第三話 再会

只今ただいま駅構内にて不審物ふしんぶつが発見されたとの報告が入っております。それに伴い一部路線にて運転の見合わせを行っております。大変ご迷惑を――』

 駅についた早乙女であったが駅のアナウンスを聞いて愕然とする。そっとあたりを見渡すと道行く人が一様に自分と同じ表情をしている。ペコペコ頭を下げながら連絡をとっている者もいれば、呆然ぼうぜんたたずむ者もいる。この場で運転が再開するのを待つほど時間の余裕がない早乙女は別の移動手段を探す。そして普段利用しない支区のバスに乗ることにした。


(えっと、バスの乗り場は……)


 きょろきょろとあたりを見渡すと人の流れが同じ方面に向かっていることに気づく。おそらく自分と同じようにバスを利用する人であろうと思った早乙女はその流れに身をまかせ、バス乗り場へ向かうとバス乗り場の長蛇の列の最後尾に並んだ。しかし、すぐに最後尾ではなくなり、後ろに長い列が出来上がっていく。しばらくしてようやく早乙女はぎゅうぎゅうの車内に身を縮めるようにして乗り込んだ。

 ゆっくりとバスは出発して、早乙女は少しほっとして窓際に立ち、外の流れる風景をぼーっと眺めることにした。しかし、ガタガタと揺れるバスと体質のせいですぐに気分が悪くなる。大きくガタンと揺れた時乗客の中年男性一人が女の人の背中に手が触れた。


「ちょ、ちょっと何すんのアンタ!」


「あ、いえ、ちょっと体勢が……」


「いま、触ったわよねあたしの体に!」さらに声を荒げ「痴漢ちかんよ! この人にお尻を触られました~!」と騒ぎ立てる。


「ち、違う私は……」


「触った! なんだか息も荒いし興奮してんじゃない! マジで最悪……。」


 周りの乗客は触らぬ神にたたりなしといった具合に知らん顔を決めこんでいる。

「まさか視界シーン録画レコードつかってんじゃないわよね!?」


(あ~あ。誰かなんとかしろよ……)

(触ったのなら捕まえなくていいの?)


 早乙女には人の表情から心を読む能力はない。しかし、まわりの人間の顔はそう言いたげであったことははっきりわかった。早乙女はおっさんが故意こいに触れたわけではないことをハッキリと見ていた。狭い車内でいらいらを募らせて過剰かじょうに女の人が反応しただけだ。しかし、早乙女は何にもできない。ただ一言『この人は悪くない』と言う勇気がない。


「アンタもこのキモいおっさんが私のお尻触るとこ見てたわよね?」


「あ。いや、俺は……」


 助けを求めるようにおじさんに見つめられて逃げるように視線を窓の外に外へ向けた。ちょうど視線の先にさっき駅でぶつかった少女が二、三人の男たちに追われて路地に逃げ込んでいくのが見えた。バスの乗客たちが不思議そうな視線を自分に向けている。


「次停まりマス」


 車内は満員で顔は見えないが、自動運転AIの声が聞こえた。人をかき分け逃げるようにして降車口にたどり着いた早乙女は、ドアが開いた途端、今ではほとんどの人が使うことが無くなったリアルマネーを無造作に投げ入れ、ダッシュで来た道を引き返し始めた。


(すまんおじさん……)


 何がどうなっているのか全く状況は分からない。少女が危険にさらされていることだけは確かだが、名前も知らない少女に関わろうとする彼は不思議な感覚になっていた。心の奥底に初めから刷り込まれていたかのような衝動的行動と小さな使命感。この感覚になんて名前を付けたらよいかわからない。しかし、『助けなくてはいけない』という思いが早乙女を支配していた。走った先に、体型がいい丸刈りの男が少女の腕をつかみ、連れて行こうとする光景があった。二人の若い男たちが少女が逃げれないように通路をふさいでいる。早乙女はその二人と目があった。


