9 「花でも手向けに来たか」

「ない」


 あっさりと否定され、自分の耳を疑った。


「それを考えるのはお前の仕事だ。私はそれを全力で手伝うけども」


 リリヤがどんな顔をして言ったのか知りたくて隣に視線を向けると、まっすぐこちらを見上げている赤色の瞳と目が合った。直視されるのがいたたまれなくて視線を反らす。


「ユユラングには僕しか残されていないけど、僕は領を継ぐ気はないよ。領主の仕事どころか勉強だってしたことがないんだ。それは君も知っているんじゃないのかな」

「ふむ」


 手元を見ながら思っていることを呟いていくと、リリヤが相槌を打つのが分かった。

 そして天井を仰ぎ小さな声で「やっぱりな」と嘆いた。

 何がやっぱりなんだと思ったが、聞きたくなかったので黙っておくことにした。きっと良くないことだろう。


「なら仕方ない。お前が思うようにしろ」


 天井を見るのを止めた少女は、こちらに視線を向け焼き菓子の型でも選ばせるような気軽さで言ってくる。


「え。……いいの?」


 情けないとかもっと言われるかと想像していただけに、思っていたよりもあっさりと引き下がられ、目を見張った。


「うん、いいさ。やる気がない奴に無理強いは出来んよ。そんな奴に任せたところで、ユユラングの未来が明るくなるわけではないからな」


 幽霊の少女は窓の向こうを見ながら淡々と告げ、ふいと窓から離れていく。

 首を回して少女の動向を追っていると、数歩下がったところでリリヤがこっちに向き直った。


「それに」


 美しい宝石のように妖艶な赤色の瞳がこちらを見ている。


「時には逃げることも大切だ」


 聖書を読み上げる牧師に似た力強さを以て続け、な? と目を細められる。逃げじゃない、と言おうとしたところで、少女が先に呟いた。


「そういえばアレクの奴遅いな」


 リリヤがわざとらしく話題を変えたように見えた瞬間、窓の外がわっと賑やかになる


「アレクじゃなくてアレックスだよ」


 外が気になり、名前を訂正してから窓を開ける。身を乗り出すようにして顔を覗かせ外を映した。


「なんかあったのか?」


 アレックスの名前を間違えたことなんてなかったかのようなリリヤが、後ろから覗き込んでくる。

 本を読む三階の部屋と違い、四階の自室からは位置が悪くて城門前があまり見えない。中庭の林檎の木が邪魔をしているからだ。

 しかし今は、それでも分かるくらいはっきりと大勢の人が詰めかけていた。黒、茶、金、赤、色々な髪の色をした頭が見える。


「人がいっぱいいるな、なんだあれ」


 見たものを実況するかのような呟きが、すぐ近くから聞こえる。遠くに見える人だかりに窓枠を掴む力を強めた。


「領民達だろうね。父上が亡くなったのは領民も知ってるから」

「花でも手向けに来たか」

「だと嬉しいけどそれにしては今更だし、こんな朝っぱらからはおかしいよ……あ」


 話している最中、林檎の木の陰から赤いジャケットを羽織った人間が見えた。


「ん?」

「どうした? ん、あれはアレクじゃないか?」

「アレックスだって」


 わざと名前を間違えているとしか思えない少女も、アレックスの存在に気がついたようだった。


「お前の朝食を用意するって張り切ってなかったか? アレクの奴」

「アレックスって名前の人ならたしかに張り切っていたね」


 何をしているのかと目を凝らしてみたが、詰め寄られているかのように従者は再び木の陰に姿を消してしまった。

 何かあったのだろうか

 疑問に思う前にコンコンと扉を叩く音が響いた。

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