第37話 神との約束
久しぶりに旧友と会って楽しむ安奈の笑顔も見れて無理して来て良かったと思い、とりあえず大事をとって私達は同窓会の後の二次会には行かず、そのまま彼女の入院している病院へとタクシーで向かった。なんとか彼女の容体も悪くならなくてほっと安心していた。そして静かに彼女をベッドに寝かせて私は病院を後にし、彼女には内緒で教会へ向かい、今日一日彼女の身に何事も起こらなかった事を神に感謝した。
彼女には言っていなかったが、私は彼女が入院してから彼女と会った帰りに必ずと言って良いほど毎日教会に行っては祈り続けていた。今までの私は神に感謝の気持ちしか言わなかったが、彼女が病気になって初めて私は神に哀願した。
そして時が経つのも忘れ何時間も祈り続けた。
(安奈の病気が治りますようにではなく、私の身に代わって彼女を守ることをお約束下さい)
私と安奈が出会った事は偶然ではなく彼女を守る為に、神が未熟な私に幾つもの試練を与え、神が使わしたことだと・・・。
そして私はその使命を受け入れるには充分すぎるほど彼女を愛し想っていた。
そして間もなく、私が来る事を知っていたかのように彼女の容体が悪化し、私の呼び掛けも応じることなく、眠ったままになってしまった。
(この状態がいつまで続くのだろう。このまま意識が戻らなかったら・・・)
私は今のこの現状を中々受け入れる事が出来なかった。
私は家族の振りをして彼女の主治医に話を聞く事が出来た。当分の間は薬で眠ったままの状態が続くが、手術の方向になった時はご家族の同意が必要になる為、改めて話させて下さいとの事だった。たとえ手術が上手くいったとしても後遺症として記憶障害が発症する可能性があり、そうなれば過去の記憶の一部を失うことになると言われた。
それから間もなくして彼女は大部屋から個室に移され、集中治療のような重々しい機械が置かれていた病室で直ぐにでも手術可能な状態になった。
(安奈、今は見守ることしか出来ないけど、その時が来たら俺が必ず安奈を守るから。安奈に怒られるかもしれないけど、神と約束したからもう大丈夫だよ)
私は安奈の手を握りそっと心の中で呟いた。
そして暫く安奈の眠る顔を見ながら思っていた。
(もしも安奈の身に何かあったら、神との約束が叶わなかったら・・・)
(俺は果たして安奈を守れるのだろうか)
見守る事しか出来ない私は珍しく弱気になっていた。
高校の時だって安奈の母親が亡くなった時も私は側にいてやれなかったし、悲しみの渦の中から救い出す事も出来なかったし、今回もずっと側にいてあげる事も出来ないのに、いくら神と約束したとはいえ守れるという保証はどこにあるのか、私の頭のなかではずっと繰り返し問い掛けていた。
でも彼女の何とも言えない優しい寝顔を見ていると私の気持ちも落ち着いてきて、彼女が私に話掛けてきているように感じた。
(有り難う、正樹。あなたと私はもう一つになっているから、充分通じ合っているよ。守られているからもう心配しないで)
そんな彼女の声が聞こえたような気がした。
(安奈を守ると言っていたが、本当は逆に私が守られていたのではないのか。安奈がいる事で今まで私は独り寂しさもなかったし、高校時代から真の友と呼べる友人も殆どいなかったし、仕事仲間や先輩方はいても人間関係や人生相談もした事も無く、常に独りだった。安奈と再び出会ってはっきり私は変わった。楽しかった事や悩んだ事もあったけど、安奈がいるだけで私の人生は明るくなった。安奈を守る事ばかり考えていたが実は私自身の方が守られていたのではないだろうか。私はそれに気付かず見えていなかった)
こんなに側にいるのに私は・・・。
そして私は彼女の寝ているベッドの周りを見渡した。すると彼女のベッドの横には小さなテーブルが置かれ、そのテーブルの上には彼女の好きな赤い薔薇の花と彼女と写っている幾つかのフォトスタンドが置かれていた。その写真の中には私が撮ってあげた思い出の写真や家族の写真が立て掛けてあった。
その思い出の写真の中に、沈む夕日のグリーンフラッシュを見に能登半島まで行った時の写真があって、夕焼けの海を背景に、安奈が砂浜で海を眺めている写真だった。あの時、私が言った
「生まれ変わったらもう一度この場所に来よう、その時はもっと早く安奈を見付けるからね」
をきっと安奈は覚えていてくれて、忘れないようにとフォトスタンドに入れて飾ってくれているんだと思った。
そして私はそのフォトスタンドの写真の裏側に、大切に持っているたった一枚の私達の写った、あの同窓会で撮ってもらった写真を見えないように忍ばせた。
きっと病気が治って写真を整理した時に気付いてくれるだろう。今までの私にはとても大切な写真だったが、もう必要が無くなった。生まれ変わっても必ず安奈の事は忘れないし、探し出す自信もあった。
もしも安奈の記憶が消えてしまったいたらこの写真を見て思い出してほしい。こんなにも安奈の事を大好きだった人がいたことを・・・。
