第6話 赤川牡丹
第三章 暴食令嬢
また1年が過ぎ去り、四月になった。
俺は、相変わらず進展の無い情報収集にやきもきしながら、医療介護関連の大学へ進学した。
俺は大学の授業を受けるべく、教室を移動していた。
次の授業は、一年の必須科目なので、大講堂での聴講となる。
同じ学年数百人が一同にして受けるため、収容人数三百名の大講堂でも時折、人数が溢れてしまい、熱心な学生は立ちっ放しで九十分間の講義を受けている。
俺は、そこまでやるつもりはないが、サボる気もさらさらないので、足早に大講堂へ急ぎ、後列から三番目の席を確保した。
こういう授業は、教授がマイクを使って講義をする事が殆どなので、無理に前に行く事もないし、俺は近眼ではないので、板書を書き写すにも苦労はしない。
何より、後ろから全体を見渡していると、学生それぞれの人間観察も出来るオマケつきだ。
他の学生は、前のほうに固まって、必死に板書を写している。
こんなの、日々勉強していれば、あそこまで焦らず根詰めなくても良いのに。
俺は、彼女のため、日夜実戦をしながら介護の勉強をしているから、基礎力は万全だと自負している。
場所取りが熾烈なのか、やけに鬼気迫る雰囲気が大講堂に立ち込めていた。
「さて、と、授業に集中集中……」
授業が始まり、教科書を開いて、勉学に励もうとした、その時だった。
「そこの隣、空いてるかしら?」
教授の大音量のマイクの音声の中でも、凛としてよく通る女の子の声がした。
声のした方へ向くと、俺は返事を忘れるくらいに彼女に見惚れてしまった。
肌は絹のように白く滑らかでニキビやほくろなど一切ない綺麗な顔で、鼻筋の通ったそれは、欧米人のそれというよりも西洋人形の目鼻立ちである。目は大きく、その瞳はまるでトパーズがはめ込まれているかのように強い金色の輝きを放っている。そして、一番目に付くのが、彼女の特徴的な真っ赤な頭髪だった。両方のこめかみの辺りでそれぞれ一束にまとめた髪形(ツインテールというらしい)からは、プリンみたいな色むら等の染髪したような痕跡は全く見受けられず、毛根から毛先に至るまで、まるで燃え盛る炎のような威圧感と神々しさを自然と醸し出しているのであった。
って、こいつは……まさか、『あの時』の!
忘れもしない、二年前のあの夜、あの時、俺の腹を妙な槍で抉ったヤツだ……!
金色の瞳はとても印象深かったのでよく覚えているし、暗がりで血塗れだったけど、その燃えるような赤い髪の色は今まで忘れたことはなかった。
……不覚にも見惚れた自分を呪った。
でも、カラーコンタクトの可能性もあるし、赤い髪の毛で授業を受ける学生だって居ないとは限らない(現に、バンドマンらしき奴が、俺の五つ前の席でカラフルな頭を覗かせながら授業を聞いていた)。
そんなことを秒速で想い耽っていると、目の前の彼女が、困った顔で尋ねた。
「ねぇ、空いてるかって、聞いてるんだけども? あなた、隣の席に荷物置いてるんですもの。退かして下さらない?」
今時珍しい丁寧な物言いだった。だが、その節々にトゲを感じる。
彼女の再度の問い掛けで俺は我に返り、俺は首肯すると、隣の席に山積みのテキスト類や鞄を脇へ片して、彼女に座るよう勧めた。
「……どうぞ」
「ありがとう、ごめんあそばせ?」
そう彼女が言いながら笑うと、当然のように俺の隣に座った。
その一連のやり取りの流れが、まるで、真っ赤な薔薇がすぐそばに咲き誇っているそうな雰囲気を感じさせくれる。
……と、いけない。
隣に座ってる奴は、もしかしたら彼女……メリッサを襲った奴かもしれない。
桜子さんは、変質者の男の仕業だと言っていたが、俺はこいつに一度会っている。
その印象に残る金色の目と真紅の髪色の少女なんて、そうそう会える訳ないのだから……!
とはいえ、今隣に座っている赤毛の少女は本当に綺麗だ。
周りの美の概念を簡単に捻り潰せるくらい容易いと思わせてしまうだろう、この世界に場違いな美少女だ。俺だって男の子なので、隣のような美少女や、桜子さんのような綺麗なお姉さん(セクハラは対象外)は大好きである。
でも、俺にはメリッサという、至上の女神がいるわけで。
ところで、メリッサの美麗ポイントといえば、すらっと長い手足に、その整ったプロポーションがまず上げられる。一つ一つの部位に、フェチズムを覚えざるを得ない。それくらいの造形美だ。
それと、盲点なのが、メリッサの唇だ。
思えば、彼女と付き合うきっかけも、彼女のキスからだった。
形も然ることながら、キスをした際のあの肉厚感を独占できる俺はなんて幸福なんだろうか。彼女の唇には、最近、何か魔性のようなものを感じる。蠱惑的、という言葉がしっくりと来る。
容姿だって、隣の美少女に負けていない。
むしろ、三ゲーム差でマジックが点灯してるくらいの勢いで勝っていると断言できる。
隣の美少女は、周りを圧倒する真紅の薔薇の花束だとすれば、メリッサは趣のある一輪挿しに生けた、真っ白な百合の花だ。花こそは一輪で控え目であるが、その純白の花弁は、見るものに安らぎと高貴な気分を味あわせ、緑の細い茎は、触ると今にも折れてしまいそうな繊細さを兼ね備えており、その香りは人を勇気付けることだって出来るだろう。
とにかく、俺にはこんな女神がついているのに、一瞬でも心を揺らしてしまった事が恥ずかしくてならない。これは、メリッサへの愛がまだまだ足りていないという、俺の心の脆弱さなのだろうか?
