第5話 桃山桜子(後編)
渡された資料の要点はこうだった。
①殺害方法が、毎回違うことの仮説
②俺が経験した事件以来、全く事件が起きていない
「この二点が肝になると思うんだ」
桜子さんはそう言うと、あくまでも、推測の域を出ないけど、と前置きを入れてから、話し始めた。
「まず、①だが、康一、殺人行為で最も大事なのは、何だ?」
「えっと、捕まらない事、だと思います」
「そうだ、目的を果たしても、警察に捕まったら、最悪、死刑制度の餌食だ。そのためには、『効率的な殺人手段』を考える必要がある。目標が一人の場合の殺人は、逃走経路の確保などに労力を割かなくちゃならないが、紅猫のような、連続殺人の場合は、逃走経路も重要だが、それ以上に『手段の効率化』が最大の課題になる。つまり、『手馴れた犯行手段』は、普通こういう通り魔的犯行に使われるものだ」
一度に話したからか、グラスに注いである麦茶を一気に飲み干す桜子さん。
俺は、麦茶臭いゲップを吐き出す桜子さんに向って、その話で気になる点をぶつけてみた。嫌がらせかよ。
「では、何で、紅猫は、毎回違う手法で、被害者を手に掛けているんでしょうか? まさか、相当の腕を持った殺し屋とか?」
俺に質問に、待ってましたといわんばかりの笑みを浮かべる桜子さん。
「そこだ、康一。今回の再調査で、私もそこが気になっていた。殺人行為は訓練は出来ても、演習は普段出来ないからな。それをやったら既に事件になるわけだし。それに、殺し屋が紅猫の正体だと仮定しても、あまりにも世間に自身の事をひけらかしすぎている。犯行現場の派手さは、何か恣意的なものを感じるしな。犯行そのものに強い承認欲求を感じる。殺し屋は自分の名が売れることを酷く嫌う傾向があるんだ、これでプロを名乗るのだったら、腕は三流以下だ。影となるべき存在が、日の光を浴びたら真っ当な働きは出来ないからな」
「じゃあ、桜子さんの考える犯人像は、一般人なんですね?」
その問いに対して、考えが甘い、といいたげに首を横に振る桜子さん。
「ん、ちょっと違うな。まぁ、元・一般人なんだろけど……。私は、純粋な殺人鬼の犯行だと思う。毎回手段が違うのは、興味本位から来るんではないかと私は思うのよ。殺人行為が趣味で――研究の一環として、毎回手段を変えることによって、自分に一番あった手段を探しているのかもしれない。紅猫にとって、今までの殺害は、来たるべき『本番』のための予行演習だったのかもしれないぞ」
俺は唖然とした。
他人の命を完全に軽視しているからこそ出来る所業だ。
それが本当なら、彼女は、興味本位で殺されかけた事になる!
「それは……、絶ッ対に許されない事ですよッ!?」
俺は、机の麦茶のグラスが飛び上がるくらい強く、机を叩いた。
「落ち着け、康一。まだ憶測の域を出ていないと言っただろう? 本題はここからだ。事件発生現場を、地図でまとめてみた。見てくれないか?」
桜子さんが、A4サイズの用紙に、関東地方の地図が印字されたものを、俺と榎木所長の目の前に出した。そこには、バツ印で何個か印が付けられていた。
バツ印を指差しながら、桜子さんは説明を続ける。
「紅猫絡みと思われる主な殺害現場の殆どは、関東地方に集中している。このことより、紅猫の行動範囲及び生活圏は関東圏にあると思われる。でもな、よく現場の場所と発生日時を見てほしい」
そう言って、千葉県の南端と、栃木の宇都宮を指差した。
「紅猫は、短い周期で、集中して殺人行為に走る傾向があるようなんだ。大体、二週間周期くらいで。その中で、この二点は、日時がほぼ同じだ」
「桜子、単なる模倣犯じゃないのか? 治安のいいといわれるこの国でも、殺人事件なんて毎日起きてるぜ?」
榎木所長が口を挟んできた。
確かに、紅猫以外にも、この国は殺人事件は常日頃起きている。事実、榎木所長への、警察からの捜査協力依頼が後を絶えない。
さらに、紅猫という、(不本意ではあるが……)知名度のある殺人鬼の模倣をする輩も居ないとは限らない。
「だとしても、だ。偶然にしては出来すぎている。被害者の性別も同じ。年齢もほぼ一緒。殺害方法はさ、こいつがトンデモな内容でさ、どんなだったか、聞きたいか?」
「いえ……、結構です」
だろうな、と、俺の答えを聞くと、事務所の天井をぼんやり眺めだす桜子さん。
桜子さんは、その事件のその部分を言いたかったのだろうか?
