5 「私はリリヤ。幽霊だ」



 夢を見ることなく体を休ませていた。

 いくらでも目を閉じていられるような気がしたのに、一度覚醒してしまうと目を開けたくなってしまう。

 ゆっくり目を開け布の隙間から部屋を伺うと、室内はほのかに明るかった。ああそうだ、と思い出す。

 夏のユユラングは夜になっても日が沈まないのだった。

 これは北方特有の現象で、寂しがり屋の妖精が日を沈ませない魔法をかけているからだと言われている。この明るさをどう判断していいか分からず、半ば自棄になって再び目を瞑った。


「おい、また寝るのか?」


 体の力を抜きシーツに体重を預けた瞬間、頭上からあどけなさの残る少女の声がかかり、ビクリと肩が跳ねた。

 反射的に目を開けると、そこには気付けとばかりに馬乗りになって自分を覗き込んでいるフードを被った白髪の少女がいた。


「ん? 起きたようだな、おはよう」


 絵画の魔女みたいに飾り気のない黒いローブを着ているのに、どうして気付かなかったのだろう。

 体が一気に覚醒した。


「わっ……」


 思わず叫びそうになったが、昨日の幻覚を思い出してなんとか留まる。

 馬乗りのはずなのに少女の重みを感じないのだ。息を潜め、目の前の少女を観察する。

 少女の白い髪は鎖骨までほどだろうが、距離が距離だからかこちらの頬を擽れそうな程近く、癖があり波打っていた。

 吸い寄せられそうな赤色の目は猫のように釣り上がっている。

 柔らかそうな頬には怒ったかのような朱が差しており、桃色の唇は微かにむくれていて不満げだ。

 領内でも滅多にいないだろう愛らしい顔立ちだ。それだけに自分は夢を見ているのではという気持ちになった。


「おい、お前が起きるのを待っていてやったんだ、早く私と話をしろ!」


 偉そうな口調に眉を顰め少女から顔を背ける。寝たところで壊れた頭は戻らなかったようだ。また頭が限界を迎えそうだ。


「こら、無視をするな! お前だって私が誰か知りたいだろう? なら聞け」


 顔を背けられた少女は、怒りながら続けてきた。

 無視しようかとも思ったが、自分の正体を教えてくれるらしいことに興味が湧いた。

 たしかにこの少女はなんなのか気になる。

 幻覚と対話するのもこの状況下では有用かもしれない。それにこの少女、どこかで見たことがある。

 背けた顔を正面に戻す。


「……君、誰?」


 自分が反応すると少女は一瞬肩をびくつかせ、夜空にオーロラがかかった瞬間を目撃した時のように目を見開く。

 それをすぐに勝ち誇ったような笑みに変える。


「ようやく話す気になったか、嬉しいぞ」

「うん……で、誰?」


 言葉を濁しながらもう一度尋ねる。問題はそこではない。


「うん、あのな。いきなりこんなことを言っても信じないだろうが」


 少女は前置きをしてから話を続けた。


「私はリリヤ。幽霊だ」


 聞き覚えのない名前にも、続いた単語にも眉を顰める。

 会話が成り立っているらしいのは助かったが、突拍子のないことを言われた気がした。


「ゆう……れい、ってあの幽霊? 死んだ人の魂? 君が?」

「ふふん、まぁ信じられない気持ちは分かるが、とりあえず私が幽霊であることを前提として話を聞け」


 はい分かりましたと頷く気にはなれないが、新雪を思わせる白髪には人間にはない美しさがある。

 露骨に訝しんでいる表情を隠さぬまま、毛布から手を伸ばしリリヤと名乗った少女の髪に触れる。幽霊なら透けているはずだ。

 その考えは当たっていた。ローブから覗く癖のある髪は触れることができず、先日女性に触れた時と同じように指は空を切る。


「っ」


 驚いたが、二回目ということもあってか冷静でいられた。白髪を見た瞬間、心の準備は出来ていたのかもしれない。


「うん? お前はレイモンドより肝が据わっているな」

「えっ。父上を知っているのか?」

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