第18話 ひとことが言えなくて
あの日の出来事は38年経った今でも時折鮮明に思い出す。もしもあの時にあの角で立ち竦まなくて行っていたらどのような運命になっていただろう。何も変わらなかったのだろうか。
でも少なくとも38年後に再会して彼女に伝える事は無かったし、その前に彼女に会いたいと思っただろうか。そして彼女を探していただろうか。
運命は定められたもの。所詮、どの道を選んで辿ったとしても、それは遅かれ早かれまた同じ道に戻り、繰り返しにしか過ぎないのだろう。
そして私は彼女と必ず再会していただろう。
そして伝えたい内容がたとえ変わっていたとしても・・・。
どうしても逢わなくてはいけない運命の人だったから。
後から彼女の友人と話をして分かったが、彼女の母親は彼女が二年生の時から癌でずっと入退院されていたということだった。そして彼女のお母さんを知る友人としても、とても心配していたそうだ。家事と大学受験の勉強を両立していた彼女はその当時、学校からの帰り道に夕食の材料を買い、帰ったら家族の夕食を作り、家の家事を任されていた。だから学校が終わったら寄り道しないで帰っていたと友人は話してくれた。
彼女と一緒に帰るようになった時に、時々私にだけ見せていたあの寂しそうな表情は、きっとお母さんの病気を心配しての事だと後からそう思った。
そう言えば、彼女を送っていった時にちょっと寄る所があるからと言って、駅のホームから出ないでいた事があった。何処に行くのか聞かなかったが、それはきっとお母さんの病院に寄っていたに違いない。
そして二年生のある日の帰り道、雨降る中で相合い傘で私に問いかけた。
「もし子犬と私が溺れてたらどっちを助ける?」
「嘘でも私と言ってよ」
ちょっと強張った表情で言ったあの言葉。
あの言葉の裏には
(ずっと側にいて私だけを見ていて)
そんな言葉を言って欲しかったのだろか・・・。
「俺は真っ先に安奈を助ける」
と言えば彼女はお母さんの事を話してくれたのだろうか。
そして彼女を少しでも哀しみから救い出せる事が出来たのだろうか。
(どうしてあの時気付いて彼女に聞けなかったのだろう)
(もっと側にいたら気付いたかも知れない)
何度も繰り返し繰り返し思う後悔の念に駈られていた。
あれから彼女は暫く喪中の為に学校に来なかった。私はあの日どうやって帰ったか覚えていない。次の日に学校に行っても勉強に身が入らず、家に居ても部屋に閉じこもった日々が暫く続いた。そしてずっと頭の中は彼女の事ばかり考えていた。
一週間が過ぎた頃、漸く彼女は学校に来た。私はそっと廊下から彼女の様子を見ていた。彼女は何も無かったかのように何時もの笑顔で楽しそうに友達と話していたのを見て、少しだけ私は安心したのと同時に、彼女の作り笑顔が無性に切なく思えた。
この半年は、自分の気持ちを伝えることばかりしか考えていなくて、彼女のこと何一つ理解しようとしていなかったそんな自分を恥じていた。
それから何日かが過ぎ、なかなか彼女と話す機会がなくて、たとえそのような話す機会があっても彼女にどのように話せば良いか言葉が見付からなかった。そしてたまに廊下ですれ違っても彼女はいつしか私を避けるようになっていた。
きっと彼女は私が葬儀に来なかったことで、怒っているかのように。
そんな中、クラスメートの誰もが私達のことは気にせずに、もっぱらの話題は自分達の進路の話題でそれぞれ準備で忙しくしていた。
ある日の学校からの帰りに私は久しぶりに電車に乗って帰った時、偶然にも彼女は友達と一緒に帰っていないで、ひとりで少し離れた同じ車両に乗っていた。そして私が見つけると彼女も気付き目と目が合った。私は彼女の方に近づいて話掛けた。
「久しぶり・・・」
「最近は忙しいからいっしょに帰れなくなったね」
「進路は決まった?卒業したらどうする?」
私は途切れ途切れ彼女に向かって思い浮かぶ言葉を選びながら話し掛けた。
そしてあの日の話は避けようとしていたが彼女はその事が分かっていたかのように聞いてきた。
「どうして来てくれなかったの?」
私は直ぐにあの日の事だと分かったがどうしても私は本当の事を言えなかった。
(側まで行ったけど・・・)
後に続く言葉が見つからないまま何も言えずにいた。
すると彼女は下向きながら
「私のこと、好きじゃなくなった?」と小さな声で聞かれた。
私はどのような言葉も出なかった。
ただあの時、安奈の側に居てあげることが出来なかったことが悔しくて仕方なかった。それも全て自分が気付いてあげられなかったことに腹立たしかった。そんなことを思いながら自然と言葉が出た。
「ごめん」
私達はお互いに黙ったままで彼女は電車を降りた。あの時、私は彼女にありのまま正直に
(側に居たよ)
(ずっと安奈のこと、好きだよ)
と言えば良かったのか。彼女に本当の事を言えば良かったのか。もし言っていたらこの先、私達はどういう運命を辿っていたのか、私の二回目の人生のターニングポイントだったと思う。
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