私は彼女の眠る横顔を見ながら目の先にある一枚の写真に目が留まった。そこに写っていたのは彼女と父親にしては年齢の若い男性と一緒に撮られた写真があり、直ぐに大切に想っていた大好きな兄だと分かった。
彼女はまだ若く髪の毛をゴムで束ねた中学生くらいの時の写真で、兄妹の仲の良さそうな写真だった。暫く私はその写真の男性を見ていると、何処かで会ったような気がしたので、テーブルからフォトスタンドを取って男性の顔を近くでまじまじと見た。そして私は記憶を辿りながらパリの出張先で出会った人を思い出した。
(私が通訳を頼んだあの時の男性だ。何故、安奈と一緒に写っているんだ)
その答えは直ぐに理解出来た。
お兄さんが大学卒業して交際していた彼女を追いかけ、直ぐにヨーロッパに行ったことを以前に彼女から聞いていた。まさかあの時の男性が安奈のお兄さんだとは知る余地もなかった。
養子縁組で名字が違っていて、フランス国籍の名前だったので全く気付かなかった。
そして私は安奈と再び出会う以前に、もうすでに彼女の大切な家族と出会ったいた。
(まさかあの時の人物が安奈の兄だったとは・・・。どういう偶然なのか)
そしてあの時に彼が言った言葉を思い出していた。
日本に自分が守れなかった大切な家族を残して単身フランスに来たことを・・・。
確かにこのような事を私に話してくれた。私はその話を聞いた時は、てっきり大切な家族がいて、年齢的にも奥様の事か、子供の事だとそう勝手に思い込んでいた。
いくら話の流れとはいえ、どうしてあの時、見知らぬ私にそのような話をしてくれたのか。
まさかあの時、兄は私に自分の大切な家族である妹の安奈を守ることが出来ないので、私に託そうとでもしていたのだろうか。
やはり兄との出会いは私が妹を守る為に神が定めた事だったのか。
パリで安奈の兄に出会うこと、それは偶然でもなく必然だったというのだろうか。
だからあの時から私と安奈は偶然ではなく、もう一度出逢うべき必然的な運命だったのだろう。だったら高校二年生の時に一筋の光射す先に安奈がいたことから運命が始まっていて、私が安奈を好きになっていく事も全て神に導かれていたことになる。もっと言えば小学生の時に教室の窓から外を眺めていた時、いつの間にか眠ってしまい私の夢の中に不思議な女の子が舞い降りてきて、寄り道させないでと言われ目が覚め、その後直ぐに転校生の光がやって来た。そして光が中学校の卒業式の日に、好きになるのは私じゃなくて、もう直ぐ相応しい彼女が光射す先に現れると言っていた時から、もうすでに運命は始まり決まっていた。そしていつかこの事が理解出来る日がくると言っていたあの光は、私があの時に偶然にも間違って呼び寄せてしまった小さな天使だったのか。
これで全ての辻褄が合ったような気がした。
私は面会時間が過ぎた後にそっと来て、彼女のベッドの側から離れずに一晩中ずっと眠る彼女の手を握りしめて彼女に語り続けた。
「安奈と出会えたことは偶然じゃなかったんだよ。いつか出会う運命だったんだ。そして安奈を守る事が使命だったんだよ。俺が安奈を守ると神に約束したから、目が覚めて俺が安奈の側に居なくても、たとえ俺が何処に居ようとも安奈を守っていることを覚えていてくれ」
「たとえ神の導かれた運命だったとしても、俺は安奈をいっぱい好きになって、いっぱい愛して良かったと思っている。最後に俺の人生は素晴らしい人生だったと・・・」
そして朝になり、そろそろ家族の方が来られる時間になったので私は彼女の病室を後にした。
「じゃ俺は行くからゆっくり安心して眠っていておくれ。たとえ遠くにいてもずっと安奈を見守っているからね」
そして彼女が目を覚まさなまま数日が過ぎようとしていた。
その間私は毎晩そっと彼女の病室に訪れ、彼女の側にから離れなかった。彼女の寝顔を見ていると何故か私の気持ちも落ち着き、そして時々彼女は楽しい夢を見ているかのように微笑みを浮かべているような感じがした。
私は尽きることなく彼女に私達が出会った時からの思い出話は敢えてしないで、病気が治って元気になったら、これからふたりですることを眠っている間に彼女の記憶に残るように何度も話した。それはもう過去の事を振り返るのは止めようとふたりで約束したことだったから。
そして私と神との約束が叶った時は、安奈には決して悲しまないでいてほしいことも話した。
たとえもし私との記憶が少しでも残っていたとしたら・・・。
私は眠っている彼女の耳もとで何度も話続けた。
そして彼女に最後の別れを告げた。
「沢山の思い出有難う、安奈。来世でまた会いに来るよ。安奈と出会えて、そして好きになれて良かった」
私はそう言い残し、眠る安奈の唇にそっとキスをしてあの紙の指輪を安奈の薬指にはめ、目覚めたらずっと側にいたことを・・・。
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