サイモンは支配されている(2/3)

「あらサイモン、また来たの」

 そう声をかけてきたのは、見世物小屋の住人、ヨシノである。

 先の老人は『支配者』に抗った末、見世物小屋に保護されたが、見世物小屋にいる多くは他の見世物小屋から連れられてきた者達である。故に、大海を知らない。見世物小屋の住人は協調性が強く、温和な性格の者が多かった。『支配者』に抗う者が多い一族の出の者も、こと見世物小屋の住人は『支配者』と協力関係にあることが多い。

 サイモンとヨシノは友人関係にあった。彼女の一族は、サイモンの一族とはまた違った美しさを持っている。青色の美しい髪色の彼女を、サイモンはとても好んでいた。彼女とどうこうなりたいなどとは思っていないが、時折この見世物小屋に訪れては彼女と他愛もない近況報告を繰り返す。

 シバカドは、きれいだなあと独り言ちながら写真を撮り続けていた。自らの美貌に自信があるのか、それとも慣れてしまっているのか、ヨシノは全く気にする様子はない。むしろ、ファンサービスに応えるように腕を広げ、青い髪を風に泳がせる。ヨシノは撮られるのか好きらしく、鼻を大きく膨らませていた。自信に満ち溢れたオンナの顔は美しく、堂々とした彼女の立ち振る舞い、そしてその容姿に、サイモンは心の中で称賛を贈った。

 サイモンの主人の悪いところが似てしまったようで、女性を素直に褒めるという行為がどうにも恥ずかしく、苦手なのだ。

「ヨシノ、さっき『保護された』ヤツに会ったんだ」

「ああ、聞いたわ。私たちのこと馬鹿にしてるって」

「君はここでの暮らしに満足していると思っていたけど、やはり檻から出たいと思っているのかな」

「そんなことないわ。私はここでの生活に満足をしている。私は外の世界を知らないけれど――毎日ご飯も出るし。身の安全も確保されている。そりゃあ私たちの行動範囲は限られているけど、そんなのは些末なことよ」

「いつもいつも『支配者』に監視されて、見世物にされて、嫌にならない?」

 そう言うと、ヨシノは声をあげて笑った。その声は特徴的だが美しい。

「それを言うなら、あなたこそ退屈じゃないの? いつもいつも同じ人と顔を付きわせて、昼間は家では独りぼっち。寂しそうだわ。私はここで仲間たちとずっと一緒にいれて、『支配者』も適度な距離感で接してくれる。快適よ」

「そうか、それならよかった。幸いにも僕も主人には恵まれてね、とても楽しく生活をしている。あ、でもたまに嗅ぐ猛烈なご主人の屁には卒倒しそうになるけどね」

「あなたの一族は鼻が良いものね、大変だわ」

 サイモンと彼女は、シバカドに目を遣った。

 シバカドのカメラには十万円で買った白い中古の、大砲のような巨大なレンズが装着されている。本体はそこまで大きくもないのに、まるで嘘つき人形の鼻のように白く突き出たレンズはひどく不格好に見えた。ぷるぷる腕を震わせ、不格好なカメラで、不格好な体勢で写真を撮り続けている。

 ひとしきり撮ると満足したのか、シバカドは肉眼で見たヨシノの美しい青い髪に小さく感嘆した。

「本当にきれいな青色だなあ。サイモン、うちにも似たような子を迎えるのはどうだ? お前も気に入っているようだし」

「あら、あなたそんなに私のことが好きだったのね」

「ヨシノ、誤解を生むようなことはやめてくれ」

「なあなあ、サイモン~」

 サイモンに無視をされたと判断したシバカドは、サイモンをわしわしと頭をなでながらすり寄る。

 こういうところ、ほんとめんどくさい。構ってちゃんが過ぎるとサイモンは心の中でぼやき、嘆息した。ヨシノはやっぱり『支配者』と暮らすなんて面倒だわ、とでも言わんばかりの顔である。

