第四話 ノアの遺産

手間てまァかけさせやがって」


立花たちばなさん……こいつらです。間違いありません」


 金髪の男は早乙女達たちを指さしながらスーツに身を包んだ男に話しかける。立花たちばなという男は三人の不良たちの後ろから静かに登場し、明確な悪意をその雰囲気から放っている。自分たちの年齢よりも一回りもあるであろうそいつは胸ポケットから煙草たばこを取り出して落ち着いた様子で一服いっぷくしだした。


「なんで場所が分かったんだ!?」


「ふぅ……。なんだ、若いくせに位置いち感知かんちのアプリも知らねェのか?」


「まさか!」

 少女は自分の体のあちこちに目を向けると左腕、ちょうど二の腕の裏あたりに白い肌にペンキで塗ったかのような淡い赤色の手形があるのに気付いた。


「なんなんだそれ?」


「これはマーキングです。追跡ついせきしたい相手につけるとその対象がどこを通ったのか視界に移るようになります。ただしこれは対象に気付かれると自動で効力を失います……、私としたことがなんで気付かなかったのでしょう!!」


 少女がそういうと、腕の手形はゆっくりと消えていく。彼女は顔に悔しさを浮かべ眼前の敵を睨み付けてから早乙女を自分の後ろに下がらせた。


「アナタたちの狙いは私でしょう。この人は関係ありません!」

 男らしく女の子を守る――思いはあっても体は動かない。早乙女は少女の小さな背中を見ながらそっと唇を噛みしめる。逃げ出したいという気持ちと男としてのプライド。早乙女はその両方の板挟みでその場から動けないでいた。

 そんな彼らをよそに三人の男たちはコキコキと指の関節を鳴らしながら近づいてくる。そして射程圏内に捉えると金髪の男が勢いよく拳を突き出してきたその時だった。


「ぐはっっ!!」


 金髪男は鈍い叫び声をあげ、自身の右拳を抑えながらふらふらと後ろに後退する。早乙女は何が起きたかわからずただ茫然ぼうぜんと自分の前にどっしり構える少女を眺める。

 金髪男のパンチは確かに少女にあたったはずだった。体格差は歴然れきぜんとしているのにも関わらず、結果は痛みにもだえ崩れ落ちる男と仁王におう立ちで動かない女の子という奇妙な光景が残った。


(いまのは……?)


 少女の体が硬化こうかしたわけではない。少女の体に変化は見られない。しかし、少女の足元の木の葉が不自然に上に舞い上がりちょうど彼女の周りの空気が彼女を守るかのように、明らかに意思を持って動いていた。


防御ぼうぎょ型か……。でも出力が高いな……出力範囲は体の付近のみといったところか。おもしろい……ただの女じゃなさそうだ」


「これはただの防御ぼうぎょアプリではありません。大気を圧縮した膜は金属のそれと変わらりません……。ただの打撃程度なら私には効きませんよ! ここは私が防ぐので貴方はすきを見て逃げて下さい!」

 そう言い放つと少女は再び前方の男たちを睨みつけそのまま男たちのもとへ突っ込んでいった。少女は拳を繰り出し男たちに反撃するが、彼らにはあたらず空を切る。やはり小さな彼女の身長ではリーチの差で苦戦している。少女の懸命な猛攻もうこう。逃げろと言われても素直にそうできない状況に早乙女はその様子をただただ見つめることしかできなかった。


「へへ、所詮しょせんは女。お前の攻撃なんてかすりもしねぇ!」


 やがて体格のいい丸刈りと黒髪のオールバックの男たちは少女の攻撃をかわしながらよろめく金髪男を立ち上がらせる。四対一の状況では明らかに少女が不利ではあるが、彼らも少女の展開する脳力アプリに手出しができないでいた。しびれれを切らした黒髪男はちょうど腕時計を見るような仕草しぐさをとった後、さらに左の前腕部あたりをコンコンと軽く二回タップした。


「気を付けてください。なにかアプリを起動してきます」


 通常、脳力アプリを起動する時には体のどこかの部位に表示しているスロットをさわらなければならないがその表示は他者からは見えない。どんな現象が起こるのか出力されるまでわからないのだ。『Noah』は「アプリを起動するぞ」という信号を脳から受け取り、眼の神経を伝って自身にしか見えない視界を展開している。そして、その視界のもと、表示されたスロット部分にある皮膚が「二回タップされた」と感じるとアプリが起動する。したがって、この男がどんなアプリを持っているか、どこに脳力アプリ画面スロットがあるのか、何を使用してくるかは出力されるまで他人からは認識できないのだ。

