第21話 夢の途中
そして私は学校全てを卒業して晴れて社会人となり、アパレル系企業のマーケティング部門の研究室に就職した。
研究室の部署の主な仕事は、生産、販売等に直接に関わることなく、全事業部に市場分析した結果を各部署に方向性を示す業務だった。
この研究室は学生当時から企業研修で行っていた所で卒業前からいち早く内定が決まり、年末から学校が終わってから社員見習いでお手伝いをしていた。その結果、入社テストも無ければ面接も研修もパスしていた。
だから私は人生で一度も就職試験や面接も経験したことがなかった。
そしてその企業で一年の間に仕事を覚え、週に一度の割で著名な先生方の講演を聞くのも仕事の内で、出張で国内の企業廻りして多くの第一線で活躍する様々な人達と名刺交換して視野を広げてはアンテナを張り巡らしていた。
また沢山の資料の中から市場分析したプレゼンマップを作成したりしてみっちりと実践で培ってきた。
一年経った頃、その甲斐あってか私は一部上場の大手スポーツメーカーにヘッドハンティングされて、晴れて一つ親父に親孝行が出来たと思った。でも私の中ではまだ人生の途中経過であって、次なるステージを模索していた。
会社での部署は経験生かしたマーケティング部に配属され、暫くして後に企画開発部に配属になった。この配属で後の私の将来の仕事に大きな転換期となった。今までは商社系に就職することばかり考えていたが、物作りの素晴らしさと難しさを知って考え方が変わってしまった。そして唯一の決め手は一般アパレルのデザインよりスポーツのデザインの方が私に適していたからだ。それは全てのデザインが理論的で統制されていることに魅力を感じたことが理由のひとつだった。
もうひとつの理由は市場が国内だけに限らずに海外にあったこと、また海外のブランドライセンスが多く、フランスをはじめ、特に欧州に集中していたことも大きな要因になった。此こそがまさしく私が抱いていた世界を駆け巡る仕事だと確信した。
まずスポーツデザインに於ける基本的三大要素は素材、デザイン、カラーであり、デザインに関しては常に機能美が追求される。
一般のアパレルは市場にあった好きなデザインをすることが出来るがスポーツの場合は色々と種目によって規制や制限があり、それを踏まえた上でデザインしなければならない。それはデザインの規制のみならず素材やカラーの規制もある。例えばスキーのジャンプ競技では着用するウェアの素材の通気性の規制やパターン(型紙)の規制が有り、身長に対してスキー板の長さに至るまで把握しなければならない。
またテニスのある国際的な大会ではウェアや靴やソックスまで白色で統一しなければならない規制がある。他にスポンサーやスポーツメーカーのマークの大きさやロゴの大きさ、色の指定等、ウェアや用具に付ける規制とスポーツ種目によって様々な規制を把握しなければならない。
また他社の動向や市場分析も不可欠で日本国内に限らず海外ブランドを含め、市場を世界に向けて調査しなければならない。だから私は入社直ぐから海外出張に行き、世界市場の調査や各スポーツメーカーの展示会等、半年間は家に帰れないことも多々あったりした。
この時は特に欧州の出張が多く、殆どの国を廻った。まだ通貨も今でいうユーロじゃなく空港に到着したらまずその国の通貨に両替し、出国する際ももう一度両替する大変な時期だった。
帰国したら仕事の前に直ぐにその国の通貨のレート計算して出張旅費精算と出張報告書をまとめなければならなかった。それがいつも5か国は必ず渡航していたし、飛行機もまだ直行便が無くて16時間近くかけてのアンカレッジ経由の北回りだったことを覚えている。
その中で一番思い出の出張はフランス、パリ無泊の出張、朝七時半にシャルル・ド・ゴール空港に着き、直ぐにパリ市内までタクシーで移動してフランスの提携会社二件を訪問して夕方の四時過ぎの便で帰ったこともあった。
当時の欧州人は母国語のプライドが強く、まだまだ英語力がそこそこだったので私としては楽だった。また以前交際していた彼女にフランス語を教えてもらっていたお陰でフランスのメーカーの打ち合わせの際には役に立って感謝していた。
年に一回の商品開発だが半年間は殆ど出張の毎日が続き、約五か月間は商品開発の為の時間に費やしていた。今では考えられないが国内にいる時は残業も多く、日付が変わってもまだ残業していたり、寝袋を持って泊まり掛けの時もあって、なんだかクラブの合宿のような感じで、とても楽しかったのを覚えている。ただタイムカードを押した時は日付が変わっているので退社時間と出勤時間が二度打ちになり。よく総務課に怒られたのもだった。
給料より残業代の方が多かったのには総務課も呆れられていたことだっただろう。
兎に角、この会社になってから一生懸命働いていたが、仕事している概念はなく全てが私にとって目新しい事ばかりで意欲がどんどん湧き出ていたし、多くを学ばさせてもらったという感覚だった。
大手企業は仕事の役割分担にはなるが、ひとりの社員に掛ける経費割合はやはり大手企業ならではのものがあると当時感じていた。特に企画開発の部署は海外出張経費も含め、他の部署と比べたらかなり経費予算が計上されていることだ。
ただ営業部のような会社としての売上ノルマ等無いものの、売れない商品や市場にそぐわない商品開発をすれば直ぐに結果が出る為、個人リスクは大きい。またその分、売れ筋商品を開発すれば称賛の的になることも多々あった。
その後、オリンピック関連の仕事や有名ブランドも任されるようになり、数人の部下を配属してもらい、順風満帆のような時が過ぎ、そして五年が経とうとしていた。彼女のことも時折フッとした時に思い出すくらいで、私は時に委ねていた。
私はまだ仕事に対して夢の途中だった。それはあの時の交際していた当時女子大学生の彼女の言ってくれた、私の生き方の途中だった。
そして私は次の目標に向かって会社を退社することを既に決めていた。
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