もしそうだとしたら、俺は今まで以上に彼女へ尽くしていこう。
それが、俺が今出来る、メリッサへの愛情表現なのだから。
ところで、こんな事、他人や当の本人にだって恥ずかしくて言えっこないんだけどな。
しかし、俺は変態ではない。断じて誓う!
ただ、それくらい女神(メリッサ)のことを真剣に想っているだけなのだから!
なぁに、心の声など、誰もここでは聞こえやしないさ、HAHAHA!
「あなた、気持ち悪いわ……」
突然、隣の美少女からそんな事を言われてしまった。
「……へ? 何が?」
俺が美少女に問い掛けると、彼女は俺のことを汚物だと云わん限りの眼つきで睨みつけていた。
「だから、あなたの『ひとりごと』よ。講義中、何ぶつぶつ言ってるのかと思ったら、段々と声のボリュームが大きくなるんですもの。しかも、話してる内容が造形美とか、唇のそれはどうのこうのとか、一輪挿しとか愛が足りないとか」
……血の気が引いた。
知らないうちに興奮して、心の声を口に出していたというのか?
となると、自分でもどうかと思うくらいの欲望丸出しの独白が、講義中に響いてたっていうのか!
「教授も呆れていましたわよ? 『認めたくないものだな、若さゆえの愛の強さは』とかおっしゃってましたし。『隣の君が赤いから、三倍の性能で言わせてるのか?』とか、良く分からない事も尋ねられましたわ」
俺は机に突っ伏した。
……死にたい。
同学年数百人の前で、俺の恥部を自ら告白してしまった!
これから、友人からなんて言われるか知れたもんじゃない。
彼女は席から立ち上がり数歩ほど俺から離れると、汚物を見る目から下等生物を見下す目で、明らかに俺を蔑みながら言った。
「気持ち悪いわね、荒木康一君」
「二回言う事か、それ! っつーか、キモイとか略さずに言われると、かなりへこむんだが!」
いい年して泣きたい気分だった。
そして、今更ながら、九十分の講義が既に終了している事に気が付いたのだった。
今ごろ、俺の恥部と性癖が、大学の構内に広まっているに違いない。
荒木康一、ここに死す。
「俺、暫く学校休もうかな……」
落胆する俺を、哀れと思ったのか、
「起きた事は仕方がないですわ。前向きに強く生きるの、荒木君」
と、美少女は変な気遣いをしてきた。
「うるさい。しかも、なんか馴れ馴れしいな……、殺人鬼。なんで俺の名前を知ってやがる?」
言い返すついでに俺はカマを掛けてみた。
そういうと、彼女はビクンと一瞬体が痙攣した。
彼女は不敵な笑みを浮かべると、高らかにこう言ったのだ。
「失礼ね、人をいきなり殺人鬼呼ばわりするだなんて。――覚えておきなさい。わたしの名前は、赤川 牡丹(あかがわ・ぼたん)。皆は私を、『暴食令嬢』と呼びますのよ。でも、荒木君なら、牡丹、と呼んでくれて構いませんわ」
名乗りがインパクト強過ぎて、唖然としている俺の下あごは、上へ上がることを忘れてしまった。
彼女――牡丹は、俺の目の前に手を出し、こう言った。
「そもそも、今日隣に座ったのは、荒木君に用事があるのです。まさか、そんな性癖の殿方だとは思っていませんでしたが……。とにかく、わたしはお腹が減ったわ。話し合いのついでに、何処か美味しいご飯を食べに連れて行って頂戴」
命令だった。今、牡丹は完全に俺をアゴで使った。
普段なら、メリッサ以外の女の子のワガママなんて聞く耳を持たない。
ただ、いくら殺人鬼であったとしても、隣でああいったことを聞かせてしまった罪悪感がある故、非常に断り辛かった。
……むしろ、逆にあの日の事件のことを吐かせてやる。
俺は首を縦に振るだけの返事で了承し、席を立つと二人で大講堂を後にした。
「……それと」
学校から外に出ようとしたとき、牡丹が恥ずかしそうに俺に言った。
「あんな大勢の目の前で、美少女と連呼されると、嬉しい反面、照れますのよ……?」
牡丹の顔が、髪の毛と同化しそうなくらい紅潮していた。
独白で、牡丹の事を何度も『美少女』と確かに言っていた。
そっか、あの時、一緒に口走ってるもんな……。
これは、食事のグレードを上げないと許してもらえないかもしれない……!
俺は、取り繕うように愛想笑いをすると、自分の知ってるなかで上位のグレードのお店を脳内で検索していくのだった。
暴食令嬢と赤の隣人 七転十五起 @nagi10_8neokey
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