俺は、少し口調を強め、桜子さんの顔を見ずに、資料に目を落としたまま続けた。
ふと、全身を真っ赤に染めたあの少女を思い出した。
紅猫……、今は何処で何してやがるんだ。
俺の表情が曇ったのを覗き込んだ桜子さんは、ばつが悪そうに椅子に深く腰掛け直し、伏目がちに俺と向き合う。
気まずい……。
その二人の空気を察したのか、ふぅ、と軽く溜息をして、榎木所長が切り込んできた。
「で、桜子。どうして同時間帯に起きた二つの事件を結び付けたがってるんだ?」
桜子さんの眼差しがその問いによって強くなった。
「ああ、それなんだが、ここからは、もう本当に裏付けや証拠も無い、この事実から推測できるでっちあげという可能性だって事を念頭に置いて聞いてくれ。この二つの事件に関わらず、一時間ごとに五十㎞離れた場所で事件が連続して起こったり、時刻表トリック使っても難しい時間帯と場所で、連日事件が起きている。不可能なんだ。理論上、事件が起きるのは。だから、所長のように、間違いなく模倣犯として片付けられる。でも、そこにこそ、紅猫の実体があると私は睨んだ。つまりだ――」
一呼吸を置き、桜子さんは、俺と所長に意を決して話した。
「紅猫は、一人じゃないのかもしれない」
俺はその意見を聞いて硬直してしまった。
「さ、桜子さん、冗談言わないで下さいよ。紅猫みたいのがうじゃうじゃ居たら、この国は殺人鬼だらけじゃないですか」
「あくまでも仮説だ。推論だ。でも、この地図と事実から導き出される結論としては、そういう選択もあるだろう?」
「ふむ、共犯者もしくは犯行グループが紅猫を名乗り、それぞれ行動してるって訳か? なるほどな、考えたな、桜子?」
榎木所長も興味深げに地図を眺める。
「それもあるし、誰かが主犯格で、下々に指令として、殺害を命じているのかも。それこそ、最も効率のいい殺しの方法の模索として、自分の手を汚さず、配下の起こした結果に、人知れずせせら笑ってるのかもしれない」
桜子さんは、拳を握り締めながら顔を歪めた。
紅猫の行為が許せないのだろう。
俯いて表情こそ見えないが、誰だってこんな非道な行いは許せないに決まっている。
「だとしたら、紅猫というのは、人物ではなく殺人鬼の組織……!」
俺が興奮して声が上ずりながら叫ぶと、桜子さんは大きく頷いた。
「まだ早合点は出来ないけどな、紅猫が捕まらない理由も、単独犯ではないと位置付けると説明が付くことが多い。万が一、末端が捕まっても、組織の教えか何かによって自殺を図るような刷り込みができるなら、トカゲの尻尾が出来る。主犯はのうのうと暮らせる訳だしな」
桜子さんの仮説は、俺の想像をゆうに越えていた。
紅猫が、殺人鬼集団?
