4 「税、どうしましょうか」


 アニーは弟と同じ湖色の瞳を、安心したようにほんの少し緩めた。

 慣れ親しんだ相手が近くにいることが、こんなに安心できることだとは知らなかった。


「はい、アニーです。そろそろ夕食なもので、お顔を見に来ました。大丈夫ですか? いつもより顔色が悪いです……」


 アニーだって主人が亡くなったことは知っているだろう。なのに普段通り話しかけてきてくれている。


「大丈夫……もうそんな時間か」

「はい。夕食、食べられますか? 今日はそんなに大した物は出せませんが、それでも食べないよりかは」


 すぐ近くから自分の様子を窺っている声がした。

もしかしたら先程の悲鳴を聞かれたのかもしれない。だからこんなに心配されているのだろう。

 弟と違い真面目な女中に、大丈夫だと言いたくて立ち上がる。

 と、開け放したままの扉の奥に先程の白髪の女性がいて、視線が吸い寄せられた。言いたかった事とは違う言葉が口をつく。


「……ねえアニー、君は一人で来たの?」

「? はい。本当は弟と来るつもりでしたが、弟は酷い顔でしたので私一人です」


 同じく立ち上がったアニーがそれに応え、こちらを見上げてくる。


「それがどうかされましたか? セオドア様……セオドア様?」


 小柄な女中は、すぐに自分が一点を見ていることに気が付いたらしい。

 アニーも振り返るが、まるで女性が見えていないかのように平然としている。

 その光景を見て固まった。

 あの女性はアニーには見えていないのではないか。常識的ではない考えが頭を過る。

 自然と女性から視線を外していた。

 もしあの女性が自分にしか見えていないのなら、自分は見えてはいけないものを見ている可能性が高い。


「っア……」


 アニーに直接聞いてみようかと思ったが止めた。

 自分ですら頭がおかしくなったと思っているのだから、産まれた時から一緒のこの女中はもっと思うだろう。

 そうなったら自分はどうなってしまうのか。

 気が触れたと周囲に伝わり、修道院送りか周囲に利用されるだけだ。それは避けたかった。


「はい?」


 固まった自分を見て、アニーが不思議そうに首を傾げる。

 その声を聞き、彼女にこのことを言ってはいけないという気持ちが強まる。気持ちを落ち着かせるように一度ゴクリと喉を鳴らした。


「夕食さ……、いいや。具合が悪くて、今日はもう休みたいんだ」


 ひとまず休むべきだと思った。吐き気が込み上げてきた。

 が、アニーが困惑したように眉を下げた。


「はい、それは構いませんが……夕食後に、皆で今後を話し合おうとしているんです。それには出て下さいますか?」

「それも外していいかな……僕はユユラングを継げない、そうとだけ伝えておいて。アニーなら分かるだろ、僕には無理だよ」


 気持ちを伝えると、伏し目がちになった幼馴染みが虫の羽音のように微かな声で呟く


「了解しました」


 恭しく頭を下げる動作が主人にする礼に見えて、奥歯を噛み締める。

 自分はアニーの主人ではない。ただの次男坊だ。だからそんなことをしないで欲しかった。

 そうだ、とキリキリと胃が痛むのを堪え尋ねる。


「ねえアニー。父上達が亡くなったのって王都に行く途中?」

「はい。積み荷もなにも、王都に足を踏み入れてません」


 沈痛な面持ちで告げられ、口内に苦いものが込み上げてきた。やはり税は魚の餌と化したようだ。


「そうか」

「税、どうしましょうか」


 ぼやくような声が指示を仰ぐように聞こえた気がした。

 追い立てられているようにも、実際アニーはなにも言っていないようにも思えて、痛む頭を押さえるように額に手を当てる。

 それでも痛みは少しも収まらなくて、セオドアは部屋に戻ることを選んだ。

 もう何が本当かよく分からなかった。鉛のような足を動かし、アニーよりも先に小さな部屋を出る。

 廊下はほんの少し寒くて、空気も冷えている。


「ふふふ」


 部屋を出た際、あの女性ともすれ違うことになった。

 正体の分からないこの女性は相変わらず笑っている。



 それから自室に戻るまでのことは、よく覚えていなかった。

 構造上一階まで一度戻り、四階まで上がり直す。

 その間、アレックスや他の使用人とすれ違い、声をかけられた気もする。しかし記憶に靄がかかったかのように不明瞭だ。

 どこをどうして部屋の扉を開けるに至ったか覚えていない自分でも、夜着になるかどうか考えたのは覚えている。

 そもそも貴族然とした服が苦手で、領民より少し上等なシャツを着ているだけの自分だ。このまま横になっても問題はないだろう。

 隙間風対策に取り付けた天蓋の白い布をくぐって寝台の空間に入り、倒れ込むように横になって瞼の重みに抗うことなく目を瞑る。


 状況が改善するでもない日が続いた頃、自分はその日を迎えたらしい。

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