9.黎明

『何故だ、糸には触れていないはず』


巴が張ったのは、「形」を持たない水子の特性を活かした蜘蛛の巣状の糸だった。ただ、元がヘドロ状のため、どうしても「糸」の状態を維持することはできない。隠形鬼は確かにそこには触れていなかった。だから油断して、もう一つの極細の糸に気付くことが出来なかった。千砂の式が張った細く細かい糸が巴の糸より内側に張り巡らされていたのだ。隠形鬼は、巴の糸を抜けた後、千砂の糸に自分が絡め捕られたことに気付かなかったようだ。ヘドロがついた隠形鬼など、カラーボールに当たったコンビニ強盗のようなものだ。もはや隠形鬼とは呼べない、ただの鬼だ。しかも、ヘドロが体中にへばりつき、身動きが取れない。


(喰らえ)


命じたのは千砂だった。まだ未熟な式を持つ千砂には、優先的に獲物が与えられるシステムとなっていた。これで、金鬼と隠形鬼に勝利したことになる。大学の全ての教室の電気が消えていた。


「私の式で結界を敷くわ。二人は改君と甲君を援護しに行って」

「でも、私たちには巽さんを守る義務が……」

「自分の身は自分で守るわ。大丈夫。行って」


千砂は二人の背中を押した。

 巴と改は水鬼と向き合い、真姫は甲と共に風鬼と向き合った。改も甲も切り傷やかすり傷が多く見られ、戦いの激しさを物語っている。風鬼は大きな袋を持つ割に動きが素早い。切り傷は鎌鼬によってできたものだという。


「動きを止めればいいんでしょ」

「出来るのか?」

「醜女を捉えた時と同じでしょ? 足さえ止めてもらえればその隙に出来るはずよ」


強風の中で二人は計画通りに実行に移った。再び風の流れに集中した甲は、鎌鼬や風波に耐えながら式を操る。式の動きの精密さにかけて才能を発揮したのはこの甲なのだ。ついに雉が風鬼にたどり着いた。風鬼は式を吹き飛ばそうと、袋の入り口を雉に向けた。その一瞬を真姫は見逃さなかった。


(捕えよ)


竜が風鬼の足に絡み付き、動きを奪った。そして真姫は間髪入れずに走り出した。甲は何事かと真姫の動きを目で追う。真姫は竜の鱗を一枚剥ぎ取った。


「ごめんね、ボアちゃん」


竜の鱗を、風鬼の袋目がけて振り下ろす。空気が抜けた風船のように風鬼の袋は縮んで効力を失った。


「今よ!」

(喰らえ)


甲は式に命じた。風鬼も向かってくる雉を喰らおうと口を開けたが、甲の雉に軍配が上がった。

 その頃、水鬼も戸惑っていた。


『何故、水がこんなにも汚く、いうことをきかぬ⁉』


巴の式が水鬼の水に溶け込んで、水鬼がまとう水をヘドロ化させていたのだ。

改も水圧での攻撃を受けて傷だらけだった。そこに巴が来て、改は軽い口を叩いた。


「あいつ、水しか操らんねなんねの? 泥どがだっけごんたらどうすっべ」


その改の軽口を巴は作戦の提案だと思い込んだ。「やってみます」と答えた。訓練の結果、巴は形を持たない式をネガティブに考えるのではなく、ポジティブに考えられ

るようになった。形がないのではなく、どんな形にも変えられる、と。


(交われ)


水鬼が操る水の中にヘドロ状の鬼を侵食させていった。一方、改の方は式の中では随一の力持ちの式になっていた。水鬼に黒い牛が突進し、水鬼を弾き飛ばす。つかさず水鬼を前足で踏みつけ、牛が水鬼を喰らいつくした。安堵の表情を浮かべた巴が改の方を見ると、改は血を吐いて地面に伏していた。


「裏木さん」


巴が改に駆け寄る。その巴の行動に甲や真姫も駆け付けた。


「水ば操る鬼だっけさげ、内臓をやられた」

「救急車、呼びます」


巴は携帯を手に青ざめていた。


「待て、俺が巽さんと結界を代わってからだ」


甲が見やったのは、令達の方だ。


「何言ってるのよ。あんただって、傷だらけじゃない。出血多量で死んじゃうわよ」

「私の結界なら、大丈夫よ」


闇の中からふと浮かんだのは千砂だった。


「皆、ぼろぼろじゃない。いても迷惑になるから、早く病院へ行った方がいいわ」


千砂は汚れ役をかってでる。間もなく、千砂が呼んだ救急車のサイレンの音が近づいて来たのだった。


「本当に大丈夫だろうな?」

「無理しないでよ」

「ええ。結界くらいなら問題ないわ。私の式のスキルはこれに特化していたのだし」


千砂は相変わらずの無表情で四人を病院へ送り出し、踵を返した。

 真姫のおかげで金鬼を剥がれた千方は霊体化していた。千砂は自身の式を守るため、遠くから結界を張っている。これで警備員も誰もこの空間に誰もいないようにしか見えない。千方は式使いのトップ争いをする馬と犬を相手になお倒されない。豚はもはや戦力外だった。三人は三方向からの攻撃を繰り返していたが、それに慣れた千方は逆に式を喰らおうとする。先ほどからきりがない。このままだと千方に式を倒されかねない状況だ。


「なんとかの一つ覚えか?」


霊体になり、従えていた鬼を全て失い、それでもなお、千方は余裕の笑みを浮かべていた。


「お兄さん、僕の憑依が限界みたい」


雄は悔しそうに言った。


「そうだな。これ以上の消耗戦は体を持っている俺等が不利だ」


令は良を引っ張り、作戦を耳打ちする。


「章が待っているんだろう? これくらい出来るよな?」

「うん」

「雄、頼んだ」


雄はストックされていた魂を次々に開放した。


「やけにでもなったか」


千方は解放される魂を次々と平らげる。そんなことをしては千方に力を与えるだけではないか、と思われた瞬間、魂に隠れていた小さな豚が千方の喉に噛みついた。つかさず令の犬が大きな口を開けて千方の頭を丸呑みにする。馬が千方の胴体を喰らった。千方の姿は完全に消えていた。次の瞬間、雄が膝を地面に着いた。


「限界だ。僕の魂はこの人から離れるね。でも心配しないで。僕は僕の魂を守れたから、何年後になるか分からないけど、またお兄さんに会いに来るから」


良を守りながら戦って肩で息をする令も、頷いた。


「待ってるよ、ずっと」

「良姉さんには悪い子としたね。ごめんなさい」


良は羞恥心をのぞかせながら、首を振った。


「それはお互い様よ。私は章に甘えていた。それを鬼達に利用されたんだもの」


千砂は三人の会話を聞きながら結界を解いた。ふと、足元の影が薄く伸びていることに三人は気づいて思わず顔を上げて空を見た。黎明の空が美しく輝いていた。


「見て。朝焼けよ」


良が明るい声を発した。皆がそれぞれの場所で、終わりと始まりを予感していた。

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