 一連の動作の後、黒髪は早乙女たちをにらみつけた。そして服の内ポケットをガサガサとあさり、一本のカッターナイフを取り出し再びこちらにゆっくりと歩み寄る。


「カッターナイフ……?」


「いいえ、あれはただのカッターナイフではありません。刃の方をよく見てください。わずかですが高速に振動しています……。あれに切られると血が出る程度じゃ済みそうにありませんね」


 少女にそう言われ刃の方に目を凝らす。すると、本当に小刻みに高速で振動しているのが分かる。

 そして男はこれ見よがしにカッターナイフをぶんぶんと振り回し、近くにあった自動販売機を真っ二つにする。


「まじかよ。そんなのありか……。いますぐ逃げたほうがよくないか!?」


「確かに私の空膜の防御ではあれを防ぎきれませんね。でも大丈夫です……」


 一気に間合いをつめて飛び込んでくる。そして手に持った振動するカッターナイフを大きく振り下ろした。カッターナイフの刃が少女のたもとをかすめたその時、金属のごとき音が鳴り響き、少女の見えないバリアがそれを軽く防いだ。はじかれたカッターナイフの刃が折れたその隙に少女は軽やかに敵を蹴り飛ばした。


「な、なぜだッ!!」


「アナタたちは本当に頭が悪いのですね。殺傷力が高いアプリは人体へ向けて使用しても途中で自動にロックがかかり、強制的に出力が0%になるように設計されているんですよ?」


 日常、アプリケーションを使用する者であれば、そんなことは容易にわかるはずだが如何せん早乙女さおとめゆうという人物はアプリケーションを使用した経験がないため気づけなかった。


「次はこちらから参ります!」

 そう告げた彼女は自分の右手の甲を二回叩き、そのまま地面にてのひらをそえると、

 ドドドドドド――

 大きな物音をたてながら地面は盛り上がり、男たちの足元をぐらつかせる。


「なんだってんだ~~!?」

 男たちはまるでいわ雪崩なだれがあったように地面に飲み込まれていく。幸いあたりには早乙女たち以外誰の姿もなく、巻き込んでしまった様子は見受けられない。やがて砂塵さじんが激しく舞い、早乙女は視界を奪われていく。

 次に視界に飛び込んできたのは気を失ったまま地面に埋まっている男たちの姿だった。頭だけをひょこっと出し、まるで土筆つくしのように地面から生えている。しかしそこには頭の悪そうな三人の姿はあってもスーツの立花の姿はどこにもなかった。


「いやー驚いたね。これほどの出力とは」


「?」

 二人が声のする方に目をやると、悠々ゆうゆう自適じてきにベンチに座り込む男の姿があった。彼はすっと立ち上がると、再び二人に近づく。それに呼応こおうするように男に警戒しつつ少女は再び構えた。


「一人逃がしてしまいましたか。でも……」

 

「おっと、待った待った。あれを見せられたらもう手を出そうと思わない。それよりもどうだ? 取引しないか?」


「取引ですか……?]


「そうだ。キミが持っているデータを買い取ろうじゃあないか」


 早乙女は自分がそれを持っていることを知られるわけにはいかないと思った。同時にこんなことに巻き込まれるなら拾わなければよかったと思うのである。


「断ります。私の任務はあれを運ぶこと。絶対に奪われてはならない機密情報ですし第一、あれは私のものじゃありませんし、ここにはありません」


交渉こうしょう決裂けつれつか……。仕方ない」


 少女の強気な姿勢は変わらない。しかし、早乙女は直感で不安を感じる。おそらくスーツの男の持つオーラや雰囲気といったものが明らかに三人の男たちとは違うからである。


「じゃあデータのバックアップは今どこにある?」


「そんなこと私がアナタに教えるはずありません」


「それもそうか……」


 男は手をすっとポケットに入れタバコを取り出した。そして指を鳴らすとタバコに火が付く。


「私、タバコを吸う人は嫌いなのですが……」


 そう言って少女は地面に手を触れアプリを起動した。激しい物音と共に地面がうねうねと動きだし男を捕縛ほばくしようとする。

 男は口から煙を吐き終えると、迫りくる地面を目前に何かのアプリケーションを起動したように見えた。その直後、男は足に力を込めて高さ十メートルほど飛び上がり、軽やかに地面の猛攻をしのいだ。


(あれもアプリなのか……!?)


