クレイジー・キッチン 第七話「焼き肉」(2)

第七話 食事をたかる従業員は、店の外では焼き肉をたかる


 テーブルを埋め尽くす肉、酒、米!

「なんだカナさんは肉にはワイン派なのか」

「肉には赤ですよ、赤!」

 俺は厨房に隠したワインを思い浮かべた。そんな俺の様子に、カナさんは探るような視線を向けてくる。あれだけは絶対に死守せねば……。

「ときに店長、ひとつ気になっていたことがあるのですが」

「なんだろうか。スリーサイズなら内緒だぞ」

「ノーパンしゃぶしゃぶは何故、廃れてしまったのでしょうか?」

 ……このメスガキ、突然なにを言い出すのか。肉を食っている最中だから思いついたとでもいうのか。まあいい、雑談とは本来、脈略のないものだ。ひたすら無言で肉を食うのも味気ないので付き合ってやってもいいか。

「そうだな、憶測ではあるがいくつか考えられる説がある。ひとつは食品衛生と風俗営業、両方の許可を得なければならず、手続きが面倒だということだ。仕入れと品質管理も並大抵の苦労ではあるまい」

「美味しいお肉と、美味しいお肉の仕入れは大変だということですね」

 カナさんがどや顔で頷き、ワインを呷る。

「次に、スカートの中を覗こうとして頭を下げたら鍋がひっくり返って火傷した。死因としてはちょっと情けなさすぎるだろう」

「あれ、店長。ノーパンしゃぶしゃぶ店の床は鏡張りで、覗くために身を屈める必要は無いと聞きましたが」

「カガミ張りかどうかは店舗ごとに違うだろうし、ノーパン&極ミニスカのみの営業形態もあるだろう。否、たとえ鏡張りであったとしてもだ─」

 俺はドン、と音を立ててビールジョッキをテーブルに置く。ここから先は気合を入れて主張したい。

「生で見たいのが男というものだッ!」

「大声で主張するようなところですか、それは……」

「異論は認めんッ!」

「あ、はい……」

 わかってくれたようだ。俺はうんうんと頷きながら肉を食い、落ち着いたところで話を再開した。

「あとはあれだな。大蔵省の汚職接待事件で変な注目を集めてしまい、やりづらくなった点もあるだろう。ノーパンしゃぶしゃぶという名が世間に広まったというか、ぶちまけてしまった、いろんな意味で大事件だ」

「ニュースキャスターがクソ真面目な顔でノーパンしゃぶしゃぶ、ノーパンしゃぶしゃぶと連呼していた時代があったんですねぇ」

「今ならSNSで確実に祭りだな」

 また一息ついて、肉が焦げる前に回収した。脇の通路を可愛らしい店員さんが通過するのを横目で見送る。残念ながら、彼女はノーパンではないだろう。

「そもそも、ノーパンしゃぶしゃぶとはノーパンのお姉ちゃんが大事なところを見せたり見せなかったりすることが店の売りなわけであって、しゃぶしゃぶ屋である必要性はまったく無いんだ」

「それこそ、基本となる喫茶店からノーパンラーメンでもノーパンうどんでも、あるいはノーパン焼肉だっていいわけですよね。いや、最後のは油が跳ねるからちょっと怖いか」

「では逆に、なぜしゃぶしゃぶを選んだかといえば、だ……」

 本当になぜだろう? 俺は網の上でソーセージを転がしながら考えた。

 しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶ。ああ、きっとこれが答えだ。

「語感が良かったからじゃないかな」

「語感、ですか」

「しゃぶしゃぶってさ、なんかこう、淫靡な響きがしないか? ……しないかな」

 カナさんは白米をほおばりながら視線を宙に泳がせる。しゃぶしゃぶ、と何度か口にしてから力強く頷いた。

「確かに、いやらしいですね!」

「そうだろう。他には手ごろな高級感といったところかな。あまり安っぽくても雰囲気が出ないが、ノーパンフレンチフルコースとかノーパン満漢全席とか出されても困る。しゃぶしゃぶあたりで落ち着いた、と、いったところではないだろうか」

