第3話 小さな魔法

幼稚園を卒業し、園児達は私立の小学校に行くのがほとんどだったが、私の場合は二人の兄達がいて家計面だと思うが、歩いて行ける近くの公立の小学校に行くことになっていた。私自身も私立でも公立でもあまりその差はまだ当時は理解出来ていなかった。

そして入学式を迎え、私は新しく一年生になった。幼稚園の時の男子はネイビーカラーのベレー帽に白のセーラー服に半ズボン姿で、白のハイソックスに黒のベーシックな革靴を履いていた。今から思えば嫌がりもせずにハイソな服装でよく通っていたものだと思う。でも大人になって分かった事だが、英国では子供の時から革靴を履く習慣があって、幼少時期に革靴を履いていたら正しい骨格形成が出来るということを、何かの本で読んだことがある。その反面、小学校では制服が無かったので好きな服装で登校できる事が嬉しかったのを覚えている。


そして私が二年生になったばかりの時に、とても不思議な体験をした。

その日は少し早めに登校して、何時ものように教室の窓から広がる雲を見ていた時だった。前日の夜にラジオを聞いていてあまり眠れなかったせいか、私は授業が始まるまでに、ついうとうとしてしまった。その時に不思議な夢を見た。

それは突然、同じ年頃の少女が雲の切れ間の一筋の光輝く道からゆっくり舞い降りてきて、私の方を見ながら私の居る教室に向かってこう話し掛けてきたのだ。

「誰?ずっと私を見ているのは誰?」

「私は使命を帯びて来ているのよ。寄り道したらダメだってと言われているのに・・・。寄り道させないでよ。お願いだからずっと見ないで、私の心を動かさないで」

そして私は目が覚めたが頭の中にその夢の少女がいて、暫くぼーっと考えていた。

(夢の見知らぬ少女は一体誰なんだろう?

何故、私の夢の中に出てきたんだろう)

それはそれは不思議な夢だった。

そして暫くするとチャイムが鳴り授業が始まった。前扉から何時も見慣れた担任の先生が現れた。この先生はまず入って来るなり私と視線を合わすのが日課だった。恐らく私がぼーっと外を眺めているに違いないとでも思っているのだろう。

その担任の女の先生は一年生の時からの持ち越しの教師歴の長そうなベテランの先生で、一年生の時から学級委員だった私は、担任の先生から何かと頼りにされていたと思う。今から考えれば学級委員は名ばかりで、低学年だったこともあってテストのプリントを配ったり回収したり、休んでいる子には給食のパンを届けたりしたくらいで、大した仕事でもなかったように思える。

その日は授業始まる前に転校生の紹介からスタートした。朝から騒がしかった教室が急に静かになった。

私は教室のそんな空気も分からず、担任の目を盗んでは何時ものように窓際の席からぼーっと空を眺めていた。別に退屈な訳ではないが、空に浮かぶ様々な形を変える雲が好きで、今日はどんな形の雲に出会えるのだろうと思っては、それを見ることが私の楽しみだった。


そしてひとりの女の子が担任に付き添って静かに教壇に現れた。

「転校生だ」と方々から男子のかん高い声が聞こえてきた。

(転校生か、ひとり新しい子が入るだけじゃないか)

と私は別に感心もなくやり過ごしていた。

そして他の男子達は興味津々で待ち構えていた。

「女の子だ。目がパッチリしていてシャープな顎したポニーテールの髪型のキュートな可愛い女の子だ」

男子達から様々な声が飛び交って教室中が騒ぎ立ち出した。

可愛いには個人的に様々な主観があるが、転校生の服装は白のブラウスにサスペンダー付のタータンチェック柄のスカートで白いソックスを履いた清楚な雰囲気の誰が観ても都会的な可愛い女の子だった。

担任の先生がゆっくりと黒板一杯に大きな字で名前を書き始めた。


「天地光」(あまち ひかる)


そしていつものフレーズで

「今日からこの学校に転校してきた、あまちひかるさんと言う女の子です。皆さん、仲良くしてあげて下さいねぇ」

と担任の先生は言った。そして付け加えて

「転校してきたばかりなので教科書が違うから今日一日だけは隣の人が一緒に見せてあげて下さいねぇ」

「学級委員の竹内君の横の席が空いているからそこに座って下さい」

「竹内君、ぼーっと外ばかり見ないで頼んだわよ」

担任の先生は何時もの調子で直ぐに何でも私に押し付けてくるのがうまかった。

(あれ?確か隣の席に誰か居たはずなのに・・・?)

いつの間に空席にと不思議なことがあった。それだけクラスの生徒には感心なく、隣の席が空いていることすら分からなかった。

(いや、確かに誰かが座っていたはずだ)

納得出来ないまま、私はゆっくりと席を引っ付けて転校生にそっと教科書を開いて

「今日の授業はここからだよ」

「俺は正樹。皆はそう呼んでいる。担任の言うぼーっとしてるは余計な話だけどね」

と気のない返事で話し掛けた。私は外を眺めるのを止めて転校生の側に身体を寄せた。

「私はひかる。有り難う」

と皆に聞こえないほどの囁くような声で言われた。そしてまじまじと顔を見た。

(確かに誰が見ても可愛いと思う転校生だ)

(微笑んだ時の横顔がとても可愛い女の子だ)

そして片方の教科書の端を持ちながら観察好きの私は、彼女の横顔をずっと見ていた。

(なんて綺麗な瞳しているんだろう)

(何故この学校に転校してきたんだろう)

暫く彼女を見ていると私の頭の中で彼女の幼かった頃の姿や、床屋で小さな椅子に乗って散髪している姿や日常の様子等の様々な景色が知らず知らずと浮かんできた。

(これは・・・?)

いわゆる、私の妄想なのか。

(何なんだろう、この感じ。夢を見ているようなこの不思議な感じ)

(彼女の事は何も知らないはずなのに、何で分かるのかな)

(ずっと一緒に居た感じでお互いに前から知っているような・・・)

初めての感覚でとても不思議な体験だった。そして子供心に直ぐにこう思った。

(これはきっと彼女の魔法にかかったんだ)

(あの綺麗なつぶらな瞳をずっと見ていたせいかな。それとも俺の耳の側で囁かれたせいかな)

(彼女はひょっとして魔法使い?)

当時、テレビで魔女を題材にしたコメディタッチのドラマがあって、魔女役の奥様が色々とトラブルを起こして旦那様やご近所の人達を巻き込むという内容の米国の放送番組がとても人気があってよく観ていた。そのドラマを思い出して私はこのように勝手に解釈して思った。

(そう。彼女はきっと僕を楽しませてくれる魔法使いかもしれない)

(そんな魔法ならずっと覚めないでいてほしいよ)

何か分からないが、暗い性格だった私が、周りの世界が急に明るくなり、この不思議な空気は次第に私を包み込むように変わらせていった。

たったひとりの女の子の存在だけで今までに味わったことのない心が張り裂けそうな不思議な気持ちになり、私は初めて異性を意識した瞬間だった。人はきっとこの時の張り裂けそうな気持ちを初恋と呼ぶのだろう。

そしてその時を最後に私はぼーっと空を眺めることはなくなった。

それは幼い魔女が私にかけた小さな魔法だったかもしれない。


そしてその日の授業は全て上の空で何一つ覚えていなかったが、たった一つだけはっきりと覚えているのは、彼女のあの時の綺麗なつぶらな瞳の横顔だけだった。

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