3.因習

八方位の誰かが死んだ場合、誰かが新しくその穴を埋める。今回は幸か不幸か北野章の妻が章の代わりとなったらしい。守り人や門になる人間は、社会異的な周辺に生きている場合が多い。章や良もまた、現代社会とはずれた生き方をしているはずである。


「私、見てしまいました。皆で寄ってたかって章を殺したところを。私はあなた方を許しません。だから私は鬼に魂を売りました」


良は令を見据え、微笑した。


「藤原千方さんに」


令の顔がこわばる。令が頭の隅に置いていた最悪のシナリオは、今、現実のものとなった。


「人鬼。しかもまた、仲間同士の殺し合い。一体どれだけ俺たちを苦しめれば気がすむんだ? しかも俺たちがやっていることが無意味って、どういうことだ? まさか……」


令の声は静かだったが、わずかに怒気を含んでいた。良は楽しそうに笑った。


「君たちがやろうとしている御霊会は、その対象がすでに存在しない。だから無駄だと教えて差し上げたのですよ。だって、千方さんに食べられてしまいましたからね、全員」


令の顔がわずかに歪む。それを良は見逃さなかった。


「こんなことぐらいで、そんな顔をされては困ります。私のことを知って、私を個人として認めたうえで戦ってほしいものです」


良は抑揚のない声で、令を憐れむように言った。そしてまた抑揚のない声で、「私には運命の出会いが二つありました。一つは章。二つ目は千方さんです」と静かに語り始めた。









 章と良が産まれたのは、山間の小さな集落だった。まるで現代とは切り離されたような生活を村人は送り、結婚までもが制度化されていた。村では年頃の男女を男組と女組に分け、それぞれふさわしい相手と結婚させていた。「ふさわしい」とは、村にとって「都合が良い」ということだ。こうして章と良は仲人を介して許嫁となった。超少子高齢社会であるため、小中学校は同じ学び舎で過ごす。高校は外に出なければならなかった。村の外に出れば、他の土地とのズレを感じたりマスメディアに触れたりして、多くの若者が村を出て行った。今では限界集落と呼ばれている。


「俺たちはどうしようか?」


章は良にきいた。外に出て許嫁を解消する若者が多い中、章と良は相思相愛を貫いていた。二人とも一目ぼれだった。


「私は章がいればそれでいいから、場所は問わない。だから、ここでもいいんだよ」


良は顔を赤くしながら言った。良は章の優しい笑顔の前では、どうしても固くなってしまう。


「確かに、外は便利かもしれないけど、結局皆親の面倒を看るために戻って来てる。村の中は静かだし、平和だし、子育てにはいいかもしれないし」


村の良い所をあげればきりがなかった。主な産業は農業と観光だが、公の観光は駅周辺に留まっていた。


「俺たちからしてみれば、外から来て山や田んぼの写真とっていくのが理解できないよな」

「本当だね」


二人は声を立てて笑った。しばらく笑ってから、章は突然真面目な顔をして、結婚の話を持ち出した。


「既定の年齢になったら、すぐに婚姻届を出しに行かないか?」

「どうしたの? 急に……」

「夢が出来た。アナウンサーだよ。この村にも情報は必要だ。因習だけではこの村は生き残れない。この村には正しい情報が必要なんじゃないかな」

「夢の為に村を出るの? だったら、私も」

「そういう馴れ合いはやめよう」


章の声は魔法の声だ。言葉を遮られても、全く不快にならない。強く言われると納得してしまう。


「二人で大学に行って、それぞれの夢を叶えて、またこの村に戻ってこよう」


章に言われるがままに、良は頷いた。


「約束して。もし、夢が叶っても私をちゃんと選んでくれるって」


良は章が遠い存在となるのが怖かった。章の声で約束してほしかった。章は良を抱き寄せ、「約束する」と答えた。章も良もそれぞれ結婚年齢に達すると、婚姻届を出して名実ともに夫婦になった。それぞれの夢に向かって、大学へと進学し、明るい未来が待っているはずだった。