「あ? なんだてめえ。てめえこの女の知り合いか?」


 金髪ロン毛の男が早乙女に気づき絡んできた。早乙女は一瞬たじろいだが、小柄な少女相手に男三人で絡んでいる卑怯な連中を見て見ぬふりはできない。


「あ、いえ、はい……。一応……」


 すると今度は、黒髪オールバックの男が胸倉むなぐらを掴みながら言った。


「どっちなんだよ! ややこしい返事しやがって!」


「おい、お前邪魔すんじゃねえ! やっちまうぞ?」


「やめて! その人は関係ないの!」


 こんな状況にもなって少女は自分をかばう。自分が情けなくなってくるが、そんなこともおかまいなく男たちのき出しの敵意がひしひしと伝わってくる。


「三人がかりで女の子を追い詰めるなんて……」


 情けないことに小さい声でそうつぶやいた。衝動に駆られてここへ来たのはいいものの、結局のところ『恐怖』からは逃れられない。一対三の状況、本能が『逃げろ』と訴えかけてくる。それはごくごく自然なことだ。強者にたいして立ち向かうことは思いだけでどうにかなるようなことではない。早乙女は覚悟をもってここに来たわけではなかったのだ。


「あ? 正義きどってんじゃねえぞ? 関係ねぇやつはさっさと消えろ」


 ギロリと睨みつけられサァーと血の気が引いていくのが分かる。


「あ、はい、そうですよねー。お邪魔しました……」


 ニコリとしてそのまま路地を出ようと後ずさりする。


 このまま逃げていいのだろうか――

 誰かが困っている時何もしないで見ているだけでいいのだろうか――


 そんな言葉ばかりが頭に浮かんでくる。そしてバスの乗客の顔を思い出した。


「(俺はいま、どんな顔してる……)」

 そうポツリとつぶやいて拳を強く握る。そしてふりかえって全力で少女のもとまで走りぬけ、少女の手を掴みダッシュした。


「あ、え――?」


「あ、てめェこのやろう待てよ!」


 どのくらい走っただろうか。無我むが夢中むちゅうで人通りの多い道まで駆け抜けた。道行く人々に変な目で見られたがそんなことは気にもならないくらい夢中だった。


「あ、もう、もう大丈夫ですから! て、手を!」

 少女は息を整えながらキョロキョロあたりを見渡して早乙女に言った。


「あ! ごめん!」

 少し顔を赤くして言う少女を純粋にかわいいと思った。かなりの距離を走った二人は息が上がって、顔が赤いのは早乙女が手を握ったからではない。追跡者はないことを確認して早乙女は手を離した。


「とりあえず少し休まない?」

 そう言って近くの公園を指した。



 鈴原第三公園には大きな噴水がある。その噴水とたくさんの遊具が近隣住民に親しまれ、休日にもなると多くの家族連れで賑わう。しかし平日のせいか今日は人が少ない。今なら噴水に飛び込んでも誰にも怒られないで水遊びができるのではないかと考える早乙女。しかし、ふりかえるとどこか日本人離れした顔立ちの少女がちょこんとベンチに座っている。見たところ自分より年下の子の前ではしゃぐというのはなんだかかっこ悪い。


「あのー。なんか飲む?」


 そう言って気まずそうに自動販売機を指さすと少女は無言で頷いた。


 自動販売機に近づいた早乙女はお金を入れる穴がないことに気付く。


「おいおい嘘だろ。これ電脳ビットマネー専用かよ……」


 電脳金とはAPP銀行が提供するアプリケーションで、手をかざすとその人の生体情報を読み取り、口座から料金が自動に引き落としされる現代人の生活に欠かせないアプリケーションである。自動販売機から投資まで様々な場面で利用される。このアプリケーションの普及により、財布の盗難の被害は格段に減少した。現代人のほとんどは現金を持っていない。早乙女は時代遅れな人間だった。それには理由があった。


「どうしました?」


「いや、お金の投入口がなくて」


「残金がないんですか?」


「ないというかそもそもインストールしてなくて」


「え!? このご時世に不便じゃありません?」

 少女は驚いた様子でこちらを見る。


「というより使えないんだよね」


「使えないって……。 利用停止されるほど悪いことしたんですか?」


「そんなんじゃないよ。ただなんというか。なぜかアプリそのものを使えないんだよね昔から」


「え!? そんなはずありません。アプリを使えないということは脳にアプリを使うデバイス『Noah』が入ってないということになります。この現代に脳にノアを入れてない人はいないはずです! ノアがないと人間は生きることができないのですから!」

