第30話 38年目の初恋
私はバーテンダーのあのゴルファーの話を聞いて共鳴し、たとえ人生で一度くらいバカと言われるような事をしても、心のままに生きていける覚悟は出来た。それは何もしなければ始まらないし、やってみないと後で悔いが残るように思えたからだ。今までの私の人生は仕事柄、良く考えて又は分析及び調査してから行動に移すやり方で生きてきた。それも恐らくプライベートでも自然と同じだったように思える。いわゆる良い風に言えば堅実的というか、出来るだけリスクを回避してと考えていたと思う。
でも今回はまず気持ちのままに行動してみようと決めていた。だから彼女とは高校生の時のように、学校から帰ったら晩御飯済ませて毎日のように一日の出来事や映画や音楽の話題を話したように、これからメールや電話で話したり、会って食事したり、お酒飲んだりして一緒に残りの人生を楽しもうと決めた。
早速、私はまずふたりで大人になったデートをしたかった。同窓会の二次会では確かに一緒にお酒を飲んだりしたが、皆と一緒で二人きりじゃなかったので、デートとは到底呼べないものだった。だから今回はロマンチックな洒落たレストランで食事をして、静かなバーで日付が変わるまで一緒にたわいのない話をしながら私達の大好きな赤ワインを飲む。そして夜が明けたらホテルで濃いエスプレッソのようなモーニングコーヒーを飲み、うとうとしながらでも朝から映画館に行って上映している恋愛映画を観て、遅めのブランチを食べながら映画の感想を語り合う。
これこそがあの人生の機微に通じたバーテンダーが言っていた大人の今だからこそ出来ることだと思った。
高校生には絶対出来ないこと。ゆっくりとした時間の流れに包まれながら、やり残したことじゃなく、今からやってみたいこと、ふたりで共に出来ることを話してみたい。
そして私は彼女に連絡してデートの約束をした。彼女にそのことを話したら彼女もそう望んでくれて、私からの連絡を待ってくれていて嬉しかった。
そして夏の暑い昼間を避け、夜の静かなラグジュアリーなフレンチレストランを予約した。私はレストランのコンシェルジュに頼んで個室を用意してもらい、彼女の大好きな赤いバラ38本の花束をテーブルに置いてもらうように頼んだ。するとコンシェルジュは
「38の数字の何かの記念日ですね」
そう言われて私は
「38年目のファーストキスをしようかと思って」
と冗談を言ってアペリティフにブルゴーニュ産のシャンパーニュもオーダーしておいた。
本音は晩秋のパリで、シャンゼリゼ通りに面したレストランで食事して、私はコートの襟を立ててふたりで腕を組みながらセーヌ川の辺りを歩いて、夜にはナイトクルージングを楽しむ。いつかはきっとそういう日がくることを願っていた。私にとってパリは第二の故郷の気持ちになっていたので、きっと彼女とふたりだったらどれほど楽しい旅が出来ることだろうかと思っていた。今はとりあえず、日本での楽しいひとときを過ごすことにした。
当日、私達は少しドレスアップして予約していたレストランに向かった。まだ彼女にはスーツ姿の私を見せていなかったので彼女の反応も楽しみの一つだった。
レストランは二階建てになっていて入り口を入ると直ぐに吹き抜けの広々とした空間のエントランスがあり、その真ん中に真っ赤な絨毯を引きつめた螺旋階段で、その階段の横には8席くらいのマホガニー材を使った渋目のカウンターのウェイティングルームがあった。そして食事の準備出来るまで、私達はウェイティングルームでレストランのオリジナルのカクテルを頂いた。
間もなく、コンシェルジュは予約していた通り、中二階の20畳ほどの個室に案内してくれて、その部屋の真ん中に真っ白なクロスのかかったテーブルが用意され、その上に赤いバラの花束もいっしょに置かれていて彼女はその花束を見て驚いた様子で言った。
「これって?」
