7.ストック

「これが全てです」


良は全てを令に話し終えた。令は何故か大爆笑していた。


「なーんだ。鬼に魂売ったとか言うから、早とちりしたぜよ。何だよ、まだ人鬼じゃないのか。良かった良かった。今からでも遅くないぜよ。雄は確かに、良ちゃんの大切なものを奪った。だから正式に謝罪させる」


良は章の指輪を握りしめ、身体を震わせながら令を睨みつけた。


「笑うな! 貴様らは章を殺した! なのにどうして楽しく日々を過ごしている? 絶対に許さない!! 地獄に叩き落としてやる」


良はナイフを令に突き付けた。


「良ちゃん、そんな物騒な物しまいなよ。皆見てるよ」

「どうかしら? 千方さんが従えていた鬼を考えれば、分かるはずよ」


令は良にナイフを突きつけられたまま辺りを見回した。誰も令と良に気付く者はいなかった。


隠形鬼おんぎょうきか」

「御名答。さあ、他の六人を今すぐここへ呼び出して」


令は良から簡単に逃れることが出来た。令達は日ごろからトレーニングを積んでいるが、良は式の力任せだ。ナイフという物理的な攻撃なら令は簡単に今の形勢を逆転させることが出来た。しかし、令は良の言う通りに皆を呼び出した。単に「北の守り人が見つかったから集合」とだけ伝えた。良の震えがナイフを伝って令にも伝わってくる。怒りと恐怖が混ぜこぜになった震えだ。


「人に刃物を突き付けんのが怖いなら、止めればいいのに」


「うるさい。勝手にしゃべるな。私だって、何の考えもなく来たわけじゃない! 金鬼かなき、この男の自由を奪え」


『承知』と低い声がしたかと思うと、令の体はずっしりと重くなり、関節が固まったように動かせなくなった。金鬼は千方が鎧として用いた鬼だった。思い鎧で自分の体を守るのではなく、拘束具として使うとは考えたものだ、と令は自分の情けなさを感じながら思う。これでは令が他の六人の重荷になってしまう。何とかしなければ、と令は思ったが、指一本動かせなかった。かといって、式を出すにはリスクが大きすぎた。そんなことも知らずに、次々と仲間が集まってくる。そして、良と令の剣呑な雰囲気に皆が絶句した。全員そろったことを確認した良は、令に話したことと同じことを全て聞かせた。


「何やってんだよ」


甲が式を出すと、皆もそれに応じて式を出す。良はそれを満足そうに見て笑っていた。


「悪いな、皆。油断した。俺は今動けないんだ」

「その金鬼ってやつば、先にやってしまえばいいんだんべ?」

「動くな! 式に命じたり、少しでも動いたら、こいつを本当に殺す!」


ナイフが令の腹部にめり込んだ。


「止めろ、止めてくれ」


雄が叫ぶと、良は喉を鳴らして笑った。「少女のような少年」。章の仇がそこにはいた。良は令と雄の関係を知っていたからこそ、この手段に出たのだ。


「そうよね。お兄さんを助けたいでしょう? いいわよ。助けてあげても」

「条件は?」


雄は生唾を飲み込んだ。


「そこにいる全員の式を、お前の式に喰わせなさい。そうしたらお兄さんを解放してあげる」


雄は拳を握りしめ、俯いた。それは依然、屑と名乗っていた時にやろうとしていたことだ。しかし雄はかつての屑ではない。今の雄は人の命の尊さを知っている。人一人が、どれだけ多くの人に愛され、生かされているかも、今の雄には分かっていた。だから雄は一つの提案をすることにした。


