第35話 初めての試練

ある日、突然訃報が舞い込んだ。それは同窓会メンバーからだった。小学生時代からの一番仲の良かった幼馴染みの友人だった「中本義明」の死去の知らせだった。暫く会ってなくて元気でやっていると思い込んでいたが、血液ガンの病気で入院からわずか三か月だったらしい。それにしても、余りに早すぎる死だった。まだ彼のご両親も健在だというのに、私はただただ茫然とし現実として受け入れられなかった。親戚の叔父や叔母の死は経験していたが、身近な友人としては初めての事だったので、死がこんなに間近にいることを改めて感じ、人はいつかは死ぬと分かっていたが、まだまだ先のことだと思っていた。

そして彼は早すぎる死に、人生に悔いはなかったのだろうか。私は少しの寂しさはあったが彼の死を決して悲しまないと決めた。私にもその時が来ればまた会えるし、それまでは向こうでゆっくりと私達を眺めていて好きなテニスでもしていてくれと願った。そして私は突然やってくる死に対して初めて向き合い、彼の死をもって覚悟が出来て、残りの人生を今度は自分の意志で全うすることを誓った。

そして間もなく、同じ年に母が他界した。暫くの間、入院していたので度々看病で泊まり込んでいた。その時、母はよく夢を見て寝言を言っていた。その寝言は日増しにどんどん昔の懐かしい話になり、亡くなる前の最後の方は子供に返っていた夢を見ていた。亡くなる前は子供に返るとよく聞くが人は本当にそうなるんだと体験してそう思った。

仕事が忙しいを理由にあまり親元には帰らず、親不孝者だった私はこのような形でしか実家に帰れなかったことを後悔し詫びた。よく父はどんな時も仕事優先でと言ってくれていたが、心の中では親の死に目には間に合わないことは薄々感じていて覚悟していた。

そんな父は昔の人だから、家庭より仕事が大切のような生き方をしてきた人生だったと思う。仕事帰りも遅く、家族全員での夕食は殆ど記憶に無く、母は寂しがらずにそんな父を黙って後押ししていた。

そして私は眠る母の柩の前で初めて父の涙を見た。父はその場所から離れる事無く、通夜の朝方までずっと泣いていた。母に先に旅立たれ残された父は、あの質実剛健な姿もなく、弱々しい独りの寂しい男の後ろ姿だったのを覚えている。

そして母を見送り、暫く経って父も亡くなった。それは寂しがっていた父を見て、母が呼んだのかも知れない。肉親を一度に亡くした私はこれも順番でいずれ私もその番がやってくることを実感し、まだまだそちらに呼ばないように祈り、何不自由もなく育ててくれたことに感謝した。

何故ならこの時、私にはやらなければならないことがあったから。


あれからどれくらい経ったのだろうか。お互いがずっと一緒に居ることを信じた時から。もう決して離れないことを約束した日から。いつも幸せだった頃から。

どれくらいお互い愛したのか、愛されたのか。もう語りつくしたのか、まだまだ話すことがあるのか。

38年分の想いは果たせたのか、まだまだやらなければならないことがあるのだろか。

私は日々、自問自答しながら生きている。私達はもう年老いてしまったのか。

彼女はよく私に言っていた。

「もう昔と違って私達は若くないんだから」

と言われているが、私は彼女がなんと言おうともずっと夢見る少年のような気持ちでいている。

幾つになろうが私はずっと夢を追いかけて生きてきたし、これからもそうして生きていかないと折角の一度の人生だし、残された時間をつまらない人生にはしたくなかった。

残念ながらまだ彼女とは海外旅行も行って無いので、いつか一緒に行き、残りの人生を一緒に過ごし楽しみたいと思っていた。たとえ命短かな人生であっても真っ白になるまで燃え尽きたいと思っていた。

そして彼女にはいずれ落ち着いたら一緒にハワイで暮らさないかと言っていた。それは私の夢というか一つの目標であって、私が彼女と出会えていない時から、いずれ将来、独り身であっても、ハワイのコンドミニアムで暮らすと決めていた。以前はパリで美術鑑賞等しながら暮らそうかと考えていた時もあったが、現実的に考えると長期滞在上、医療関係とか少し不安材料が多かったので、やはり英語圏で住みやすい暖かいハワイの方が良いと考えが変わっていった。