「高校生時代から安奈が好きだった赤いバラだよ。38年目の再会だから同じ本数用意してもらった。メニューに書いてあったんだけど、50本バラを注文すると一回好きな人にキスできる引換券が貰えるんだって。これから後12年ここに通わなくっちゃね」
そんな冗談言いながら食事を楽しんだ。私達にとってお互いの共通の思い出は高校二年の時の短すぎる思い出しかなかった。そんな話の中、私は彼女に言った。
「今度、一緒に高校に行って思い出探ししないか?クラスの二階の教室だって覚えているし、ふたりが忘れていたこともきっとあるよ」
彼女は簡単に了承してくれて、次回のデートは決まった。
私達は直ぐにワイン一本空けると彼女は徐にコンシェルジュにワインリストを要求してリストを見ながら私にこう言った。
「赤ワインもう一本注文したら、いつでも好きな人とキス出来る引換券が貰えるんだって。正樹はどうする?」
負けず嫌いな性格は高校時代と変わっていなかった。
その話の様子を聞いていたコンシェルジュは思わず私に
「冗談じゃなかったんですね。38年目のファーストキスの事は」
と真剣な表情で聞いてきた。何も知らない彼女はあっけらかんとした表情で私達を見ていて、私達は思わず笑ってしまった。
楽しい食事も終わり、すっかり上機嫌になった私達はチェックを済ませて、静かなワインバーに場所を替えた。食事の好みやお酒の好みが合うことはなんて心地良い感じなんだろう。余りにもお互いに好みというか、好きな物が同じだったので私は彼女に言った。
「前世は俺たち兄妹だったかもね・・・」
の話になり、
「それじゃキス出来ないわよねぇ」
なんてここでも先ほどの話題は続いていた。
暫くボルドーグラスに入ったワインを見ながら彼女は私に聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「私達これからどうなるのかな・・・」
私のその答えは決まっていたがこの時はまだ話さなかった。
(これからは、会えなかった38年分の想いをふたりで一緒に取り戻す)
そして私は彼女にそんな想いと違った言葉で言った。
「お互いがまた会いたくなったら連絡する。そして暫くは時に委ねないか?」
この言い方なら彼女にとって重荷にならないだろうと思ったからだ。
私は彼女にそう言ってお店を出た。そしてタクシーで彼女の家の近くまで送り、
「今日は有り難う、とても楽しかったよ。また連絡するね」
とだけ言い残し、私もそのままタクシーで帰った。
帰り道の途中に私は運転手にコンビニエンスストアーに寄ってもらう様に頼んで、大好きな缶入りのアイスコーヒーを二本買ってもう一度タクシーに戻り、そして誰もいない公園に横付けにしてもらい運転手に
「10分だけこのまま付き合って下さい」
と言い、持っていた缶コーヒーを渡した。運転手さんも少し疲れていたのだろうか、ホッとしたかのように
「いいんですか、有り難うございます。じゃ遠慮なく頂きます」
と言って下さって何の会話も無く、二人でコーヒーを飲んだ。私は真っ直ぐに中々帰れずにいて、今まで会っていた彼女との余韻をもう少し楽しむと言うか想い浸っていたかった。
ふと窓の外を見ると夜空に綺麗な月が輝いていて、私は彼女と会えた事を神に感謝した。
(会えるのが少し遅くなったけど、有り難うございます)
そしてゆっくりと車を走り出してもらった。すると先ほどの私達の会話を聞き耳していたタクシーの運転手は私に向かってこう言った。
「お客様、全く逆方向なのに遠回りまでして送って行くなんて、よほど大切に思っている人なんですねぇ」
そのドライバーの言葉を聞いて私は改めて気付いた。
(安奈のことは大好きな気持ちでいるが、それよりも今は掛け替えのない大切な人であること)
そして私は高校の時に初めて会ったあの時の無邪気な彼女の笑顔を思い出しながら運転手に一言だけ気持ちを込めて答えた。
「あぁ、もう二度と手離したくない人なんです」
そして私はそう言い残してタクシーを降りた。
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