 二人の現実離れした動きに面食らう早乙女は巻き添えを食わないように離れていく。その攻防が数分にも続いたあと地面が元に戻っていく。と、同時に男も静かに地面に降り立った。


「それは、強化きょうか型のアプリですね?」


「ああそうだよ。このアプリは筋肉への反動が大きいからあまり使いたくないんだがな」


 さてどうしたものかと思考をめぐらしている男は少女をじっと見つめる。そしてしばらくしてタバコを捨て足でその火を消した。その瞬間、男の目つきが変わった。


 男の雰囲気が変わったのを感じ取ったのか少女は警戒態勢に入って、いつでもアプリを展開できるように身構える。

 数十メートル先にいる男は足元から小石を拾うと、それを真上へ放り投げた。早乙女はつられてそれを目で追う。すると、小石が最も高いところにたどり着くと同時に急に直視できないほど激しく発光した。


「くそ、なにも見えない!」

 早乙女は慌てて手で視界をさえぎるがあまりの光に身動きが取れない。そして――


「くはっ――!!」


 早乙女の体は数メートル後ろまで吹き飛んだ。そして次第に腹部ににぶい痛みを感じる。誰かにけりばされたのだと理解するまでに数秒かかった。

 


「――!?」


 眼前には男に抑えつけられ、うつぶせで身動きが取れないでいる少女の姿があった。両手を完全に抑えられ、馬乗りになる男になすすべがなかった。抵抗しようとする彼女だったがそのたびにさらに力を加えられ叫び声をあげる。その悲痛ひつうな叫びは早乙女にも確かに届いていた。

 

「さあ、データはどこにある?」


「離、し……て……!!」

 このままでは少女の体がもたない。成人男性に抑え込まれる少女の体は簡単に壊れてしまうだろう。周囲には誰もいない。早乙女は腹部の鈍痛どんつうでうまく力がはいらないよろめく足を無理やりふるい立たせ立ち上がった。


「そ、その子を離せっ!!」


 見かねて声を荒げる早乙女。腹部に強烈な蹴りをきめられてうまく呼吸が出来ない。そこへ追い詰めるように男の返答は鋭い眼光に込められていた。


「さっさと消えろガキ」


 一瞬血の気が引いたのが自分でもわかった。この男には絶対に勝てない。ましてやアプリケーションの補助がない自分なんて一瞬でぼろ雑巾ぞうきんのようになるだろう。今、早乙女の頭の中でどうしたらこいつに勝てるかなんてことは考える余裕なんてなく、ただどうしたらこいつから逃げられるか、そればかりに思考をめぐらす。  


 何もできない動けない――

 怖い――

 こいつは消えろと言っている。このまま逃げても追われることはないだろう――

 でもこの子はどうする?――

 いろんな感情が入り混じり頭を抱える。すると少女がゆっくりと顔をこちらに向けて口を動かす。


「に・げ・て……」


 声は聞こえない。しかし少女の口は確かにそう言っていた。


「吐かないならこのまま骨を少しずつ折っていってやろうか……。どこまで耐えられる」


「やめろよ!!!!」


 早乙女は声を荒げて馬乗りになる男に殴りかかったが、男は冷静に足で少女の背中を抑えつけたまま両手を離してきれいにカウンターを早乙女の顔面に食らわした。意識が飛びかけた早乙女だったが何とか持ちこたえ、必死に体制を立て直し、何度も飛びかかる。


「ぐはああっ――」

 立花の拳がきれいに早乙女の腹部に刺さった。早乙女は吹き飛ばされてうずくまる。体は完全に悲鳴を上げ始めているが、早乙女は目の前の少女を救うためゆっくりと立ち上がる。


「もう一回言うぞ……。その子を離せクソ野郎」


「はははっ。あれだけ情けない顔してビビッてたくせになんだお前急に。しつこいんだよ……殺すぞ?」


「うるせえよ」


「ああ?」


「うるせえっつったんだよ! その子にどんな事情があるかは知らねえ。お前らも少女に付きまとう正当な理由があるかも知れねえ。けどな……」


 少し俯いていた顔をあげ、男を睨みつける。


「目の前で誰かが困ってるのに。助けを求めてるのに。なにもしないなんて情けないまねはもうしたくねぇんだよッ!!」


 その瞬間、早乙女は男に向かって走り出した。男に勝てる秘策プランがあるわけではない。少女に特別な思い入れがあるわけでもない。ただ、少女を痛めつけるこの男を許せないと思った途端、体が意志をもって動き出した。


「うおおおおおお」

 走り出して男に殴りかかる。

「……」

 ドン!!