俺は考えがまとまらず、机の上に頭を突っ伏してしまった。
「桜子さん……、実際、そういう殺人鬼集団なんて、現実にいるのですか?」
その問いに、溜息一つ吐き出し、至極残念そうに答えた。
「いるんだよ。少なくてもこの日本には、私が知ってるだけで三つはある」
その答えに、俺は思わず椅子から立ち上がった。
というか、この日本にそんな危険集団が三つもあること自体も驚いたが。
「まさか、そいつらが?」
「康一、その答えならノーだぞ。私も真っ先にそいつらの裏を取ったさ。結果、紅猫事件には何ら無関係だった。むしろ紅猫を抱えているだろうと疑われて傍迷惑だとさ」
俺は、気が抜けてしまい、すとんと、椅子に『着陸』した。
桜子さん、殺人鬼集団とタメ口で話し合えるって、どんなコネクションを持っているんだ? 本当、この人、謎だらけなんだよな。髪の毛、桜色だし。しかも地毛。
「でも、小僧、今、紅猫は全く行動を起こしていないだろ?」
榎木所長が渋い顔をしながらそう言った。
急に犯行が止むのはおかしいと思っているのだろう。
「そうなんですよ。彼女を殺してから、紅猫は完全にナリ潜めて、それが却って手掛かりを少なくしている原因なんですよね」
紅猫は、俺を襲った1年前を境に、全く事件を起こさなくなってしまった。
マスコミは、桜子さんが言っていたように、模倣犯説や、密かに紅猫が逮捕されていた、とか騒いでいたが、今では完全に過去の事件として、見向きもされていない。
だから、必死に情報収集をしている俺を、笑いものにする奴らもいた。
被害者ぶるのもいい加減にしろ、とか、どんな形であれ、彼女が生きているんだからそれで良いじゃないかとか。復讐なんて馬鹿馬鹿しいから止めろ、なんていう事も言う人もいた(最後は桜子さんからだが)。
「そのことなんだけど、お前の関わった最後の事件も洗い直したら、面白い結果が出たぞ」
桜子さんは、一枚のノートの切れ端を俺に寄越して見せた。
そこには、誰かのプロフィールが書かれていた。
氏名 小林 芳行(こばやし・よしゆき)
年齢 三十八歳(享年)
前科 婦女暴行 未成年者売春 殺人
そこには、いかにも如何わしい人物が載っていた。
「桜子さん、このロリコン性犯罪者、紅猫と何の関係があるんですか? しかも、死んでるじゃないですか」
腕を胸の前で組んで胸の谷間を強調させながら机の前へ乗り出した桜子さんが答えた。
「そいつが、康一の家族を殺した。そして、そいつこそが、紅猫の親玉だ」
「な、なんだって!」
俺は驚きで、全身の血液が逆流しそうな錯覚を覚えた。
しかし、ここは取り乱さず、落ち着いて桜子さんの説明を聞くことに専念した。
取り乱したところで、何も帰ってこないのだから……。
「凶器はノコギリ。そのノコギリには、メリッサちゃんの血液も付着していたそうだ。つまり、犯人は、メリッサちゃんを殺害後、康一にメリッサちゃんの電話で現場へ呼び出し、留守になった家族を殺害した。大方、今度は自分で今までの結果を試してみたくなったんだろうな。犯人は、警察幹部の血縁者だったらしく、世間には公表されてないが、現に、物証が警察にあるぞ。ツテを頼りにこっそり見せてもらったからな、それは確かだ。んで、何で死んでるかというと、付近をパトロールしていた巡査部長が、そいつに襲われて、咄嗟に銃を発砲し、当たり所が悪く、って感じだ。紅猫事件絡みのお陰で、各警官の銃の携帯は許可されていたらしい。でもよ、発砲したらしたで、懲戒免職じゃ報われないよな。勿論、その発砲しちゃった可哀想な人からも裏を取っている。まぁ、要は、紅猫事件は、警察内部のバカの不始末と一緒に、揉み消されてしまった訳だ。主犯が死んだ以上、紅猫という集団は、もう機能しないだろう。現にさ、今日までの1年間、まことに平和な日常が送られてるじゃないか?」
つまりそれは、もうこの事件は終わっている、ということなのだろうか?
……いや、いくら裏が取れてるからって、何か見落としがあるに違いない。
何かがおかしい。何だ、この違和感は?
