7 「その時が来たから、だ」
その言い方が面白くて微かに口元を緩ませる。
「ふん。……どうしてお前に見えるようになったか、か。そんなの簡単だ」
幽霊の少女は隣に座っていることがつまらなくなったかのように鼻を鳴らし、寝台から腰を上げる。こちらを一瞥した後、天蓋から下がる布を揺らすことなく部屋の中央へと消えていった。
魔法を目の当たりにしたようで目を見張る。自分も寝台から体を出し、布を通ってリリヤの後を追いかけた。
己の部屋のように堂々と部屋の中央に立っていたリリヤは、自分が出てきたのを確認してからこう続けた。
「その時が来たから、だ」
思考が一瞬停止した。
「世界というのは不思議でな、その時が来たら領主には私が見えるようになるんだ。レイモンドにシモン、二人が死んだ今、唯一のユユラングの人間であるお前に私が見えるようになるのは当然だ。お前に領主になる意思がなくても、な」
どうだ、と言わんばかりに言い終え赤色の瞳を向けてくる。
そんな顔をされても、世襲制かつ特別な人にしか見えないなんて話、胡散臭くて信用出来なかった。
その思いが顔に出ていたのだろう。リリヤがむすくれたように腕を組む。
「まぁいい。いずれ分かるだろう。面倒臭い奴め。で、二つ目か……私がユユラングを支えている理由だな」
気を取り直したような声で少女は続ける。
「……うん。君は生前ユユラングの使用人だったの?」
領主一族を支えるなら使用人一族なんじゃないか。
アニーとアレックスだって代々ユユラングに仕えている一族だ。そういう一族は多い。
「違う」
なかなかいい答えだと思ったが、即座に否定をされふむと唸る。こうも綺麗に否定されると悔しい物があった。
「ただまぁ、私はユユラングがユユラングと呼ばれる前にこの地で村娘をしてはいたがな。死んだ時、私は運よく選ばれただけだ」
「誰に、ですか」
父が十一代目ユユラング当主に当たる。初代より前ならざっと四百年は幽霊をしていることになる。
口調を改めて尋ねるとリリヤがおかしそうに笑う。
「今更畏まるな。年長者を敬う姿勢は好きだけども、笑ってしまう」
笑い声が徐々ににやついたものに変わっていく。含み笑いを向けられ段々恥ずかしくなってきた。
「誰を!」
「そんなに怒鳴るな、外に聞こえてしまうぞ」
恥ずかしさをごまかそうと八つ当たり気味にもう一度尋ねると、リリヤが一層おかしそうに笑う。
笑い声が収まると、少女は花畑に向かうように軽快な足取りでこちらに近付いてくる
色とりどりの季節の花にも負けぬ可憐な顔立ちをした少女は、誇らしげに歯を見せて笑い言った。
「そりゃ神様にだ。神様はうら若き乙女が好きだというのは有名だろう? ユユラングの幽霊に私が選ばれるのは当然だ。私もこう言うのは嫌いじゃない。だからやっている」
「…………へえ」
毒気を抜かれ呟く。
古今東西神が乙女と関わる話は、神に人間臭さを見出だしてしまうくらい多い。
リリヤが偉そうなことも、その一言で変に納得してしまった。
人間の世界ですら王家があり、その下に貴族がいて国が回っている。神様の世界にも幽霊という配下がいるーーそんな話もあり得るのかもしれない。
「じゃあ次、三つ目か。他に質問はないのか?」
「大有りだけど、後で聞くよ」
「生意気を」
言葉の割にリリヤは声を弾ませて楽しそうに笑う。少女は踵を返し再び部屋の中央に戻る。
んー、と鍋を前にした乙女が考え込む時のように、人指し指を唇に当て天井を見上げた。
「私が幽霊である証明か。幽霊であって、お前の幻覚ではない……なかなか難しいな」
むぅ、と唇を尖らせるリリヤの横顔を見つめる。
リリヤと話している内に大分気持ちが落ち着いた。それでも未だに見えるこの少女は幻ではないのかもしれない。
「うーん……っ!」
隣で頭を抱えていたリリヤが一際大きな声を上げ、粉雪が散ったかのようにふんわりとした動きで床から飛び上がる。
「ちょ!?」
突然のことに面食らって一歩後ずさるが、白髪の少女は気にした様子もなく、ふわふわとした動きで壁を通過し消えていく。
先程も布を通過するところを見ているとは言え、慣れないものがある。
視線をあちこちに巡らせていると、まるで煙を抜けたかのように壁を通過して部屋に少女が戻ってくる。
雪の妖精のようにふわふわとした動きで床に足をつけ、リリヤはこっちを見やる。そして猫みたいに鋭く目を細めて続けた。
「部屋の外にお前の従者がいたぞ。御者もやってるあいつだ。ほらあいつ……アレク」
アレクとはアレックスのことを言っているのだろう。だとしたら少しおかしい。
「アレックスが? 今って昼なの?」
「いや、早朝も早朝だ。起きてる人より寝てる人のが多い頃だろう」
「君が本当に幽霊なら知っているだろうけどさ、アレックスは僕のお付きだから、基本的に僕の部屋の前にいるんだ」
「うん、まあ知ってる。たまに居眠りもしてるし、座り込んでることもあるぞ」
従者の仕事ぶりを薄ら笑いと共に暴露され、取り合わずに話を続けた。
「あいつは朝ばかりは厩舎にいて馬の世話をやらせているんだ。アレックスは馬好きが高じて御者も兼ねてるからね。朝に廊下をうろうろしてはいないんだよ」
「疑うくらいなら扉を開けた方が早いぞ?」
半信半疑で眉を潜め、セオドアは扉に近付く。
「分かっているだろうがあいつに私のことは言うなよ。私のことはお前と私だけの秘密にしろ。じゃないとお前はただの狂人だ」
そう言い、少女は秘密を共有したかのようににししと笑う。
その笑い声を聞きはいはいと頷く。自分も少し前に思ったことだ。たしかにこれは人に言えない秘密だ。
何をしているんだろうな、という気持ちもなくはないが扉を開ける。
これでもし廊下にアレックスがいたら、リリヤは自分の幻覚ではなく本当に幽霊となる。さすがに今アレックスがいることまで自分では分からない。
弱々しい朝の光が射し込む廊下に顔を出した。
「あっ!」
すぐに聞き慣れた声が反応した。
「セオドア様、おはようございます。俺、心配でずっとここにいたんですよ。だけど元気そうでよかったです!」
からっとした笑顔を見せるアレックスを、僅かに目を見張って映す。
どうやらリリヤという少女は本当に幽霊なようだ。
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