「ご主人、そういう考え方はよくない。僕はヨシノとの会話が好きなだけであって、彼女の姿かたちに惚れて今ここで話しているわけではない」

「反対か? 家が賑やかになっていいと思ったんだけどなあ。お前が来てから毎日とても楽しいし」

 シバカドは残念そうに笑った。

 シバカドは、真っ黒い髪のブサイクな三十路である。もういい年なのに結婚もしていない。趣味はカメラで、たまにでなく鬱陶しい時があるが、とても優しい男だ。


 ――とはいえ、サイモンは辟易していた。

 月に一度も来ていれば目新しいものもなく、カメラにも興味がないサイモンは手もちぶさただ。暇そうにしていると、シバカドはサイモンをモデルにポートレート写真を撮り始める。やっぱりサイモンが一番だな、なんて言うものだからついにんまりとしてしまうものの、モデルも楽じゃないとサイモンは地面に座り込んだ。 

「サイモンもう疲れたのか? んじゃ、そろそろ休憩しよっか。いつものでいいよな。買ってくるからちょっと待ってて」

 サイモンが日陰で暫く休んでいると、シバカドがクッキーと飲み物を持って帰ってきた。クッキーはサイモンの大好物だ。とりわけ腹が減っていたというわけでもないが、それを見た瞬間口の中が唾液で濡れる。

「はい、おやつ。どうぞ」

「ありがとうご主人」

 娯楽の為に『支配者』は奴隷を買い、隷属させる。

 その娯楽の中では、殴る蹴るなどの暴行を働くために奴隷を買う人もいる。恵まれない繁殖工場では狭くるしい劣悪な環境で過ごし、出荷のタイミングを逃すとそのまま殺処分にされてしまうこともあると知った。

 幸いにも、シバカドはとても良い主人だった。

 サイモンの友人達は、主人は奴隷達の声になど全く耳を貸さない。例えば、まずい飯を毎日出し続ける――なんて言うのはよく聞く話だ。しかし、シバカドは違う。シバカドはサイモンの好きなものを瞬時に見分け、美味しい食事を用意する。仕事から帰ってきた夜分。シバカドの腹からはぐぅぐぅと大合唱が聞こえていても、ごめんなと謝りながら、上着も脱がずにサイモンの食事を用意した。寝る時間を惜しんでサイモンの髪を丁寧に梳かし、休みの日も早起きをしてサイモンと出かけに行く。毎日毎日、欠かさずサイモンとの時間を共有した。

 ある時、背中を小さく丸めているシバカドにそっと近寄ると、嬉しそうに笑ったのち、サイモンの頭をなでた時があった。

 『サイモン、お前が居てくれて本当に良かった。俺は幸せだ』

 自分は、必要とされている。その事実は、サイモンに安寧をもたらした。二人は主人と奴隷の関係を超えた何かで、互いに互いを必要としている。シバカドは誰よりもサイモンのことを理解していたし、サイモンも誰よりもシバカドのことを理解している。少なくとも、サイモンはそう自負している。ここまで自分を想ってくれる愛すべき主人の為に生命を全うしよう。サイモンはそう決意した。

 サイモンの主人シバカドは、北極の最北端にある人が住む町、シオラパルクよりさらに北の地で極夜探検をしていた最中、主人と生き抜くために主人の糞を食らう『ウヤミリック』にいたく感動していたが、サイモンからすればそんなことは全く大したことじゃない。シバカドは『糞を食べるほど信頼している』と思っているようだが、サイモンに言わせればただ腹が減っていたから食べただけだ。『ウヤミリック』が食糞したのは食糧不足でそれしか食べるものがなかったからだし、事実、他にうまい肉があったときは糞など食べなかった。――まさしく糞ほどに興味がない、と言わんばかりに。食糞することは、決して信頼の証なんかではない。『ウヤミリック』と『支配者』の間に絆はあったのであろうが、それと食糞については全く関係がないことだ。

 この食料に溢れた世界で、主人の糞を食べて生き抜くような事態になるとは到底思えないが、そういった状況になれば主人の糞くらい食うだろう。だがそれはあくまで自らが生き抜くための手段に他ならない。サイモンは有事の際には自らの肉を主人に分け与えると決意している。この自己犠牲こそが美徳だ、などと言う気はないが、自らの肉を主人に分け与えるこの行為こそが『信頼の証』だ。自らの肉――自らの食糧だけでなく、自らの血肉さえも食料として。

 そんな確固たる決意をしているサイモンではあったが、現実はあまりに非情だった。

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