を窺い合っているような奇妙な間が、跳ね橋前を包む。

 誰からも何の反応もないということが、こんなに寂しくて辛いものだとは思わなかった。

 奥歯を食いしばり地面を映す。土の上に落とした視線の置き場が分からなかった。

 その時だった。

 それまで何の反応もなかった地面の影の一つが、己の胸に腕を持ち上げるような反応があったのだ。


「いいじゃねぇの」


 空まで届きそうな乾いた拍手と共に聞こえたのは、見込みのある弟子を見付けて笑みを深める鍛治屋のような一言だった。


「逃げるのは悪いことだけど、逃げたことをきちんと口に出せる人間に臆病者はいねぇ。セオドア様に任せてもいいんじゃねぇのか」


 続いた肯定的な言葉が信じられなくて、悪夢から目が覚めた時みたいに顔を上げる。

 視線の先に映ったのは、こちらを見て拍手を贈る猟師の老人の姿だった。今の言葉はこの人の物だ。


「わ、わたしも……わたし達の未来を守ってくれそうだから……」


 おずおずと控えめな声で続けたのは、先程質問をしてきた幼女を胸に抱いた女性だった。その二人を皮切りに自分も、自分も、と言う声が増えていき拍手の音も大きくなる。


「セオドア様! 頑張って!」


 賛同の代わりのような拍手は、後ろに控えている使用人達からも聞こえてきていた。口元を緩めていそうなアレックスの声もする。

 拍手の音はどんどん大きくなっていき、先程と異なる音が城門前を包んでいた。


「駄目だと思ったら俺は逃げるからな」


 拍手はしていなかったが、対面にいるジャックの安心したように嫌がる声もする。

 良かった。

 胸の奥に暖かい物が流れてくるような充足感を誰かと分かち合いたくて、人が大勢いるのも構わず空を仰いだ。こちらを見ている赤色の瞳と目が合う。


「……お前しかいないんだから当然だろう」


 白髪の少女は当たり前だとばかりに言いふいと顔を反らず。


「でもまぁ、よく言ったな。私も安心したぞ」


 顔を反らされたこともありリリヤが今どんな顔をしているか見えなかったが、柔らかなその声に毒気はなかった。

 この幽霊が安心してくれたことが嬉しくて目を見張り、口元を緩める。いつまでも空を見ているわけにもいかず、顔を正面に戻した。


「……有り難うございます。クオナから連絡がきたらまた報告をさせてください」


 まとめるようにそう言うと、辺りを包んでいた拍手が少しずつ静かになっていく。

 頑張ってください、お願いいたします、と次々と人々に声をかけられ、輪から離れていく者も出てきた。

 どこかよそよそしく離れていく人達の後ろ姿を見ていると、疲れが遅れてやってきた。今すぐにも座りたかったが、人の目がある手前ぐっと堪える。


「セオドア様、お疲れ様です。……どうして戻られたのかと驚いたのですが、そういうことだったんですね」


 後ろから近寄ってきたアニーが傍に寄る。


「うん。ごめん、振り回して」


 自分の言葉にアニーは唇の端を持ち上げて笑う。


「構いません、私は振り回される為にいるんですから。これからもよろしくお願いいたします」


 目を細めたアニーはその場で軽く腰を折り、膝に付いた汚れを手で払ってくれた。


「ひとまず城にお入りください」

「まだ人が多いしもう少し残ってるよ。……それよりさ」

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