8.実戦

「良」


章は良に怒気を含んで話しかけた。


「良、もう止めるんだ。確かに俺はこの少年に気を付けるようには言ったが、こんな残酷なことを仲間に強いるなんて、どうかしてる。鬼に利用されているんだ。目を覚ませ、良」


章は「この少年」と言いながら、自分の胸に手を置いた。明瞭で聞きやすい声だ。雄独特の悪戯ぽさが完全に抜けている。良は自分と章しか知らないはずの最期のやり取りを耳にして、そこにいるのが雄ではなく、本当に自分の夫だと確信し始めていた。


「章、なの? 本当に章なの?」

「そうだよ、良。一緒にあの村に帰ろう。一度ゆっくり休もう」


章は笑顔を見せて良に近づいた。良はナイフを落として涙を流していた。カランカランと、乾いた音をたててナイフが地面に転がった。良はネックレスにしていた章の結婚指輪を首から外した。それを章の指にそっとはめてみた。今の雄の体ではサイズが全く合わなかった。良は顔を覆って泣き出した。


「嘘みたい。本当に章が戻って来てくれるなんて」

「俺もそう思うよ。またこうして良と会えるなんて。さあ、もう目が覚めただろう?人質を解放して、復讐なんてことは止めるんだ」


章は良の涙をぬぐいながら言った。良は素直に頷いた。


「金鬼、戻れ」

『承知』


ようやく令の体に自由が戻った。


「さてと、まだやるんだっけ? 良ちゃん」


令が体をほぐしながらそう言うと、良は章の腕の中で激しく首を振った。


「私は、章が帰って来てくれれば、それでいいんです」

「あ、あの、私、西尾巴っていいます。その、章さんが今度は馬の式使いになるんですか?」

「いや、俺は一度北野守り人を外された部外者だよ」

「じゃあ……、雄君は、雄君はまだ……」


巴の言葉に皆がはっとする。千砂だけが、良の覚悟の甘さと思慮の浅さに頭を抱えたい気分を無表情の下に隠している。雄の魂は未だに神門に選ばれたまま、馬の式を連れてどこかに存在しているのだ。


「あんな奴だけど、欠けられるとキツイなー」


令は頭を掻く。


「何がだ?」


甲が今まで誰のせいで言動を封じられていたのだ、と苛立ちをぶつけるように言った。


「んー、たぶんな、千方の奴、そんな簡単な奴じゃないって。御霊も千方に喰らわれたんだろうよ。なあ、良ちゃんの中でストック状態の千方さんよ」


「え?」と声をあげた良が自分の式を見る。「山の主」といった風格のある猪のような豚だ。その豚が突然悶絶したかと思うと、空舟を前にしたわけでもないのに、一つの玉を吐き出した。


「雄、近くにいんなら逃げとけよ。皆これを倒せばラスボスクリアだぜよ」


玉は徐々に成人の男性の形になっていく。


「章、お前は足を引っ張るだけだ。早く逃げろ。千方本人は俺と良ちゃんで行く。隠形鬼、水鬼、風鬼は甲と改であたれ。トモピーとヒメはちぃちゃんを守れ。いいな」

「三対二かよ」


甲は舌打ちする。


「いや、隠形鬼は目さ見えねさげ、巴のスキルば使ってけろ」

「は、はい」


巴は形を持たない式を蜘蛛の巣状に張り巡らせる。ここに触れれば隠形鬼でも捉えることが出来る。その奥に竜を従えた真姫が控え、千砂を守る。残念ながら千砂の頑張りに答えることはできず、皆から戦力外通告を受けていた。章は後ろ髪を引かれる思いで走り出す。変形した玉から千方の声がした。


『まさか、ここまで簡単に折れるとはな。御霊たちの心配、わしの読みも当たった。お前には失望したよ、北野良。あれだけ人鬼を喰らっておきなっがら、自分だけ幸せになれればそれで良いと?』


鎧を身につけた男、千方の姿がそこにはあった。


「ごめんなさい、千方さん。でも、もう止めましょうよ」

『小娘が。水鬼、風鬼、隠形鬼、今宵は宴じゃ。思う存分喰らうがよい』

「そいつらの相手は俺たちだ」

「無視されっど、困るんだず」


風鬼は、「風神雷神図屏風」に描かれた風神とよく似た格好をしていた。風を出す袋を持っている。水鬼は自分の周囲に水をまとった三つ目の女の鬼だ。角は両者二本ずつ生えている。隠形の姿は見えない。金鬼は千方の鎧そのものだ。千砂は突然大声を出した。


