5.御霊たち

「この件に関して、藤原さんにも責任があるということでしたが、どういうことですか?」

「醜女だよ」

「シコメ?」


良は聞きなれない言葉をおうむ返しに聞き返す。


「古事記に出て来る醜女は黄泉国の境にたどり着けなかった。だが、わしがそこを訪ねると、黄泉軍に紛れて一人だけ醜女が境まで来ていた。わしはこの醜女が現世に出る手引きをした」


そこから良は、章が頻繁に言っていた改と甲の因縁について千方から聞いた。そして権力者によって利用されてきた鬼の話や、千方もその一人であると聞いた。そしてもしも良が章の仇を本当に打ちたいと考えるなら、千方を豚に食わせろと言ってきた。


「そんなことをしたら、あなたが死んでしまします。それではあの章を殺した人たちと一 緒じゃないですか」

「しかしそうでもしなければ、勝算はない。それぐらい分かっているのだろう? わしはあらゆる鬼と共食いしてきた。赤目あかめ黄口きくちの夫婦。土蜘蛛に酒呑童子。茨木童子に大猛丸。成長したビャンカラ。全国を歩き、鬼の子孫の五家、西野、前坂、亀岡、中川、中井の人鬼すら喰らった。それもこれも力を得るため。仲間もあの式使いを倒してくれるならと、おとなしく喰われていった。わしの式となった鬼も憑いている。大丈夫だ」

「そんな。あなたがやればいいじゃないですか。私もあなたに協力しますから」


藤原はゆるゆると首を振った。


「わしにとって、これが最後の仕上げだよ。わしは疲れた。そして同じ式使い同士の残酷な再戦。これはその他の鬼達の総意でもある。どうか力をかしてくれ」


藤原は良に向かって頭を下げた。しばらく二人の間に沈黙が下りた。コインロッカーの音だけが、コンクリートの冷えた部屋に響いていた。


「分かりました」


良は決意を固めたようにその言葉を口にした。ふと、藤原の口元が安堵のためか緩んだ。


「ありがとう。早速だが、神泉苑に行ってみてくれ。本戦はその後だ。かつてあの世とこの世をつなぐ場所としてあったあの場所も、観光という俗にまみれてしまったがね」

「そこで私は何を?」

「御霊たちには話を付けてある。練習のつもりで行ってくると良い」

「はい。藤原さん、ありがとうございました。そして、さようなら」

「ああ、お前さんの式の中からでも見物させてもらうよ」


(喰らえ)


良は藤原に向かって心の中で念じた。半透明な豚は、藤原に向かって突進したが、藤原は目を閉じて車椅子に身を預けて微動だにしなかった。豚が藤原の体を通り過ぎると、藤原はがっくりと頭を垂れた。藤原千方の最期だった。良は人に見つかる前に病院を後にした。

 



 良は早速、神泉苑へと向かった。御池通にの正門から、中に入ると、正面に石橋があり、右手に本堂があった。良は石橋を渡り、善女竜王社手前の赤くアーチ状になった橋に向かった。かなり大きな池だ。濁った水面に木々が映り込み、数羽のアヒルが泳いでいた。今でもこんなに広いのに、昔はもっと広かったとは信じがたかった。朝早くに着いたせいか、人影はまばらだった。しかしそのまばらな人影は、皆、何故か良を見ていた。母子が二組。あとは男性が六人。良の一挙手一投足に注目が集まる。良は橋の上で戸惑いながらも一回転して見渡した。上下御霊社に祀られている御霊は八柱。八所御霊と言われるが上下合わせて十六柱ではない。重複もあるので実際には十柱である。まさかここにいる全員が、御霊ということなのだろうか。良はネックレスにした章の結婚指輪を握りしめた。今、自分は日本史にも名を残す御霊たちの中にいる。強力な力を持つ住人の鬼の中にいる人間一人だ。


(章、私、ちゃんと頑張るから、ちゃんと見守っていてね)


良は章の唯一の形見に念じた。耳を研ぎ澄ました良は心の中で問いかける。


(あなた方は、千方さんが言っていた御霊の皆さんですよね?)


『そうだ。お前が北の守り人か?』


北の受信地である耳は正しく言葉を受信した。受信したのは男性の声だった。黒い革のジャケットを着た男性が良に近づくのを合図として、良を目指して一斉にまばらだった人々が近づいて来る。黒皮ジャケットの男は白髪交じりで、髭も伸び、少しやつれた感があった。その白髪頭を下げ、「早良さわらです。ライターです」と自己紹介した。


「一応、この十柱を束ねていることになっている」

「一応とは何よ。しっかりなさい」


男の子連れの女性の一人が叱咤する。長く波立つ髪と赤い唇が印象的な美人だ。この母親は井上いのうえと名乗り、子供に挨拶を促した。この母親にしてこの子ありなのか、男の子は「他戸たべだよ」と快活に答えた。他戸親王と早良親王は腹違いの兄弟に当たるはずだ。先ほどの叱咤は早良よりも他戸の方が優れているという意思表示ではないかと考えられた。


「では、そちらが……」


良はもう一組の母子に目をやった。こちらの母親はショートカットで日に焼けた肌をしており、井上とは対照的な美人に見えた。

「はい、吉子よしこです。井上さんとはママ友なんですよ」

伊良いよです」


母親同様に日焼けした男の子はそう答えた。井上と吉子は互いに専業主婦だという。前髪で顔半分を隠した青年は藤原広嗣ひろつぐと名乗った。大学生だ。丸顔のメタボになりかけたサラリーマンは吉備真備きびのまきびと名乗った。その反対にがりがりに痩せた長身の男は橘逸勢たちばなのはやなりと名乗った。逸勢は病気療養中らしく、乾いた咳を繰り返した。女性的な男は文屋宮田麻呂ふんやのみやたまろと名乗り、高校の理科教師だといった。黙りこくっていたいかつい男性は菅原道真すがわらのみちざねと、ぼそりと名乗った。


「ここにいる全員、人鬼なんだ」


良の事情を知ってか、申し訳なさそうに早良は言った。文屋は声まで中性的で、良を和ませるように言った。


「無理することはないんだよ。もしも俺たちを喰らうのが嫌なら、その逆でもいいんだから」


そんなことを言う文屋を真備がこづいた。文屋は笑いながら「ジョークだよ」と言っていたが、真は備憮然としたままだった。乾いた咳をする橘は神妙な顔つきで言った。


「俺たちには約束があるはずだ。それを忘れてはいけない」

「そうだな。千方さんから事情は聞いている。我々にはそれにこたえる義務がある」


顔を半分隠したまま、硬い口調で広嗣は言った。道真は相変わらず会話に入ろうとせず、無表情で頷いた。


「そうですね。私たちは親子として暮らしてこられました。それはとても幸せな時間だったと思います。今度はあなたが幸せになる番でしょう」


吉子は柔和な口調で良に話しかける。その視線は、硬く握られた右手に注がれていた。良は言葉に詰まった。この人たちは全員人として暮らしてきた人鬼。つまり、この十人にも家族や友人、大切な人がいるのだ。式で御霊を喰らうことは、この人たちの周りにいる人々に、大きな悲しみや怒りを背負わせることになるのだ。自分一人の怨嗟さえ持て余している良は、それを背負う自信がなかった。こんなにも個性豊かで、この時代に馴染み、生活している人々を殺すことは、良には出来そうになかった。そんな良の胸の内を察してか、早良が語りかける。

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