第33話 誕生日の指輪
もうすぐ彼女の誕生日がやってくる。高校生の時は、今では懐かしい当時流行っていたフォークソンググループのレコードをプレゼントしたことを覚えている。後にそのグループは全国的に有名なグループになり、今でもカラオケでよく歌われている曲で、その時はまだ無名だった頃のファーストアルバムだった。このレコードを選んだ理由は歌詞の内容が、小心者の私の彼女を想う気持ちと同じだったので、大好きな彼女にうまく気持ちを伝えることが出来なかったからせめてレコードでもと思った。
今回出会って彼女の誕生日に何をプレゼントして良いか決めかねていたが、38年経った今、中々思いつかない。仕事上のマーケティングリサーチは慣れているが、恋愛に未熟な私にとっては、迷うことばかりだった。
とりあえずデパートまで行けばなんとかなると思い、ショッピングに独りで出掛けた。兎に角、アイテムを決めなければ何も始まらない。大人の女性が貰って喜びそうなアイテムとは何かを考え、プレゼントなら貴金属類が良いのではないかと思い、即座に此だと決めた。恐らく貴金属類ならまず外すことないだろうと思っていた。
そして沢山持っていても邪魔にならないアイテムは何かを考え、ファッションリングかネックレスに絞った。私がパリによく行っていた時に何軒か時々立ち寄っていたブランドを思い出し、デパートのインターナショナルブランド階に行ってみることにした。彼女はどのブランドが好きか分からないし、全くブランド品を受けつけない人だっていることは知ってはいるが、でも良い物を知ること、一流品と呼ばれる物や素敵だと感じることは決して悪い事ではないし、多少のブランドの歴史も仕事柄勉強していたので、彼女には説明が出来る。
そう思いながらウィンドウショッピングしているとディスプレイの指輪が目に飛び込んできた。
(よし。アイテムは指輪にしよう)
これなら女性は沢山持っているし、私からのプレゼントの一つとして受け取ってもらえそうだと思い、私は指輪に決めた。そしてお店の中に入ると直ぐに洗練されたこのブランドに相応しい女性の接客係が現れて
「今日は何をお探しでしょうか?」
と訪ねられた。私は
「女性にプレゼントする指輪を見せてほしい」
と答えるとその彼女は直ぐに
「どういった種類や感じの物をお探しでしょうか?」
と聞かれ、私も直ぐに
「貰って邪魔にならないもの」
と咄嗟に余りにもばか正直過ぎる恥ずかしい本音を言ってしまった。
すると彼女は私の言ったことを理解してくれたかのように、苦笑しながらショーケースの中から幾つかセレクトしてくれた指輪をワイン色のベルベットで貼られたトレイケースの上に差し出して見せてくれた。
ゴールド系、プラチナ系、宝石類の有無とそれぞれ異なった素敵なデザインで迷っていると、彼女は私の思い悩んでいるのを見かねて
「どういった感じの女性の方でしょうか?」
と質問された。
それは年齢なのか、キャリアなのか、容姿なのか、或いはまた服装の趣味なのかを答えるのに余りにも難しい質問だった。
そう言えば安奈は高校生時代からあまり流行を追わないベーシックな服装だったし、どちらかと言えばスポーツが好きな女の子だったのでトレーニングウェアー姿の方がピッタリとくるようなタイプだった。
それはあくまでも高校生時代のことであって今の彼女はアクセサリーに対してどういう志向かわからなかった。私は色んなことを想像しながら思わず口にしてしまった。
「スポーツ好きでジャージー姿が似合う初恋の女性です」
と言うと彼女は私の突拍子もない返答に少し驚いた様子で
「お客様が迷われるくらいのきっと素敵な女性なのでしょうね」
と嬉しい言葉を言ってくれたのは良いが、きっと彼女は答えようが無かったのだろう。
私は彼女の言葉に気をとられていて、指輪をプレゼントするのにあたって重大なことをすっかり忘れていた。
(指輪のサイズ?)