「良姉さんが、こんなことをしなくちゃならなくなったのは、僕が章兄さんの魂を食

べちゃったからだよね?」

「そうよ。おかげで私たち、私と章の幸せはめちゃくちゃよ! 章を……、私の夫を返して!」


良は涙をたたえて叫んだ。


「返すよ」


雄は静かに言った。


「もうどこにも章はいない! 返せるものなら返してよ! そんなことが可能ならどんな手段だって使って、やってるわよ!」

「うん。体は無理なんだよね。でも魂だけなら……」


雄は自分の式である黒い馬に手を当てた。


「僕の式は人の魂を喰らって力にするだけじゃなく、ストック出来るんだ。北野章の魂もこの中にストックしてあるよ。そして僕は死体に入っている人鬼だ。どういうことか分かるよね、良姉さん」


雄の口調は軽かったが、冷静で淡々としたものだった。


「本当にそんなことが? 本当にその中にまだ章が生きているっていうの?」


良の激しい動揺が、ナイフを伝って令に届く。この動揺は、そこにいる全員が覚えたものだった。何故なら雄は、自分の魂の代わりに章の魂を自分の体に入れると言ったからだ。それは雄の身体的な死を意味する。雄はそれが自分の責任であり、償いであり、覚悟だと言った。夜も更けこんで、吐く息が白い。


「止めろ、雄。良は章の死を受け入れられずにいるだけだ」


雄は令の制止にゆるゆると首を振った。


「雄、お前が犠牲になるなんて間違っている。お前はずっと償ってきたじゃないか」


「そうだ」と改や甲が呼応した。巴も真姫も頷く中、千砂だけは無反応でことの成り行きを見守っていた。


「嘘よ。だってそんなことが式に出来るだなんて、聞いてない!」

「可能性はあるわよ」


真姫が珍しく慎重な声をあげた。


「私のボアちゃ……、式はネットに入るのが得意だし、巴のは追跡が得意だし、式は飼っている内に得意分野が出来ることがあるの。雄君の式はこの中で一番強い式よ。ストックできてもおかしくないわ」

「だったら、証拠を見せなさいよ! 章が戻るまで人質は解放しない」

「分かったよ。空舟を出してくれないか。そこで章の魂を吐き出させて入れ替わる。外見は僕になってしまうけど、それでもいい?」

「私は章の外見が好きなんじゃないの。生きていてくれればそれでいいの。どんな形であっても」

「分かった」


雄はそう言って静かに一歩を踏み出した。良はその先に霧を発生させる。もはや街灯なしでは顔もはっきりと見えない。その分白い霧ははっきりと見えた。雄は白い霧にのまれる寸前、手をひらひらと振った。おそらくこれが最後の別れだ。しかし誰も文句は言えず、止める権利もなかった。それが雄が決めた覚悟ならば。真姫は膝を抱えるようにして泣いた。巴も立ったまま大泣きしている。甲と改はリョーマの最期を思い出していた。ふと、闇の中から声がした。それはあまりに唐突で、闇自体が声を発しているような気がした。


「あなたは、鬼に利用されているということではないの?」


闇の中から声を発したのは千砂だった。


「利用?」


良はせせら笑った。


「力を貸してもらっているだけで、この復讐は私の本懐よ」

「なら、雄が章として戻ってきたら、あなたの本懐は終わりね」

「いいえ。あなたたちは一度ならず二度までも章を殺した。その償いはしてもらうわ」

「そう。でもならば何故、鬼達はあなたに大切なスキルのことを黙っていたのかしら?」

「それは……、それは私の式が強いから、スキルなんて必要なかっただけじゃない。変な詮索で、私の心が折れると思ったら、大間違いよ」

「せんさく? そのつもりはなかったのだけれど、ごめんなさいね」


街灯の下に立つ良が、闇の中の千砂に揺さぶられた。その時、白い霧の中に人影が揺らめいた。その姿は確かに雄だったが、明らかに雰囲気が牧歌的で落ち着いたものだった。


「はじめまして、かな。北野章です」


声も雄のものだったが、朴訥としていて大人びた口調だった。


「家内が皆さんにご迷惑をおかけしているようで、本当に申し訳なく思います。本当にすみません」

「章の真似なんてやめて!」


良は悲鳴に近い声で叫んだ。


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