『草も木も、わが君の国なれば、いづくか鬼の棲なるべき』


これは千方が登場する『太平記』において、金鬼、水鬼、隠形鬼、風鬼を千方から離反させた言葉だった。しかし、鬼達は嘲笑した。


『今が君に、権力はなく、権威さえも失いつつある。我々とて、同じ手に引っかかり、二度も主を裏切ることはない』


風鬼が袋を地面に向けて風を射出する。砂埃が舞い、目くらましとなった。しかし甲はこれに屈せず、果敢にも式を放った。


(喰らえ)


逆風に逆らって、力強く風の隙間をぬって雉が羽ばたく。風鬼に加勢しようとした水鬼を黒い牛がはばむ。こちらは大量の水で改の攻撃を防ぎ、水圧で攻撃してくる。千方は余裕の表情でそれらを見ていた。


「良ちゃん、実戦経験は?」

「ありません」

「取りあえず、金鬼を倒さないと千方には攻撃できない。金鬼に的を絞れ」

「はい」


良は自信喪失していた。あれだけ憎んでいた相手と共闘し、自分に手を貸してくれていた相手が敵になっている。千方に今まで食べてきた鬼を全て奪われ、式は子豚のようになってしまった。これは感情に流されやすい自分が招いた危機だ。自分がどうにかしなくては、と良は焦燥にかられる。しかし、自分が令の足を引っ張るのが明らかだ。その事実がさらに良を追い詰めた。心もとない大学のキャンパスの外灯の下、熾烈を極めた戦いが静かに繰り広げられようとしていた。


「二人じゃキツイでしょ。僕も混ぜてよ」


まるで何かの遊びに参加しようとするかのような気軽さで、スーツ姿の若者が黒い馬を引きつれて目の前に現れた。


「雄がか? その体、どうした?」

「就活で疲れて眠っていた体に憑依してみたんだ。これでどこまで式を操れるかは分からないけど、押せるだけ押してみるよ」

「よし、三人で挟み打ちにするぞ。良ちゃんは正面切れ」


(喰らえ!)


三人は同時に千方に式を放った。千方の後ろに野外掲示板がある。逃げ場はない。しかし三人の式は簡単に金鬼に弾き飛ばされる。令と雄だけが、金鬼の鎧の縫い目を解くことに成功したが、それもすぐに再生されてしまう。千方は令の方に歩みを進める。そして千方は霊体であるにもかかわらず、令の首を絞めあげた。正確には金鬼の鎧が千方に実体を与えていた。


『お前がいなければ、他のものの精神的ダメージは大きいな』


千方は雄に背中を見せる格好となったが、鎧の裏側には金鬼の目があって、迂闊に手が出せない。令が呻き声をあげていたわずかな隙をついて、上から何かが落ちてきた。千方も、突然金鬼を失って、思わず令を放した。令が激しくせき込む中、雄と良は目を見開いた。外灯の真下にいたのは「ボアちゃん」だったのだ。


「そうか、電気の電波か」


雄は心なしか弾んだ声で呟いた。真姫の式は電波に乗ることに関しては、式使いの中でもずば抜けた才能を発揮する。外灯も電気。電気にも流れがある。その電波に乗せて式を千方の真上に移動させ、一気にすべり落ちながら金鬼を喰らったのだ。真姫はすぐに自分の所に式を呼び戻す。どからか、隠形鬼がまだ狙っているからだ。その直後、巴がはった紐に何かがぶつかった。


「来ました。右斜め前方です。今度は左上。近づいてきます」

「落ち着いて。おそらくあからさまにぶつかって来るのはダミーよ。大丈夫。私は戦力外だけど、やれることはするから」

「は、はい」

「ほんとよ。ビビらせないでよー。ちゃんとやってくれないと面倒なんだから。何度も練習したでしょー」

「すみません」

「二人とも、右斜めよ」


千砂が落ち着いた小声で言う。巴は千砂が言う方向目がけて式を泥状のままぶつける。そこにはヘドロまみれになった忍者のような姿の男がいた。

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