俺は、そう思いながら、桜子さんの話を反芻していると……。
「なァ? それは、難しいんじゃないか?」
唐突に、榎木所長が横槍を入れた。
「大体、殺害現場と小僧の自宅までは、結構距離があるだろ? 殺害した場所、小僧の家まで、普通に自転車で行けば三十分、飛ばしても十五分以上は掛かる」
「俺はそのとき、無我夢中だったから、十分ちょっとで向かえましたが」
「だとしてもだ、いくら殺人鬼だからって、体力は一般人レベルだろ?」
「所長、何が言いたいのでしょうか?」
桜子さんは、自分の仮説が通らない事に不満を感じているらしい。
ジト目で榎木所長を睨み付ける。
まるで邪魔をすんな、と言いたげに。
榎木所長はまったく気にせずに、ある事実を突きつけた。
「思い出せ。メリッサちゃんの携帯は、どこで見付かったんだ?」
「それは、校門の前……、あっ!」
しまった、という顔をする桜子さん。
「桜子……、少し、腕が鈍ったかァ? こんなこじつけ、お前らしくないぞ」
「うぅ……、それは……その……」
榎木所長の落胆の視線に、合わせる顔がない様子の桜子さん。
「結論を急くな、桜子。携帯電話が校門にあるということは、『犯人が、通話後、携帯電話を捨てた』ってことだろ? 犯行時間が二十三時から三十分の間なんだから、恐らく、小僧が家を飛び出した直後にやったんだな……」
桜子さんは、まだ納得行かないらしく、榎木所長に食い下がる。
「何かと思えば、時間のアリバイトリックですか? でもそんなの、携帯電話なら、康一の周辺で通話すれば……!」
「お前、本当鈍ったかァ? それかボケたか? さっきも言っただろ? 犯行に使ったノコギリは小僧の彼女と家族を手に掛ける際に使用されていて、携帯電話は、現場の校門の前で、血の池の中にあったんだろ? 小僧への着信は、ちゃんと彼女、メリッサちゃんのものだった訳だし、その携帯が彼女の携帯であるのは明白だ。つまり、犯人は最初の犯行――彼女殺しのあと、携帯電話を持ち出すことは出来ない! 事を起こして、学校から自宅まで行くのなら、犯行時間にどう考えても間に合わなねぇからなァ……!」
呆れた様子で、おでこに手の平を当てる榎木所長に、苦虫を潰したような表情で俯く桜子さんを見て、俺は答えた。
「桜子さん、所長、ありがとうございます。今回の調査、だいぶ確信に迫れた気がします。でも、桜子さんの仮説は突飛過ぎるし、所長の補足も、結局、紅猫が誰なのかを指し示していません」
俺は、両者の見解をバッサリと切り捨てた。
まだ何か、違和感を感じたからだ。
「俺はまだ、紅猫は、今も何処かで、虎視眈々と、次の殺人を準備している気がしてなりません。むしろ、生きていないと困ります」
「それは、何でだ? 小僧」
「死んでいたほうが、世間のためだろう?」
二人が当然のことを言うので、俺はちょっとがっかりした。
もう少し、俺の思惑を理解してくれてると、思ったのに。
「生きていないと、復讐が出来ないじゃないですか。彼女の目の前までしょっ引いて、同じ目に遭わせてやるんです。途中で死なないように、厳重な注意を払いながら、じっくりと時間を掛けて苦痛を味あわせてやります」
俺の思惑に、二人は息を飲んでいた。
「――彼女に行った罪は、俺が罰として、紅猫に執行してやるんだ! それがこの1年間、俺が常に考えていた事だ……! それは、紅猫をこの手で捕まえるまで終わらない!」
桜子さんが、俺を哀れむかのように、右手で俺の頭を撫で付けながら言った。
「復讐なんて、まだ考えていたのか……? もう、そんな事は止せ。お前は、メリッサちゃんと今、幸せに暮らしていれば良いじゃないか。何も、犯人を捕まえるに飽き足らず、拷問まがいのことをやって、お前の手を汚す必要はないぞ? いい加減、康一も前に進めば良いんだ」
俺は、桜子さんの右手を力強く払い除けた。
「前に進むためには、紅猫への復讐が、俺たち二人には必要なんです、大前提なんです。きっと、彼女だって望んでいる! 俺は、俺自身のためでもあるけど、彼女自身の代行者でもあるんだ! 俺の意志は、彼女の意志でもあるんだ! 俺は信じません。紅猫は、今でも生きているに決まってる!」
息巻く俺に、ただただ二人は目を伏せて聞いているだけであった。
「――とにかく、俺はそろそろ、病院に戻らないといけないんで。お先に失礼します、お疲れ様でした」
俺は資料を片付け、席を立つ。
自分の荷物をまとめると、お疲れ様でした、と一礼した。
そのとき、俺へ二人の視線が集中した。
桜子さんは、今にも泣き出しそうな顔で俺を見詰めていた。
榎木所長は一度だけ俺と目を合わせたあと、呆れたように自分の机に戻って、麦茶をがぶ飲みしていた。
『好き勝手にやればいいさ』
……とでも、言いいたげな表情だ。
俺は、飛び出すように事務所を後にし、彼女の待つ病院へ向った。
五 月の風は、まだ冷たすぎると感じた。
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