2.正しさ
「あの、木戸さん、また人鬼を相手にするんですか?」
「それは御霊や千方が人鬼か、ということ?」
「はい」
「可能性は十分にある。俺が逆の立場だったら、式使いの知り合いを人鬼にして存在する。だって、式使いだって知人を殺すのには躊躇するからな」
「その、私は……もう、誰かが死ぬのは嫌なんです。人でも鬼でも、もうこれ以上、人殺しは嫌です。だって、人鬼にはこれまでの人生で培ってきた人との関係があるんでしょう?」
巴の脳裏に倒れた千砂の姿がこびりついて離れない。まるで銃で撃ったかのように、簡単に人が死んでいく。当たり前のように、死体が転がっていく。改や甲にとっては復讐だとも弔いだとも聞いた。しかしそれが正しい行為なのかは巴には疑問に思えた。
「じゃあさ、トモピー。永遠に人殺しを行う犯人を許す? しかもその犯人は法で裁くこともつかまえることも出来ないんだよ」
「それは……、でも……、でも、じゃあ、どうすれば……」
巴は電話の向こうで泣きじゃくった。何度もパジャマの袖で涙を拭く。
「トモピーの戸惑いは正しいよ。俺だって、御霊や千方が人鬼になる前にどうにかしたい。でもそんなことを言っていたらどうなる? 感情から生まれた人を肯定している。何故なら感情を持たない人はいないからだ。だから、感情から生まれた鬼を喰らうことは、人を否定することにつながる。御霊は元々立派な人たちが政争の中で鬼とされた人々だ。そんな人達を喰らうのは正しいのか。こんな具合に悩みどころ満載なんだ」
令はたたみかけるように言葉を発した。巴が泣いていることも重々承知だ。だが巴の戸惑いは巴自身や仲間を危険にさらす。
「分かってはいるんです。頭ではちゃんと。でも、気持ちが……気持ちがぐちゃぐちゃなんです。もう、正しいとか間違っているとか、分からない」
薄暗い巴の部屋に汚物の臭いが広がる。式の存在が大きくなろうとしている。巴はそれを必死に抑え、自分の言葉で話した。
「人が人を食べるなんて、あってはならないことだと、思います。だから……、だから私たちの行動は間違っているようなきがするんです」
「カニバリズムのタブーと来たか」
令は思わず笑ってしまった。あい変わらず小さく弱弱しい巴の口から発せられた問いは、かなり難解なものだったからだ。巴はそんな自覚はなく、「カニバリズム? タブー?」とおうむ返しにきき返してきた。
「でもさ、トモピー。日本でも人食い何ていくらでも起きてるだろう?」
巴は近々の事件を思い出してみたが、人食いのようなグロテスクな事件は起きていないような気がする。巴が理解に苦しんでいると、令はあっさりと答えをくれた。
「臓器移植だよ。俺たちは腹から人を喰らって命をつないでいる」
欧米の学者が、人食い人種とされる人々の村を訪れた。首長に人食いについて尋ねたところ、こんな答えが返って来た。『我々は口から人を食べる。それを見たお前達は我々を野蛮だという。しかし、お前達は腹から人を食べるというさらに野蛮な行為ではないか』
巴はこの令の話をきいて黙り込んだ。頭の中で、「でも」と反論しかけるが、何と言ったらよいか分からない。人食いの首長の論理は一見正しい。だが、巴たちとは根本的に違う。
「ぞ、臓器移植も、人食いも、生きるためのもの、ですよね。でも私たち……、いえ、私は……」
「私たち、でいいんだよ。トモピー。俺たちだって生きるために行動するんだ。トモピーは、単純に生きたくないのか?」
「私……、ですか?」
しばらく沈黙が下りた。巴は本来死んでいたはずだ。何度か死んでもおかしくないところまでいった。でも死ななかった。死ねなかった。
「私は、本当は、死にたくないんだと思います」
自分の言葉が心もとなく、情けなく、巴は涙をこぼした。
「死にたくない。生きたい。それでいいんだよ。確かに、鬼もそう思ってるかもしれない。だけど相手は鬼。トモピーも分かってるんだよな?」
「はい。木戸さんのおかけでやっと……気持ちの整理と言うか心持というか、とにかく、やりたいと思います」
「あんまり深刻に考えるなよ。トモピーはもうちょっと軽く考える癖をつけるといいと思うよ」
「はい。心がけます。あの、木戸さん」
「ん?」
「私たちって、本当にヒーローなんかじゃありませんね。むしろ悪役ですね」
「そうだな。嫌な役を押し付けられた感じだな。トモピーは偉いよ。素直でいい子だじゃあな」
「はい」
二人は電話を切った。巴はしばらく、令の強さがどこから来るのか考えていた。
こうして七人は、それぞれの思いを胸に、日々トレーニングを始めた。令はトレーニングと学業を並行しながら、御霊会にふさわしい場所を探した。しかしそんな六人をあざ笑うかのような事態が起きていたことに誰一人、気づくものはいなかった。ただ令だけは、その最悪の事態を頭の隅に置いていた。
「君たちは無駄な努力をしているよ」
ある日、令はそう声をかけられた。目鼻立ちのはっきりとした、小柄な女性だった。女性と言うよりも、童顔のため少女に見えた。猫のような眼が印象的だった。
「私は北野(きたの) 良(りょう)と申します。北野章の妻です」
令は目を細めて良を見た。
「そして、今の北の守り人です」
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