「接待で使うという建前もありますからね」

「政治家のお偉いさんを連れて立ち食いソバってわけにもいかんからなぁ」

 正直なところ、かなり適当に話していたのだが、なんだかこれで正しいような気がしてきた。そんなことを考えていると、カナさんが急に神妙な顔をしていった。

「店長、ノーパンと謳っていますがそれが女性従業員だとは誰も言っていませんよね?」

「……うん?」

 確かに、ノーパンしゃぶしゃぶという店名の中に女性の存在を匂わせる文言は一字たりとも無い。俺には一ミリたりとも理解できないが、そういった店も需要があるのかもしれない。

 ……いや、ないな。男の裸体というのは女性のそれに比べて、どこか間が抜けているところがある。多分、中央に直立する存在のせいだろう。

 スカートをはくわけにもいかないし、下半身まるだしで靴下と革靴か。風俗店であることを差し引いてもかなり異様な光景だ。

 例えばそう、まる出しのホストが客を迎えたとして─。

『いらっしゃいませ (ぷるんぷるん)』

『二名様ですね (ぷるるんぷるん)』

『テーブル席とお座敷がございますが (ムクッ、ムクムク)』

『ご希望の席はございますか? (ビキチーン!)』

『では、テーブル席へご案内します (ブルンブルン)』

 ……ダメだ、異様すぎる。ビジネスチャンスの欠片もない。詐欺師のセミナーだってもう少しマシなことを提案するだろう。マルチビジネスどころかフルチンビジネスだ。

「店長、明日から試しにノーパンで店に出ては?」

「冗談じゃない。フランクフルトと間違えられて、齧られたらどうするんだ」

「ここでソーセージと言わないあたり、見栄っ張りですよね」

 俺は一瞬、全裸で厨房に立つ姿を想像した。揚げ物が売りの店なので熱した油の前に立つことが多くなるわけで、もしも自慢のフランクフルトに跳ねたりしたらと考えると、縮み上がってしまいそうだった。それとできれば神聖なる厨房であまりふざけたことはしたくない。全国のご婦人方には申し訳ないが却下だ、却下。

「そもそも普通のノーパンしゃぶしゃぶからして、エロ面したおっさんの殿方が集まって、勃起して挙動不審にあたりを見回しながら鍋を囲んでいるという時点で、異様極まりない光景なんですけどね。『おっと、タレがこぼれてしまった(意味深)』みたいな感じで」

 カナさんの結論は身も蓋もない話であった。まあ、ノーパンなので少なくとも蓋はないよな、うん。

「それにしても、ノーパンしゃぶしゃぶひとつで意外に話題が尽きないものですね。私の中で『ノーパン』という字がゲシュタルト崩壊しそうですよ」

 たかがエロ話と切って捨てることは容易い。しかしそこに、経営や歴史、事件といった視点を加えるとなかなかに興味深いものが見えてくるものだ。

 性風俗歴史文化学、という観点もなかなか面白そうだ。俺は研究者でなく洋食屋だからやらんけど。

 俺は話の締めとばかりに、真顔になっていった。

「ノーパンしゃぶしゃぶとかけて、歴史の研究と解きます」

「……そのこころは?」

「様々な角度から見ることが重要です」

 一瞬の沈黙、からの、大爆笑。軽く酔っぱらっていたこともあってか、お互いのツボに思い切りはまったようだ。

「ゲーッハッハ!」

「アーッハッハ!」

 料理に取りつかれた男と、食に取りつかれた女の哄笑が響き渡った。さあ、食いまくりパーティの再開だ!

 肉が焼ける! 俺たちが食う! 注文によって更新され続ける、伝票!

 そして夜が更ける─。




「五万八千円になりまーす」

 ……ごまん、はっせんえん。一回の食事でだ。

 店員さんのやけに明るい声が、これはジョークですと続けてくれるのを待ったが、当然そんなことはなかった。伝票にもそう書いてあるし、心当たりもたっぷりある。

 ああ、やはり外であの女に関わるとロクなことが無い!

 激しい後悔と、深い反省。そしてほんの少し、ほんの少しではあるが『まぁ、楽しかったよ』という気分を抱いて、俺はカードを取り出した。

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