大好きな彼女と手を繋いで毎朝早起きして、ビーチ側のアラモアナ公園を散歩して、ショッピングセンターで少し早めのブランチをし、砂浜でビーチパラソルを立てて昼寝したり、何することなくゆっくりとした時間を過ごし、たまにお揃いのアロハシャツを着て、サンセットビーチに沈む夕日を見ながらレストランでワインと食事を楽しむ、こんな事を夢描いていた。

そしてちょっとだけ彼女の水着姿も見てみたいと思ったし、彼女にその話をしたら、

「バカなこと言わないで。もう何年も水着着ていないのよ。もっと早く出会えていたら、私のナイスバディも見せてあげたのにね。残念ね」

と言われた。後で二十歳位の写真を見せてもらったが、高校の時に比べてやや髪がセミロングになっているくらいで、さほど変わらない写真だった。彼女に申し訳ないが、歳を重ねた今の方がよっぽど魅力的だった。

もしその時に出会っていたら、どんな話をしていたのだろう。私はがむしゃらに仕事をしていたから、ひょっとしたら彼女から愛想を尽かされてしまっていたかもしれない。

そんな事を話したり思ったりしていた。そしてこのままずっと続くと信じていたふたりの幸せな日々は長く続かなかった。


最近彼女は私と会っていても以前と比べるとあまり元気がなく、何時もの明るい笑顔も見られなくなっていた。そして私が

「大丈夫?どこか体調でも悪いのか?」

と聞いても

「何も無いよ」

と答えるばかりで、そんな会話が数日間続いたある日、彼女と突然連絡が途絶えた。

それは一週間も続き、私達には今までにこんな状況はなかった。私は毎日のように電話やメールをしていたが一向に連絡が取れず、心配が増すばかりだった。

(何かあったに違いない)

と思っていて、彼女の家に向かって車を走らせていた時、突然彼女からメールが届いた。

「ごめんね。心配かけてしまったね」

「検査入院していたの。正樹のことだから、その事言っても言わなくても心配すると思っていたけど言えなかった」

私は直ぐに電話をかけ、

「どこか悪いの?」

と聞くと

「実は・・・」

彼女は突然家で倒れ、ちょうどその時に息子がいてくれて救急車で運ばれ大事に至らなかったらしい。

そう言えば、以前話の中で彼女がまだ二十歳過ぎの時に、同じように急に意識がなくなり倒れたことがあって、その時も大きな病院で脳検査してもらっていたが、特にこれといった脳に異常も無く、直ぐに元気になったと言っていたのを思い出していた。単なるめまいなのか、当時は気にしていなかったらしい。そしてそれ以後は意識を失うこともなく、とても元気で過ごしていたらしく、今回は少し驚いて再度検査を申し出たらしい。年齢も年齢だから越したことはないと。


一週間が経って検査結果が出たと知らせを聞いた。それは思っていた予想と反して悪い結果だった。脳の奥の方に影があったからだ。20年前には見付からなかったが、それは医療技術が進歩したのか今回判明した。

彼女の病名は脳の記憶を司る部分に影ができていたのが見つかった。

そして間もなく医師に大きな病院を紹介され、検査入院しなければならなくなった。

まだこの時点では直ぐに手術にはならないらしいが、いずれ手術するの方向になるのは避けられないということだった。もし、もう一度倒れるような事があれば直ぐに緊急手術になるらしい。

私はその話に愕然としたが、彼女の方がもっと落ち込んでいると思って、私は出来るだけ彼女の前では明るく振る舞った。

(これから先、一緒に暮らさないか)

と考えていたのに、どうして彼女だけにこのような事になるのだろうか。

人生は苦しい事や悲しい事と楽しい事や嬉しい事は半分半分、50対50だと思い込んでいた。なのに彼女は若い時から母親を亡くし、青春時代も友人とも遊べずに家の家事など母親に代わって全てやってきた。そして残る最後の身内の大好きな兄も亡くし、余りにも不公平すぎる人生だったと・・・。

私の事はさておき、まだまだ彼女には幸せになる権利があるはずなのに、神はどうして彼女にそのような事を与えようとなさるのか。

どうして神は私の大切な人を奪おうとするのか。

これから私はどのような事をすれば彼女を守る事が出来るのだろうか。これは神が私に与えた試練なのか。私はその事が頭から離れなかった。

私は時間が経つにつれて、計り知れない不安と愛しい気持ちは増すばかりだった。

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