第二話 甘い香りの少女と落とし物

 勢いよく飛び出したものの、照りつける太陽の日差しとミーンミーンと鳴くセミたちの暑苦しい声に加えて、これから訪れるであろう自宅から学校まで続く長い坂道の連続に、早乙女遊さおとめゆうは歩みを止める。


「はぁ……」


 吐く溜息さえも涼しく感じるほど今日はやたらと暑い。一つ目の坂道を登り切ったところにあった自動販売機で飲み物でも買おうかと思ったが、慌てて家を飛び出したので財布を忘れてしまった。少し期待して自動販売機の下を覗き込むが、あるのはセミの抜け殻くらいだった。


「ほんと何やってんだ、俺……」


 暑さのせいで思考がまとまらない。少しでも涼もうと木陰にある木製のベンチに腰掛け、ふと自分が暮らす街を茫然と眺める。


 新東京都――

 十二支区からなる総人口二千万の日本の首都である。早乙女の住む新東京都第三支区はいわゆるベッドタウンと言われるいくつかの住宅街で構成されている。都心部の第七支区までモノレールで一時間半。彼はあまり外出するタイプではないので第七支区まで足を運ぶことは少ない。日常において学校がある第四支区と第三支区までが行動守備範囲なのだ。 


(こんな疲れるならモノレールに乗ればよかった……)


 実のところ早乙女の家から徒歩三分のところに乗れば第四支区まで十五分という便利なモノレールの駅があるのだが、彼は極度に乗り物酔いをするため、よっぽどのことが無い限り利用することはない。しかし、この日はそれさえも後悔するほど暑い。

 時間だけが刻一刻と進んでいく。それは命の期限リミットを意味している。学校まで坂はまだ二回も残っている。


(モノレールに乗ろう……)

 こうして汗を垂らしながら来た道に進路変更をし、早乙女は坂を下り始めた。そう思って振り返った矢先、ドンッ――急に進路変更したせいで人とぶつかってしまった。


「すいません! 大丈夫ですか?」


 と謝りながら立ち上がり、ぶつかった人の方を見る。そこには紫外線を避けるためかベレー帽を深く被り、外国人特有の灰色がかった青い目をした美少女が尻餅をついていた。


「こちらこそごめんなさい、急いでいたもので」


 小柄な少女は立ち上がり、軽く会釈をして走り去っていった。小さく走り行ける風ほんのり甘い香りを感じながら早乙女はその後ろ姿を見ていた。歩き出そうと一歩踏み出すとバキッという音が足元から聞こえてきた。


(ん? なんだこれ?)

 足を上げて見てみると、見たことのない黒色の四角い薄い物体があった。


(あの子の落とし物か……?)

 それを拾い上げて周りを見渡したが、少女の姿はどこにもない。何やら大事なもののような気がしたので、壊れていないかと疑問に思うが確かめようがない。裏返してみるとそこには『AA』と書いてあった。


(AA……? あの子のイニシャル? それとも何かの略称? とりあえずシータに解析してもらおう。何か分かるかも知れない) 

 のぞき見をするようで一瞬気が引けたが、見たことのないそれへの興味が上回る。見えない引力に操られるように再び家の方へ歩き出す。


「おかえりなさいませ、ユウサマ。お早いご帰還デスね」


 テレビを見ながらソファでくつろぐ彼女。近くにはほうきが置いてある。部屋は少し散らかって物置の扉が開きっぱなしになっている。ソファの前の机の上には見慣れない四角い箱のような機械が無造作に置いてあった。


「ちょっとみてほしいものがあるんだけど……ってなにその四角い箱」


「これデスカ? お押入れを掃除していたら出てきたものデス。なにやら大変古いもののようで埃をかぶっていたのできれいにしようかと思いマシテ」


 そう言ってパタパタと埃をはたくシータ。

「こんな暑い日に窓も開けずになにやってんだよ。なんか飲み物とってきてくれよ」


「かしこまりマシタ」

 シータは少しむすっとしてキッチンの方へ消えていく。額に流れる汗を拭きながらじっと箱を眺めていると電源のボタンのようなものと何かの取り出し口があることに気付く。


(ちょうどさっき拾ったのと同じくらいの大きさだな)


 何気なく『AA』と書いてある物体を入れ電源を入れてみた。

 ウィーン――

 

『0100011001100101011□□110010011101010110000101110010011110010010000000110010001100100010110000110010001100100011001000110010001000000100000101001001001000000□01001110101011011000110010101110011001000000110000101101100011011000□』


「なんだこれ……」


 早乙女は急に現れたよくわからない数字の羅列に少し困惑する。他人の物の中身を勝手に見るのはよくないと思いつつ興味深々で見てしまう。

「ユウサマ。お待たせしマシタ」


「――! あっ!」


 早乙女は驚き思わず電源を切ってしまった。


「いかがなさいマシタ?」


「いやあ、何でもない。ていうか、いつもそっと近づいてくるのやめてくない? 心臓に悪いんだけど。足音だすとかさあ……」


「スイマセン。足音は出ない設計になっておりマス。代わりに効果音エフェエクトは出せマスガ」


 何かを物色しているとき、ふいに誰かが現れると隠してしまうという心理が働いてしまった早乙女は不自然に話をそらした。


「急がなくてもよろしいのデスカ?」


「あっ、そうだった。やべっ、もうこんな時間じゃん!」

 時刻は十一時二〇分。凛の顔がもはや人間の表情ではないだろうことは容易に想像できる。


「あ、そうだシータ。これなんだかわかる?」


 取り出した少女の落とし物であろう黒く薄い物体を見せる。


「わかりマセン。何かの記録媒体のようデスガ」


「わからないならいいよ。それじゃ行ってくるよ」


「行ってらっしゃいマセ。ユウサマ。無事ご帰還することを祈りマス」


(二度と帰れないかもしれない……)


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