「ごぉ……あッ、」

 男は少女を足で押さえつけたままもう片方の足で早乙女に蹴りをくらわす。一瞬体勢を崩したが今度は倒れず耐える。


「ま、だ、だ……」


「邪魔だ」


「~~くそっ!!!!」


「もう、もうやめてください!!」


 何度も何度も男に食らいつくが簡単にあしらわれてしまう。その度に地面に倒れこみ、口の中が砂と血の味しかしなくなっていく。しかし右手の指が砕けようとも、手入れのされてない爪が肉に食い込もうとも何度でも立ち上がり拳を強く握る。


「あきれたやつだ。そんなにボロボロになってまでこいつを助けたいほどこいつと親しいわけでもあるまいに

 」

 飛ぶハエを払いのけるように簡単に早乙女を弾き返す男は少々あきれた口ぶりで問う。


「俺とこの子は何の関係もない、名前さえ知らない。友達でもなんでもない……。けど」


「けど?」


「女の子を助けるのに理由なんていらねぇ!!」

 今までで一番力を込めて言い放ち、拳を振り下ろした。それが男の顔面を少しかすった。


「ちっ……。おらあッ」

 男は小さく舌打ちして早乙女を大きく蹴り飛ばす。

「……っ、あがっ……」

 数メートル吹き飛ばされて倒れこむ早乙女。それから天を仰ぐ。見上げる空は高くはるか上空では飛行機が飛んでいる。ミーンミーンと鳴いていたセミの声はジリジリとした音に変わり、垂れてきた汗が目に入ってその視界をゆがませる。アプリケーションという機能を使える者とそうでない者。その脳力のうりょく差は残酷に早乙女の目の前に超えられない壁として立ちはだかる。ここまで自分の無能な脳を恨んだことはなかった。このまま目を閉じたら楽になれるのだろうか、早乙女はそんなことを考える。


「やめてください! その人は本当に関係ない! 私はどうなってもいい! どうなってもいいから……」


 少し涙ぐんだ声で少女は叫ぶ。

「これ以上彼を傷つけないで……!」

 ハッと我に返る。なぜ自分はここに倒れているのか、なぜ少女は男たちに狙われているのか、そして男たちが何を求めているのか、思い出す。


「なあ、おっさん……」

「?」

「お前らが欲しがってるものって、これだろ……」

 早乙女は朦朧もうろうとした意識の中ゆっくりと起き上がり、ポケットから例の黒い板を取り出して、大きく前に突き出し、立花に見せつける。


「あ……」


「ほう、お前が持っていたのか……」

 男は少女を強く抑え込んでいた力を少しゆるめてこちらを向く。


「こんなものくれてやるよ!」

 言い放った後、早乙女は信じられない行動をとった。早乙女は拾い物でしかないそれを、あまつさえ落とし主の目の前で見事にへし折ったのだ。


「な、なにを……!?」


「クソガキが…何をしやがる!!」


 早乙女のわけのわからない行動に少女は驚きを隠せない。さらに男の表情には怒りが窺える。


「俺はそのデータの中身を見た……。欲しけりゃ俺の頭の中でもなんでも解剖かいぼうして取り出してみろよッ!!」

 確かに、人間の脳の海馬かいばに残る記憶を取り出す技術は存在する。それを可能にするには専用の機械と技術者と脳科学者専用に開発されたアプリケーションがあればいい。しかし早乙女はそんなことを知らないし、わかるはずもない。しかしただ、この行動でわかることは、もう男たちが少女を狙う必要はなくなったということだけだ。つまり早乙女は敵の矛先ほこさきを自分へ向けて少女を助けようとしたのだ。


「てめぇ…本気で死にてぇらしいなあ……」


 男は押さえつけていた少女から離れ早乙女を睨む。その眼には殺意という光が宿っていた。殺されるかもしれないという恐怖がわずかに早乙女に襲い掛かる。


(俺は間違っていない……)

 人間として正しいと思うこと、こうあるべきだと考えることは簡単である。しかし、それに気づき行動に移すことは簡単ではない。正しいことを正しいと言い、間違っていることを間違っていると言うことは誰にでも出来ることではない。それは勇気のいることだからだ。

 

 俺はこの子を助けてみせる――――


 そう心の中で強く思った瞬間、早乙女は誰かに話しかられた。

適性てきせいヲ確認……クリア。脳力値、基準クリア。条件ヲ確認……クリア。要望ハ受理じゅりサレマシタ……』

 左腕に目をやると今までなかったはずの脳力アプリ画面スロットが現れ、たった一つ、アプリケーションが浮かび上がる


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空現実の構築【エアリアル・バーストワークス】

必要脳力値コスト:『0』脳負荷:『AA』特性:『強化』

使用制限:『早乙女遊』

『脳力』:使用者の脳力値を、限界を超えて引き出し拡張現実は再構築される

======================================


夢幻ムゲンノ願イヲ求メル少年ヨ、ノアの遺産ヲ与えマス。貴方にステキな世界ガあらんことヲ……』


 機械音声のような声には女性の特有の優しさが混じっていた。やがて声は聞こえなくなっていく。何でもいい、あの子を助けられるのならどんな代償リスクがあってもかまわない。そう思い早乙女は生まれて初めてアプリケーションを起動した。


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