 

「それは知ってるよ。二百年前のウイルス蔓延で人間はアンチウイルスソフトをインストールしないと生きていけなくなったんでしょ?」


「そうです。後に人間を喰う怪物オセロットと呼ばれるようになったウイルスは人間にしか感染しないため、このままでは人間は滅亡すると言われた人類は対策を急がれました。そして対策として二〇二一年、開発された技術がその『Noah』 なのです。二十三世紀になった今! 技術はさらに進歩して人間が自力で出来なかったことを可能にする夢のような技術、それがアプリケーションたちなのです!」


 下手くそな通販番組のような口ぶりで力説する彼女を前に早乙女は少し狼狽うろたえる。


「とはいってもノアが入ってないわけではないだろうし、原因はわかんないんだよなあ」


「考えられるとしたらウイルスへの耐性でしょう。おそらく貴方は普通の人よりもウイルスに対して耐性がない分それを補うため多くの容量キャパをそこに使ってしまっているのでしょう」


「そんなことありえるの?」


「はい。アプリの容量キャパは脳の使用率や脳への負担、アプリの相性で変わってきますし、アンチウイルスソフトの容量も同じように個人差があります。貴方のようにほかのアプリを使えなくなるほど容量が多いケースは初めてですが」


「ふーん。それで、これは治せるものなの?」


「残念ながらウイルスへの耐性は先天的なもので、容量をいじることはできますがその分貴方の体は確実にウイルスにむしばまれるでしょうね」


 少女の話を聞いて夢野はがっくりする。これまでの生活においてその体質のせいで何度情けない目にあってきたか思い出す。


「アプリを使う試験ではいつも赤点をマークしクラスメイトに馬鹿にされ、ろくに連絡を取れないと凛から怒られ、しまいには自動販売機にさえ馬鹿にされる始末。この世界は俺に優しくない」


 ガクンと顔を下に向ける早乙女は少女の落し物のことを思い出した。


「そういえばさ、これキミのだよね?」


 早乙女は制服の裏ポケットにしまっておいた『AA』と書かれた物体を取り出した。


「そうです! なくしてしまって困っていたんです。それをどこで?」


「あのとき。 キミとぶつかった時に近くに落ちてたんだ。キミのじゃないかと思って拾っておいたんだけど」

 

「それはありがとうございます。と言ってもそれ自体は私のではないのですけどね」


「どっちしろ拾っておいて正解だったよ。なんだか見たこともないものだし貴重なものなのかなって」


「まあ、私自体それの中身が何なのかすらわからないまま持たされたんですけど」


 少女は自動販売機に手をかざし、飲み物のボタンを押しながら言った。そしてそのままガタンと音がして飲み物が出てきた。

「はい。これ今日のお礼ですけど……」


 誰かに感謝されることに慣れていない彼は渡された缶を不思議そうに見つめながら少し戸惑いながらう受け取る。


「ありがとう。そういえばさ、その中身わからないって言ってたけど。ごめん。落とし主の手がかりがないかなって思って中身を見ちゃったんだよねぇ……」

 早乙女は申し訳なさそうに頭をポリポリと掻きながら謝った。


「見たって……。これ開けたんですか?」


「うん。あ、でも。意味わからん数字が並んでただけで何のことやらさっぱりだったからまじまじとは見てないよ!」


「これんですか?」


「うん。ほんとごめん! 人のものを勝手に見ちゃって……」

 深々と頭を下げながら早乙女は再度謝った。


「いえ、そうじゃなくて。貴方がこれを開けることが出来たなんて信じられなくて……。どうやって見たんですか?」

 少女は少し頭をかしげながら早乙女に問いただした。


「やっと見つけたぜクソ野郎」


「――!?」

 汚い言葉に振り返るとそこにはふりきったはずのガラの悪い三人の男と綺麗なスーツを着たもう一人の男がいた。

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