これが判らないとプレゼント出来ない。そしてプレゼントとしてはどのくらいの価格が良いのか、全く分からなかった。私は昔から気に入った物があれば常識範囲内であれば金額関係なしにカードで直ぐに買ってしまう癖があり、後でカード請求書を見て驚かされる。
困った私は一旦、接客してもらった女性に事情を説明してもう一度来店することを約束した。
指輪のサイズを彼女に内緒でどうすれば知ることが出来るのかを考えていて、そしてもっとも古典的な手法を思い付いた。
私は昼間、彼女に話があると言ってわざと古めかしい喫茶店に呼び出した。それは古風な喫茶店でないとこの手法が使えなかったからだ。
そして喫茶店に入り、私はアイスコーヒーを彼女は温かいコーヒーを注文した。私の場合、アイスコーヒーかアイスティーか冷たい物でなければならない理由があった。それは冷たい飲み物を注文してどうしても紙に包まれたストローが必要だったからだ。そして彼女に悟られないように、待ち合わせした理由を話した。
「ごめんね、急に会いたくなった。高校の時にこんな古めかしい喫茶店に行ったことあったよね」
と言って彼女の手を握った。そして気付かれないようにたわいのない話をしながら、おもむろにアイスコーヒーのストローの包んであった紙を細く紡いで紙の指輪を作って彼女の薬指に巻き付けた。
「女性の指ってこんなに細いんだ」
と私は白々しく彼女にばれないように話を反らして言った。
「もう何年も指輪していないから細くなったかどうか分からないわ。それよりこの紙の指輪、記念に私貰っていいかな?折角、正樹が作ってくれた指輪だし・・・」
と言われて、ダメとも言えないまま、サイズを測ろうと作った紙の指輪を取り上げられてしまった。
仕方なく私はもう一杯アイスコーヒーを注文して再びストローで指輪を作り、彼女に言った。
「俺の指に合った指輪を作ったから先ほどの指輪と交換しよう」
と言って彼女には私のサイズの紙で作った指輪を渡した。そして彼女が席を離れたすきに、私は持っていた手帳に彼女の指のサイズが分かる紙の指輪を型崩れないように大切に挟んだ。
そして何事もなかったように彼女と喫茶店を後にした。
そしてその日の夜にプレゼントの金額を考えてみた。
昔の有名な映画のように、宝石商で名高い一流ブランドのお店で、景品のおまけの指輪の裏に刻印だけ入れてもらうなんて素敵な話だが、さすがにそれは映画であって出来ない。そして考えたのは38年目だから、もし付き合ってたとして毎年10万円の誕生日プレゼントを送っていたとしたら380万円になるが、それでは彼女は高価すぎて受け取ってくれないのではと思い、気を使わせない範囲で38万円位のプレゼントを送ろうと決め、次の日に約束したお店に行った。
そしてまた同じ彼女が接客してくれたので、色々話することなく指輪を見せてくれた。その中で以前会った時に彼女がしていたゴールド系の時計と良くマッチしたデザインの指輪があったので直ぐに決めて、接客係の女性に
「この指輪でお願いします。指輪のサイズはこれで・・・」
と言って、手帳に挟んだ紙の指輪を渡した。
彼女は目をキョロキョロさせながら私の紙の指輪に、リングサイズを測る目盛りのついた金属の棒に紙の指輪を通して目盛りを確認したらショーケースの下の引き出しから徐にそのサイズに合った指輪を見つけてくれて私に
「私どもの商品はお客様の愛情こもったこの紙の指輪には劣りますが、こちらでどうでしょうか」
と言われてとても恥ずかしかったことを覚えている。
そして私は
「それでお願いします」
と一言だけ言って、彼女にプレゼント用の包装をしてもらった。
そして帰り際にもブティックの入り口までお見送りしてもらって
「次にまたお越しくださった時にも是非この紙の指輪もお持ちになって下さい」
と言われ、わざわざプレゼント用とは別の指輪ケースに入れて渡してくれた。流石、一流ブランドの心地よい対応に感謝した。
そして誕生日の日に私は何時ものように食事とワインの出来る古くからあるイタリアンレストランを予約して彼女と待ち合わせした。ここのオーナーはイタリア人でオープン時からの出会いで、オーナーの出身のプーリア地方のイタリア郷土料理を出すとても美味しいお店で、この店のカメリエーレ(レストランのホールの男性)はワインに精通した素晴らしい人でよくイタリアワインについて教えてもらっていた。そして私は彼女の誕生日とあって、この日の為にわざわざ東京の生花店から取り寄せた珍しいブルーの薔薇を持参して誕生日を祝った。ブルーの薔薇は願いが叶うと言う花言葉で昔、何かで読んだことがあった。彼女もとても喜んでくれて、後にドライフラワーにして大切にしてくれているらしい。
そして38年目の誕生日を祝ってシャンパーニュと大好きなワインで乾杯した。そしておもむろに鞄から誕生日プレゼントの指輪を渡した。彼女はその包装されたプレゼントを見て箱の大きさから瞬間に指輪と気付き、
「何これ?指輪かな」
と言ってくれて私の目の前で直ぐに包みを開けてくれた。
そしてその指輪を早速、薬指にはめてくれてその左手の薬指を私にもわかるように見せてくれた。
「有り難う。似合ってる?」
と聞かれ私は
「勿論」
と一言だけ笑顔で言った。それは想像以上に彼女の指に良く似合っていたからだ。そして私は彼女にどうして指輪にしたか、ありのまま話した。
「38年間逢っていなかったから38年分のプレゼントだよ」
と言い、全てを聞いた彼女は
「ゼロが一つも二つも足りないよ」
と言われた。やっぱりと思いながら彼女に問いただした。
「本当に高価な物でも受け取ってくれた?」
彼女は少し怒った表情しながら
「正樹はまだまだダメね。私はもういっぱい正樹から貰っているよ。
兄が亡くなって落ち込んでいる私を慰めてくれたし、息子の子猫が死んだ時に話してくれたことで私も息子もどれだけ癒されたか。
沢山色んな思い出もいっぱい作ってくれたし、何より神様からの正樹と出逢えたことのプレゼントも貰ったよ。だからゼロが二つも三つもゼロが幾つあっても足りないよ」
物にとらわれていた自分が正直恥ずかしかったことを覚えている。
そして彼女は私がプレゼントに指輪することも知っていて、ストローの紙で作った指輪でサイズ測ろうとしていたことも分かっていたらしく、だから彼女は私の作った紙の指輪を取り上げサイズが判らないようにしたと言うのだ。
そしてふたりで初めてお祝いした誕生日もあっという間に過ぎていったので、彼女の提案でその誕生日月の一か月間は毎日ふたりで誕生日会をすることにして、色んなレストランで食事をする度に
「今日も明日も明後日も、まだまだ誕生日ありますよね」
と言われながらも私達の大好きなワインで誕生日を祝った。
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