6.解放

「俺たちのことは、歴史で知っているね」

「はい。政争の中で死んでいった人たちだと。そして死後もなお、様々な問題を押し付けられて御霊として今なお祀られる人々だとも」


早良は満足げに頷いた。


「ただ、語りに問題がある。俺たちを語るとき、俺たちの他にも政争の中で死んでいった人々はかなりの数がいることが抜け落ちて語られることだ。何故俺たちが選出されたのかは分からない。まるで白羽の矢が立ったような心持だよ」

「そんな昔のことを言って、その子を悩ませるのはおやめなさいな」


井上は再び早良にかみつく。吉子はそんな井上をなだめている。毎回この状態なら、早良のやつれた様子はそれに起因しているのではないかと思われた。


「とにかく、今ここですべきことは私たちを喰らってもらって、力と覚悟を付けてもらうことじゃない? 昔のことは放っておいて、今やるべきことが第一でしょ」


井上は言い切った。まるで女性政治家だな、と思った良は自分の考えに苦笑する。ここにいるのは全員、敏腕政治家だったのだ。その為に政治の中で負の部分を押し付けられてきた人々なのだと思い直す。


「俺が言いたかったのは昔のことじゃない。俺たちは、政争の中で名もなき人々の怨念を背負わされてきた。だから、喰らうとは考えずに、解放してほしいんだ」

「解放?」

「そう、殺すとか、喰らうとかじゃなしに、俺たちの魂を解放してほしい」


今度は皆が、早良の方に同意の意を示す。良は深呼吸をした。章の指輪をさらに強く握りしめる。このまま十人に翻弄されるわけにはいかない。今ここで話題の中心になっているのは、あくまで私なのだから。良はそう思い、地面を踏みしめ一度目を閉じ、ゆっくり開いた。


「私はすでに千方さんという人鬼を食べています。ですから、人鬼を食べることに迷いはありません。ただ、あなた方には今の生活があります。あなた方は、子供を持つ母であり、父であり、恋人であり、友人であることでしょう。私も人鬼も社会の歯車の一つです。だから、無理強いはしません。今の生活を大事にしたい方、死が怖い方は、私が十数える内に私の目の前から消えて下さい」


突然良が大声を出したので、道真以外は呆気にとられた顔をしている。そして井上と吉子、文屋はくすくすと声をあげて笑い、他の男性たちも喉を鳴らして笑っていた。他戸が良に近づいて来て、「変なこといってるー。馬鹿にしてんのか?」と舌っ足らずの声でそう言いながら、良を指さす。「ほんとだー」と、伊良も同意する。母親二人がそれぞれの子供をたしなめるが、大人たちも笑っているのであまり効果がない。良は自分が何かおかしなことを言ったのかと狼狽する。そんな中、広嗣が笑いながら言った。


「我々はすでに死んだ身。それもひどく辛い死に様だった。こうして千方さんから声をかけてもらえなければ、こうして現代で暮らすこともできなかった。その千方さんが命を賭してまで力を貸すという娘に喰らわれるのは本望。これは我々御霊十柱の総意だ。恐れているのは、人情に流されてあなたの心が折れてしまうことだ」


良は章の復讐のためとはいえ、十人もの人の命を奪うことに抵抗を感じていた。子どもが二人もいると分かればなおさらだ。しかし良は千方という人鬼を食べてしまっている。もう、後戻りはできないのだ。広嗣の言葉に皆が頷く中、道真がようやく言葉を発した。


「人殺しの覚悟はあるか。仲間を殺せるか」


道真は問うのではなく、強い口調で言ってきた。これは良にあった心の隙をつくものだった。人鬼殺しではなく、人殺し。他人ではなく、仲間を殺すということ。良は自分の覚悟に死角があることに気付いた。真備は道真の言葉を補う。


「君の仲間は人鬼ではなく、人間だろう? ただの人に式を使えば本当の人殺しだ。しかも君にとっては本来仲間だ」

「仲間なんかじゃない! 章を殺した奴らなんて」


文屋はため息を一つついた。


「どれだけ人が憎いかは、俺たちが一番よく分かっているけどね、冷静になって想像してごらんよ。自分が人に対して式を使うところを」


文屋は良の様子を楽しんでいる節があり、鼻についたが、言われた通りに想像してみる。七人の式使い。七匹の式。良同様に、黒い式を持つものもいるという。喰らえ、と命じる。最初の標的は「少女のような少年」だ。まさに今の文屋の通りの美しい少年。一人、また一人と喰らっていく。そして最後に残るのは七人分の死体。


「そうか、死体が残るのね」


やっと気づいたか、と文屋が笑う。


「俺たちはそれぞれ死体の中に入ったから、死体が一気に十人分見つかったとしても、死亡時刻はバラバラだし、式を放っていけば自分のアリバイも作れる」

「しかし七人の死体を前にした君はどうする?そしてこの関門を突破しても次が問題だ。式使いはいなくなった時点で新しい式使いが現れる。何も知らない彼らに君はどうする気だ?」


文屋の後を引き継いだ橘は、せき込みながら良に問う。


「集団自殺に見せかけます。新しい式使いのメンバーは私は集めないし、そのメンバーに加わることもありません」


良は脂汗をかきながら覚悟を述べた。


「あなたはずっと私たちの味方なのね?」


井上が涙を浮かべながら問う。


「はい」


十人の顔がほころんだ。


「誰も犠牲にならない。そんな世があったなら、我々も御霊とはならず、安らかに眠れたものを」

「でも、これで終われるね」

「そうね、伊良。じゃあ、お願いします」


十人の内、誰もその場から離れなかった。


「本当に、本当にいいの?」


良が最後の質問をすると、十人は微笑んで首肯した。


「皆さんのことは忘れません。ありがとうございました」


良は再び目を閉じ、ゆっくりと開く。一呼吸おいて、式に命じた。


(喰らえ)


良は猪のような豚の式を放って、神泉苑を後にした。中には十人の死体があるはずだ。死因も死亡時刻も、死亡場所も異なる十の死体が。これらの死体を科学で解明するのは不可能だ。だから良も平然としていられる。章の死から、心が麻痺してしまったのかもしれない。人鬼を喰らうことに慣れてしまった。やはり十柱を食べたことは大きかった。良の式はもはや豚ではなく、「山の主」といった風貌をしていた。

 やがて神泉苑で見つかった十人の遺体はミステリー調に大きく取り上げられたが、捜査が難航している内に別の事件へと、人々の関心は移って行った。




 月日は流れ、冬になっていた。ある大学の前を通ったとき、良は彼らを見つけてしまった。ついに良はあの若者たちを見つけたのだ。良は見た。章を殺しておきながら、楽しそうに笑って過ごす若者たちの姿を。良の目から涙がこぼれ落ちた。何故今泣きたくなるのか、良にも分からなかった。そして全身が粟立った。章の死に顔に、千方や御霊たちとの会話が重なった。良はその若者たちをしばらく観察することにした。確実に一人残らず若者たちを殺すためだ。涙をこらえ、飛び出しそうになることもこらえた。そして核となる人物、令。少女のような少年、雄。この二人に標的をしぼった。そして令が一人になったところで声をかけた。

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