 章が風をこじらせ、入院した。肺炎にかかっているという。良は離れている病院に足しげく通った。そしてある晩のこと、章の様態は急変した。章は良の手を握って言った。


「少女のような少年に気を付けろ」


それが章が良に残した最期の言葉となった。章はそのまま帰らぬ人となり、良は泣いた。皆が章は病死だという。でも、本当は違う。「少女のような少年」に、章は殺されたのだ。良は得体のしれないその少年を激しく憎んだ。しかし、奇跡が起きた。医師が死亡時刻を告げようとしたとき、章が「待って」と声を発したのだ。章の家族も、医師たちも、もちろん良も耳を疑った。そんな周りの様子を無視して、章は立ち上がり、ベッドから降りてスリッパをはいて駈け出した。


「待って、章。どこへいくの?」

「どこって東北だよ。面白いものを見つけたからね」


牧歌的な章の口調とはかけ離れた、幼い口調だった。しかし声は確かに章のものだ。良は章を引っ張り、医師の前に座らせた。


「どういうことですか、これ」

「どういうことかと言われましても」


医師も困り顔だ。一方、章の両親は落ち着き払っていた。村の中では死人が生き返ったという話がいくつも伝承されているからだ。章のことも村の伝承で説明がつくというのだ。しかし良は納得しなかった。章は良のことも村のこともすべて忘れ、人格までも変わってしまったのだ。章は何かと言うと、行ったこともない東北の田舎の話をした。カイとコウという人物に強いこだわりを見せた。困惑する良に、章は言った。


「君は僕のお嫁さんなんだよね?」


章は幼い表情で結婚指輪を見ながら言う。しかしその言葉は良を深く傷つけた。章は良のことを「君」とは呼ばず、名前で呼んでくれていた。一人称も「俺」から「僕」に代わっていた。ましてや良のことを「お嫁さん」などとは絶対に呼ばない。何故なら、良が嫁入りしたのではなく、章が婿入りしたからだ。良は震える手で花をさし、笑顔を作った。


「そうよ。村で仲人さんに引き合わせてもらって、結婚したの。その時は村中が大盛り上がりで、すごかったじゃない」

「そうなんだ。ごめんね、僕の記憶にはないんだ」


良は必死で涙をこらえる。


「東北の病院に移れるように先生に頼んでくれた?」

「うん。言ったよ。紹介状を書いてくれるって。本人がそんなにこだわるのなら、そこに本人にとってプラスになる何かがあるかもしれないからって。もし収穫がなくても、保養にはなるだろうって」

「それでいつ……」

「馬鹿みたいだよね。自然なら村にあるのに。あ、飲み物買ってくるね」


良は早口で章の言葉をふさいで、病室を出た。ドアを閉めた瞬間、良は堰を切ったかのように泣き出した。章が章でなくなっていく悲しみに、良は耐えられなかった。その上、村では良に理解を示してはくれない。生き返ったのだから、もう一度輪廻の中から生まれることになる。子どもに戻っていてもおかしくはない。科学より言い伝えの方が説明のつくことが多いと言っている。良は初めて村を憎んだ。それでも良はいつか元の章に戻ってくれることを信じて、早く専門の病院で見てもらうことにした。章の家族に章の意思を伝え、良は二人分の準備をして、ついに東北の精神科へ転院を果たした。これで章は治る。元の章が帰って来ると、良は胸をなで下ろした。しかし、一向に章の具合はよくならず、良よりも、やはりカイとコウという人物に高い関心を示した。


「だからカイとコウという人たちは、中学校にはいなかったのよ」


もう何回も同じことを言っている良は苛立った。卒業アルバムを良は章に差し出す。「わあ」っと、章が感嘆の声をあげた。


「これが僕が卒業した中学校か。あ、本当に今の僕と同じ人がいるね。こういうの、東北ではできなかったから、楽しいよ。君がいてくれるとだんだん記憶の隙間が埋まっていくから章の人となりをもっと教えてほしいな」

「そう? 私は章の役に立ってる?」


良は時々自分の言動に自信を無くしていた。自分は、「自分勝手な理想の章像」を押し付けているのではないか。もしくは、今の章をそのまま受け入れる度量のない自分が悪いのではないか。そんなふうに悩む良にとって、今の章の言葉は救いだった。二人は優しく抱き合った。




 しかし、その数週間後、事件は起こった。


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