脳力ゼロの敗北者ーちょっと世界がきびしいのだがー

樽田流太

第一話 メイドさんのいる生活

 

 

 

 西暦二二二一年七月三〇日、今年一番の猛暑日となったこの日、早乙女遊さおとめゆうは学生という身分にだけ与えられた特権『夏休み』を自宅で満喫するつもりだった。赤点記録者にだけ与えられる特権『補習』から昨日解放されたばかりである彼にとって夏休み初日である。連日の猛暑と登校で暑さにやられ、この日は家でまったりと惰性を貪ると心から決めていた。普段よりも二時間遅く起床し、大きなあくびとともにリビングのある一階へと階段を下りる。


「おはようございますユウサマ。留守電メッセージが入っておりマス。ご確認されマスカ?」


「おはようシータ。その前にご飯にしよう」


「かしこまりマシタ」


 学校へ行く日だとここまで優雅に会話はできない。学校へ通う日の起床から家の玄関の扉を閉めるまで数十分は大変貴重なものである。特に早乙女の場合学校までかなりの時間と労力をかけて登校する。この日は、会話に加えてテレビを見る時間が与えられたことに早乙女のブルジョワ気分は最高潮に達していた。


「お待たせしまシタ。朝食はいつものように菓子パンでよろしかったでしょうカ?」


「あ、今日はスクランブルエッグにコーンスープとコーヒーで頼むよ」



「かしこまりマシタ……」


 ドシッとソファにもたれかかる。いつもであれば朝食をとりながらまじまじとテレビを見ることはできない。あれよあれよと流れてくるテレビの情報をただ耳から脳へ流し込む作業に近い。こんなにも優雅な朝があってもいいものだろうか。これはやはり『夏休み』の醍醐味だいごみのほかならない。そんなことを思いながら早乙女はニュースを眺めていた。


『私たちの生活に欠かせない存在となった生活補助ヒューマノイド! その新型のメイドールⅡが今話題となっております――』

(新型かぁ……。うちのメイドールもそろそろ買い替えようか……)

 ふと台所に目をやるとシータがいない。


「ユウサマからよからぬ思想を感じマス」


「――!」


 急に聞こえた後ろからの声に早乙女は少し驚いたように顔を向けた。


「な、なにを言っているんだいシータちゃん? キミは世界にたった一体のナンバーワンメイドだよ?」


「ジー……」


「さあさあ世界一可愛いメイドが作る美味なるブレックファストを食べせさせておくれ」


「かしこまりマシタ」


(表情がない分余計に怖いな……)


 生活補助ヒューマノイド――

 世の中に人間の暮らしをサポートするために開発されたヒューマノイドは多い。その中でも家事お世話型タイプのヒューマノイド『メイドール』は主に独り身の男性に爆発的人気を誇る。メイドールは容姿こそ利用者の要望により異なるが、その多くは女性型メイドタイプ、男性型執事タイプの二種類に分類される。早乙女家にいるメイドールは前者である。共通して言えることはどちらもご主人様には忠実であるということだ。

 しかしながら、早乙女遊を主人と掲げるこのメイドールは少し変わっていた。ある日突然「家出してきマシタ。雇ってクダサイ」と自ら飛び込み営業しやってきたのだ。

「名前は?」

「名はまだありマセン。型番はメイドールC100TAデス」

「んで、キミいくらなの?」

「無料デス」

 と誰かに聞かれるとまずい会話をして、少し怪しくも『メイドさんのいるムフフな生活』を期待して彼女を受け入れた。しかし、雇ったはいいものの

「この掃除機使いづらいデスネ。新しい物が欲しいデス」

「可愛いフリフリのエプロンが欲しいデス」

 と、少し自己主張の激しい困ったメイドールなのだ。

 

 しばらくして運ばれてきた朝食を口にしながら早乙女は留守電が入っていることを思い出した。

「そういえばさー、留守電は誰からだった?」


「リンリンサマからです」


りんから……だと!?」


「再生いたしマス……」

 

 そう言ってシータはゆっくりと目を閉じ、その場でクルクルと回り口を開いた。


『ちょっとッ!! 今何時だと思ってんの!! 昨日クラス全員に今日文化祭の準備で教室に集まるように電脳声明メッセージ送ったわよねッ!? これを聞いたら三十分以内に学校に来なさい!! さもないとあんたの顔がジャガイモみたいにぼこぼこになるわよ』


「シータちゃん……。この電話っていつかかってきたの……?」


「ユウサマが起床なさる一五分前デス」


「……」

 無言のまま時計を見た。時刻は午前十時を五分過ぎたところ。


「よし……、おれは何も聞いてない。さあて今日はなにをしようかな」


 全て無かったことにし、もともとのプラン通り家でだらだら過ごすことを固く決心したが、シータがクルクルと回りだした。


『リンリンリン――』

 

「ユウサマ。リンリンサマからお電話デス」


「……」


「ユウサマ。リンリンサマからお電話デス」


「……」


「ユウサマ。リンリンサ――」


「リンリンリンリンうるさいな! 出ればいいんだろ出れば! あと、その意味のないクルクルってやつやめてくんない?」


「演出デス」

 そう言ってシータはゆっくりと目を閉じた。


『アンタッ! すぐ電話に出なさいよねッ! このあたしを待たせるなんて二百年はやいのよ! それと、今すぐ来ないと永遠に学校に出てこれなくするから』


「はい……。すぐに行きます」


『まだ家にいるとは……。よほどミンチにされたいようね』


「はい……。すぐに行きます」

 結局のところ鈴鹿すずかりんという人物には逆らえない。早乙女は彼女に何か弱みを握られているというわけではない。以前、少々お痛を働いた上級生を素手でぼこぼこにし、土下座をさせている姿を見てから蛇に睨まれる蛙のごとく、決して逆らってはいけないものとして彼の脳に刻まれているのだ。


「シータ。今日のおうし座の占いをしてくれないか?」


「かしこまりマシタ……。ウィーン……。二二二一年七月三〇日、ユウサマの運勢はFです。行く先々でトラブルに巻き込まれ、何をしてもうまくいかないデショウ。特に、女難の相が出ておりマス。今日は家で過ごすのがよろしいカト」


「同感だよ」

 

 そう言って早乙女は俯いたまま強引に家の扉を押し開いた。








 






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