年の瀬、笑う三日月
外を歩いてすぐ、手袋を家に忘れたのを思い出した。赤みを帯びた指先に、ひりりと滲む寒さ。コートのポケットを突き抜けてくる風はどうしようもない。どこかに向かうわけでもないのに自然と早歩きになっていく。住宅街を縫うように進んでいった。どこもかしこも家の中から明かりが漏れている。普段この時間なら電気を落としている家も珍しくない。
今日は十二月三十一日、つまり、大晦日だ。俺だって去年、実家に居たときは家でくつろいでいた。深夜徘徊もとい夜散歩をするようになったのは、大学に入って一人暮らしを始めてからだ。夜はいつもの街の、全く違った色を見せてくれる。
今日は住宅街の外周を大回りするコース。自分の靴音と静まり返った暗がり、刺すような冷たさに包まれた。細く吐き出した白い息も夜と共に溶けていく。街の透き通った静けさはいつも通りだが、家の明かりが妙に浮ついていて、不思議な感じがした。これだけ明かりが多かったら星も見えないかもしれない。そう思って空を見上げるも、案の定星を見つけることはできなかった。代わりに青白い、寒さにあてられたような三日月がニヒルに笑っている。今夜ばかりは俺だけだ、と笑っているようで、なんだか可笑しい。
そのまま空を眺めていたら、遠くの沈殿した雲に気づいた。分厚いそいつは地上の明かりを閉じ込めて、不気味に白んでいる。冬ではよく見る現象だが、この時間に見るのは初めてかもしれない。
雲をこんな濁った色にするのも人の業なのだろうか、なんて柄にもなく考えてしまうから、今日は調子が狂う。
機械的に脚を動かしていた、そのとき。アスファルトから染み出すような低音が、住宅街に満ちる。足から伝って、髪の先まで震わせる重厚な音色。思わず足を止め、一定の間隔を置いて響く音を聞いていた。その音が鳴って十数回ほどで、俺は除夜の鐘が鳴っている、ということを理解できた。近くに寺があるのだろう。こんな場所で年を越してしまったが、こういう年越しも悪くない。そう思わせてくれるほど、綺麗で澄んだ鐘の音だった。
鐘の音に合わせて夜道を進む。家にカップ蕎麦がひとつ、残っていたはず。冷えた体を温めるのにちょうどいい。あとは適当に風呂にでも入って、さっさと寝てしまおう。
小走りに家へと向かう俺に、三日月がにやっと微笑んだ気がした。
愛すべき我楽多 白粉花(おしろいはな) @bismuth83
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